007 皇帝、立(いた)つ
――もし彼女を、誰かに準えるならば人々は口々に云う事だろう。
「第十二代皇帝エディッサ=ユーメ・ユーデロイトか」と。
帝政初の女帝としてエディット・フレイム(エディッサ)は皇位に就いた。早くから帝王学を教授され半ば計画的になるべくしてなった皇帝と云う。
その天才的な聡明さは誰の目にも明らかだったが、先走る頭脳に彼女の心は追いつけなかったらしい。何が彼女の精神を蝕んだのか、恋人の存在、内乱の発生、権力抗争、そして彼女のゆえ無き幽閉。
息を引き取る前には、彼女の心はここになかった。
そんな女帝に比べるのは場違いかもしれないが、人は自分の都合の良いようにイメージを作り上げるものである。時に異なり、時に真を。
大衆がカリスマ的力を感じての評ならば、エディッサ帝も肯定するであろう。だが過去の英雄は現世に甦ることは無い。形を成さない期待と、前例からのイメージにズレを感じたことが、後の新しい女帝に《緋い大帝》と言う称号を贈ることとなった。
“緋色”の由来は定かではない。ルイーザの言語録によるものとか、炎のような苛烈さを象徴したのだとか、または《血染めの大王》を聴こえよくしたと言う説もある。しかしこれは《緋い大帝》以後に捏造されたものとして“後世”では理解されている。
間も無く、グランスとレイゼンらが予測したとおりに、ルードニース帝は退位表明し、民生議会はこれを承認した。
――その日の中央行政都市キシュトワルは晴れだった。もちろん気象コントロールをやっての話だが、よほどでない限りは天候をいじることはない。式典の担当者はきっと完璧主義だったのだろう。見事なまでに晴天である。
普段はルエラ星上空に浮かぶ、皇宮アクアパレスに在る皇帝は、真下の地上であるキシュトワル市に降り、式典の準備を整え、その日を大安吉日とばかりに形式的な世紀のショーをやってのける。新しい皇帝は名も顔も、其の時まで表向きは一般に広報されない。儀式の流れの中で公開され、大衆は世紀のイベントにその顔と名を記憶に刻むのが慣例となっていた。
帝政を代表する顔がヴェールの向こうでギャラクシアンにより決定され、一般に知らしめられずに進行されるのに、帝政の市民は抵抗感が無いらしい。
むしろ神格化された向きもあり、違和感も無い。少なくとも一千年はそのようにして皇帝が選ばれ、「帝政共同体」としての二重の権力構造は受け入れられている。
太祖ユーデリウスの以前よりある貴族王族諸侯の血筋も生き永らえており、特にそのような身分制度も当たり前の多様な世界だった。
キシュトワルの中枢にある“神殿”と呼ばれる広大な敷地内に、神殿の名にふさわしく厳めしげな建物があり、入念な立ち位置とカメラ位置のセッティングがされる。
準備に数ヶ月を要したと言われるが、その儀式はルードニースの退位のためでもあり、新皇帝の即位の儀でもあり、そして国威高揚も兼ねて星間自治連合へアピールするショーでもあるために、国境から“神殿”内までの武装警備計画に時間が掛かるせいだった。
ともあれギリギリの警備ラインまで一般に開放された“神殿”内に、大衆が駆けつけ見守る中を荘厳で重厚な格調高い儀式は執り行われた。
幾人かの限られた者しか着用を許されない、黒と紫紺の典雅な装束を身につけた数名の者に囲まれて、帝政の統一行政長官のスピーチに続き、ルードニース帝が退位宣言を行ってから新皇帝をその場に呼んで皇位移譲の宣言がされる。
若い女帝の姿が現れると、歓喜の声がいっそう大きくなった。
薄いグレイッシュブルーの髪と、まるで太陽の光を受けてはプラチナの輝きをもって照り返し、月の滴を受けてはタンザナイトの冷たい煌きを放つ、その二重の表情を宿した瞳は、既に何者たるかの風格を漂わせて微笑む。
その背後には、彼女のためだけに選ばれたIMSが控えており、皇帝章であるホーン・ドロップ・ダイヤを彫りこんだ、紫紺の制服に身を包んだ中にレイゼンとグランスの顔があった。
やがて皇位継承の立会人がギャラクシアンの承認を高らかに宣言して、ルイーザの祝福を述べる。異次元の世界をもっと観たい民衆の心理を無常にも振り切って、式典は以外にも簡素にそこで幕が引かれた。
その後、新皇帝と新IMSたちは「二日後の謁見に、準備がございます」と、式部官に身柄を拘束されて“神殿”に閉じ込められてしまう。
――閉じ込められたといっても、広い“神殿”内ではいくらかの自由はある。と言うより仕事はしなくてはならない。幸いな事に、恐らくは今までよりも格段にサポート力のある環境で、各自はそれぞれにストレス解消とばかりに打ち込んでいた。
「――少し疲れたようだ」
初老の男が眉間を指で押さえて、背もたれに身を委ねた。
「公、医師をお呼びしましょうか」
その肩にふわりと、優雅に細い手が置かれる。
「いや、それには及ばんが…陛下こそ休んだら良い」
「大丈夫ですよ。でも明後日の披露の宴がありますので、体調は見ていただいたほうが」
「ありがとう。カロルシア」
「退位されても公務は続きますので、お待ちを――ああ、医務官。ルードニース公のご様子を診るように――今参ります」
「これは恐れ入る。陛下、最初の公務かな?」
「どうやらそのようです」
女帝の笑顔が弾けた。
ギャラクシアンが彼女を皇宮アクアパレスに召致してから六ヶ月。
陛下、と呼ばれる身になったその人は、カロルシアだった。
今日、晴れの日に華々しく強烈な印象を放ったであろう煌きは、けして式典の豪奢な衣装によるものではない。二十四という齢にありがちな若さと初々しさは否定できないが、凄みを帯びたような力は人を惹きつけた。
「公のお力添え無しには、謁見に人見知りしすぎてしまいますゆえ」
「これからの皇帝選びには、顔の広い人物を選ぶようにギャラクシアンに言おう」
医務官が丁度入室してきたところで二人は笑ったので、彼は心持ち眉をひそめて足を止めた。
一方、理性の化身のような表情で、レイゼンは相変わらず慌しい時間を過ごしている。
「この人選か………」
八つ当たりに近いもので、そばに控える士官には判りえない毒を吐いていた。
「しかし、我々は式部官としてお世話しているので…」彼の怒りの根源を思い当たらない様子で、士官は自分の立場を弁明した。
「わかっている。確かに君らは専門外だ。わかってる」
珍しく苛立ちを隠せないように、手袋を投げるように脱いだ。
(しかし、どうかしている…)
グランスには言った手前、否定はできないが感情はなだめられなかった。
気負いが、感情の表れとなったのだろう。
新しい皇帝のIMS人選は同時期に行われ、皇帝の在位中ほぼ全ての時間を皇帝のために費やす、一番忙しい公僕として知られる。
身辺警護はもちろん、公務の補佐・代行を執り行い、皇帝親政時にはより強力な権限を有する。特に実戦経験が無くても高い地位の軍籍を持つのは、有事の際に軍を動かせるようにとの配慮も含む。
出自は特に問わない。能力さえ認められればギャラクシアンの選定を待つのみだ。
基準も無い。ただし、ギャラクシアンが何を理由に選ぶのかは不明だ。
そうして選ばれたIMSは、大体が任務を果たす。ヨーインのように毛色の違うものも居たりはするが、皇帝の退位後も良き友として存在するため、「ご学友」とも呼ばれる。
その所以はギャラクシアン達が、IMSを皇帝の運命未来において必要な縁を持つ者ばかりを傍らに置くことに他ならない。
このように「皇帝のためにあるべき」IMSなのだが、レイゼンはクラオン帝の周りに不満がありすぎた。
彼らとは一週間前に引き合わされている。つまりレイゼン自身もカロルシア帝のIMSに選ばれていたわけだが、初顔合わせで驚いたのはグランスの姿に、であった。
大抵のIMSは一代仕えなのだが、グランスのように二代続けて任命されるのは珍しい。彼としては大賛成だ。しかしその他に問題があった。
(この二人を加えることに意味があるのか?)
(これでは皇帝を、故意に危険な目に合わせようとしているばかりか、帝政の中枢に刺激を与えすぎる――)
任務上、彼の憤りは正しい。だが――
「遅くなりました。明後日の宴に招待された方々の追加リストでございます」
その声に、冷たさを増していた顔のレイゼンは、感情を飲み込んだ。
「直前に追加とは、穏やかではないな」
「星間自治連合で多少変動があったようでございますが、我々はいかようにも対応せざるをえませんので」
「慣れているからいいだろう。私のファイルに転送してくれ」
すました面持ちで式部官はコンソールに手を伸ばした。
「モニターもお点けします」
招待客のパーソナルデータがモニター一面に並んだ。
「これは連合だけか?」
「表向きはそのように。…警備責任者を?」
「いや、いい」
そこまで口を出そうとは思わない。ざっと目を通して、一人その顔に視線が止まる。
「は……――」
彼の一瞬にして張られた緊張感を感じつつ、式部官は今度こそレイゼンを無視した。
彼も齢二十九となれば、まだ若い。
―――IMSの人数も特に定められていない。
やはりギャラクシアンが必要に応じて選ぶからだ。
どういう必要性なのかは知りえないが、それでカロルシア帝の周りには計九名のIMSが集結した。
先帝より引き続きグランス・タスカー、帝政軍情報将校ミナヅキ・レイゼン、彼の妹ミナヅキ・ユウキ、警察官僚オークトー・アードレイ、アカデミー在学中のユーニス・ルエ、治療者レフ・ピアッツィ、同治療者サガイ・オスタ、銀河航路システム管理局警備部セルディン・エーヒー。
彼らはカロルシアが皇宮アクアパレスに召喚された同時期に、ギャラクシアンの指名を受けている。
帝政を研究する識者でなくとも素直な疑問を抱くのだが、皇帝またはIMSを任命されたときに彼らが「拒否」した形跡が見られない。あのヨーインですら、仕組まれた離反の感が否めないという。
ならば、カロルシアが召喚された折りは、どうだったと言うのだろうか。