011 移ろう季節 *
―――“謁見”の宴は、思ったよりもすぐにやってきた。
即位と言う大礼を行った過日とは違い、今夜は皇帝も高座から降りて生身の披露である。
「ご披露とデビューと接待の全てをこなさなくてはなりません」
式部官は若い皇帝にそう申し付けた。
「お衣装の裾を、踏んづけなさいますな」
侍従が深紅の貴石が嵌め込まれたティアラを髪の中に沈めた。
「ルードニース公とお並びになり、歩を乱すことなく進まれますよう」
白絹の長い裾は、自分で後ろへ振り払った。いや、蹴り払った。
「……肩が凝った」
二人の後ろにIMSを従え、更にその後ろに近衛兵を従え、大扉が開かれ、皇帝入場を告げる声と歓声と拍手の中、カロルシアは一言言い捨てて大股の一歩を、余り優雅ではない音を「ガツ」とたてて、踏み入れたのである。
ルードニースは聞こえない振りをし、かくして艶やかに変身したカロルシアは、神殿の大広間で各界の重鎮や有名人たちと、ワケの分からない会話をする羽目となった。
カロルシアの父が、外交官と言う職務以上に顔が広い事も災いしている。
「――陛下、お目にかかれて光栄でございます。これはわたくしの妻でして――」
「このようにお美しい方とは見当もつきませんでした――」
「ご出身の星を存じております。その近所にわたしの会社が投資を――」
「ぜひともぜひとも、お見知りおきくださいませ」
「アカデミーで経営なども学ばれたとお聞きしておりまして、指南いただきたい――」
いちいち覚えているはずも無い挨拶に、目元と口元にだけ微笑を貼り付け首を傾けた。
(公、毎日このようなことを?)
(接待外交は当面の任務であるぞ、カロルシア)
(ギャラクシアンに辞表を出したいところです)
時折すれ違うルードニースに、貼り付け笑顔のまま情報交換と文句を言うのだった。
ともあれカロルシアは、皇帝としても女性としても、充分注目に値する人物であるのは確かだろう。レイゼンにはそう思えた。
華やかな場に置いてはIMSが一番細心の注意を払う。
歓談をしながらも必ず誰かが皇帝の傍に付き、離れても皇帝の位置確認を怠らない。クラオン帝のIMSリーダーとしてレイゼンは、IMSづきの近衛兵を通じて指示を出し続けた。
「オークトー、ユーニスが剥がされる。陛下のお傍へ」
『回ります』
いったい、何人の人間が集まっているのか見当も付かない。
「このご盛況ぶり。お忙しいようで、何よりですな」
ざわめきの中を、後ろから肩越しに掛けられた声には、聞き覚えがある。
「……さて…どうしたものか…」
その正体を知っているだけに嘆息したレイゼンは、わずかに眉をしかめた。
「クロイカント・オライリーは招かれざる客か」
余裕たっぷりにハハと笑いが漏れた。
「どうして断ることができましょう。このたび就任したクラオン帝には、まだその術はありませんので」
言葉に棘を含ませて、二人は握手する。
ホールの照明でレイゼンと同じくらいの背丈の、クロイカントの金髪がやけに煌いた。
「どうにか潜り込ませてもらったよ。何しろ私は表向きの人間ではないのでね――それよりIMS就任おめでとう」
「観光においでになったようですね」
「どうやらそうらしい。興味本位で来てみたのだが、楽しいよ」
「ヨーインの使いでもなさそうです」
薄茶色の瞳でクロイカントを探る。
「彼は世捨て人を演じなくてはならない立場だ。私が彼の手となり足となり――個人的には新しい皇帝を見たかっただけなのだが、どうだろう紹介してくれないか? 強行軍の旅だったのでね、倒れる前にお会いしたい」
「………よろしいでしょう。陛下にはあなたを何と紹介したら?」
「名前だけ云ってくれれば、自己紹介する」
人ごみを掻き分け、ひときわ人だかりと光が輝いているように見えるポイントを目指した。
白絹の正装に額の豪華な宝石を照明を乱反射させ、女主人は先程より存在感を増している。レイゼンは彼女を囲む輪を切り崩し、傍らに立った。
「お話の途中を…失礼いたします陛下。お話を希望するゲストをお連れしました。よろしければお言葉を掛けていただきたいのですが」
「レイゼン、私はもう誰と何の話をしたのか判らないし、覚える自信もない。それでも?」
カロルシアの言葉に、周りは笑いを残して彼女から離れた。
「不要な人物を覚えるよりも、やるべき事がおありでございます」と、クロイカントが割って入る。
「こちらは? レイゼン」
「は、クロイカント・オライリーと申します」
名だけ告げた。
「星間自治連合を代表してお祝い申し上げます。わたくしは連合の医療科学学会で秘書程度の仕事をしているクロイカント・オライリーです。どうぞクロイカントと」
「連合の代表と名乗る方々にはたくさんお会いしたが、秘書程度の方はおられなかった」
「これは大変な失礼を……肩書きの力による形骸化は避けたいのです陛下」
「自信に満ちた人であると見受ける。どうなのです? 連合での評判は」
「代表して奏上いたしますと、このように美しく才知に溢れた女神の降臨に巡り合えたのは、至上の喜びと」
「ハハ…聞いたかレイゼン。早くも大衆は私の姿を歪めて捉えたと見える。この場合はどのように対処を?」
この場では初めて屈託無く笑ったであろうカロルシアの表情に安堵しながら、レイゼンはすげなく答える。
「正念場でございます。陛下」外交術の自立を促した。
「クロイカント殿、私のIMSは礼儀作法までは教えてくれないのだ。私の非礼は許していただきたい。これから勉強することにする」
「おめもじ叶いまして身に余る光栄でございました。――またお会いできる日を心待ちにしております」
会いたい、と言うからつれてきた割には、短い会話で終わった。
あっけなく皇帝から離れるとクロイカントは「観光ツアーは楽しかったよ」と、その他大勢のゲストには目もくれず立ち去った。
「秘書程度の割には多忙な身らしい」
後日、妙なことに記憶に残っていたらしいクロイカントの話を聞いて、カロルシアは苦笑した。
ホールはでこの慶事をチャンスとばかりに、ありとあらゆる秘密事が交わされた。
外交と、政治と、経済と、軍事もそして個人的なことも。
この先それぞれの運命がどうなろうと、ここでは幾ばくかの豪奢な夢にうつつを抜かしたのである。
◇ ◇ ◇
「―――ところで、私には公私の“私”が無くなったことが理解できていないらしい」
若い皇帝はできるだけ低めに囁いた。
つもりだったのだが、何故か室内には思ったより響いた。
「違和感が無いのは同様だが………」グランスがバサッと儀典用のコートを脱いだ。「とりあえず私の上司であるからには、しっかりして頂きたい」
カロルシアは思わず目を見開く。「上司!」
「甘やかしてはいけません。将軍」とレイゼン。
「私がお友達になってあげるわ」オークトーが不敬罪にも値する言葉を発する。
「貴女が友人では、陛下がイケイケになってしまいそう」やんわりと嗜めたのはレフ。
「そしたらIMSの堅苦しい制服を脱げるかも」サガイは賛成した。
「肩が凝ってるのはあなただけじゃないのよ」ユウキが便乗する。
「でも任務はかわりませんよね」とはセルディンの現実的なとどめ。
ユーニスはアカデミーに戻るため、別室に引っ込んだので不在。
皇帝の居室で、額の一部を赤く腫らしたカロルシアを囲んでIMSが談義していた。どうしたら皇帝陛下の額に瘤ができるのかは理解できないでもないが、帝位に就いて早々この事件は、玉体の管理の有りようを問われたものである。
「瘤は自分で管理することだ。カロルシア」とレイゼン。
「赤みはコンシーラーで隠してあげるわよ」とオークトー。
「でも腫れは隠せませんね」とセルディン。
「これからよそ見はいけませんわ」とレフ。
「でなきゃドアは自分で開く?」とユウキ。
「自動で開かないのは“神殿”ぐらいだろう」とグランス。
「IMSはドアの開閉まで管理することになりそうです」とサガイ。
ユーニスは、不在。
陛下の額の瘤は、先ほど起こった事件である。
“謁見”パーティ場から退出する折、侍従が開いた二番目の扉前で足元の不如意により、扉の角に見事に刺さったのだった。
IMSが後ろから付いて退出していたので、とっさに陛下を取り囲み、その場面は皆様に公開せずに済んだ。
「………なれない服を着せた責任は何処に問えば」
またカロルシアがボソボソと言うものだから、彼女の保護者たちは一斉にやや冷たげな視線で見つめてさしあげた。
「これからいくつかパーティが予定されてますわ。それまでにずっとドレスで過ごされてはいかが?」レフが当面の対応策を提案する。
「少しはおしとやかになるかも、ね。カロルシア」
と言う、ユウキのお勧めも悪くは無かったが、
「ドレスで議会に出席しろと?」の公務的発言で却下される。
「――まあ、そこらへんはカロルシア自身にお任せしよう。私は用事があるので消えるが、決議されたら結果報告を頼む。では陛下」
グランスは体よくその場を脱出してしまった。
「いつまでこの拘束服を? レイゼン」
ちょっと機嫌を損ねた様子でカロルシアは尋ねる。
レイゼンはグランスの退室をタイミングに、他のIMSを下がらせた。
「…三ヵ月後に皇宮がキシュトワル市沖に降下着水予定。修理点検が終了次第カロルシアの住居として宇宙に戻る。その時がお祭りの締めとなる」
「ルードニース公は退去されているのか?」
「今のところキシュトワル郊外にお住まいであるが、後はご本人の希望により転居もありうるかな」
「そうか……」
「どうかしたか」
「いや、他の皆はこれからだけど…レイゼンやグランスは今までの分がある。その分でも変わりないのが素直に嬉しい」
何気ないカロルシアの吐露した本音に、レイゼンはハッとした。努めて顔には出さないようにしながらも、補佐役としての立場を越えないよう冷静に返す。
「それならば、将軍と私の前以外に私情は慎むこと」
ありがたい訓示に、カロルシアはうんと頷いた。
「でも――体には気をつけてレイゼン。IMSは激務だから」
微かな動揺が彼の瞳によぎり、静かに皇帝を見つめる。
「変わりはない」
短い応えだった。
それから、時間までゆっくりするように、と陛下に申しつけてその場を辞した。
その背にドアが閉じて、彼女との空間が隔絶されると軽く息をついて立ち止まる。
激務は覚悟の上であり、ギャラクシアンでさえ知ってて皇帝の傍仕えを定めたのだ。悔いもあるはずはなく、むしろ望むべくして来るべきものである。
自分の運命を知ったときから――
(私の命はあの二人に捧げたも同然………)
――王冠を戴いて、自由に羽ばたけ、カロルシア……――
――王者の翼を支えるのは……――
「……当面は『D.O.』だな」
呟く事で、感傷的な意識から現実に自分を取り戻した。
彼はIMSになったことで政治的な力も付随されており、ただの情報将校であった以前よりも増して、忙しい身分になっていたのだ。
権限が増えたのは、皇帝だけではないのである。