010 『王冠』たる所以
ギャラクシアン、と呼んだ。
本来ならば知る由も無い。
このような場所に呼ばれ、このような事由に会い、されば何故に彼らに結びつくというのであろうか。
いま此処に居る彼らは、果たして陰に聞くものたちなのか。
なんの忌憚も疑念も無く、カロルシアは口にしたと言うのに。
室内は広く黒く、暗かった。ありとあらゆる装飾を廃し、直線のみで構成された大広間。
幾つかの白く小さい光源が星のようにも見える高い天井、深奥にあるとは言え、すぐ外は宇宙空間であるかのような錯覚に陥りそうであった。
確かに、この異空間は宇宙ではあるのだが。
哲学的音律が奏でられているような、異端の冷たい空気の中に再び低く声が響いた。
「着くが良い」
彼らのテーブル手前に、口をあけて待つカプセル・シートがあった。幅広の数段の階段を上がり、中に入って着席するとカプセル内だけライトが点いて、白光に包まれカロルシアは完全に外が見えなくなる。
しかし彼らの、叡智をも超えた異様な視線が、自分の肌に突き刺さるのは感じていた。
「―――では召致の理由は」
歓待も前置きもなく、ギャラクシアンは言を継ぐ。
再度言うが、余計なものなどこの空間には必要ないのである。
「………今しがた……」カロルシアにも、余計な緊張感など無かった。「……ユーデリウス公は黙したままで―――レディ・ルイーザはここに」
来た路での出来事を見たままに言う。
僅かに、“シェーデの間”の空気が動いた。
「……両方が視得たと言うか…。しかし、ユーデリウスは必ずや語る」
別の声が相槌を打つ。
「ふむ……過去に視てはいても、ユーデリウスの言質を直接受けたものは少ないが――お前は視えていたのだな?」
「私は、問いました」
「―――珍しい。聴く耳を持たぬ太祖に」
思い違いかもしれないが、微かに、ほんの微かに笑いが含まれた気がした。
「ルイーザが共に無いのは、何故かと」
カロルシアは、ユーデリウスに問うた事を再度、口にしてみた。
「ルイーザは、帝政の骨に過ぎぬ」
ギャラクシアンの一人は、ギャラクシアン・グループ創設の祖と云われるルイーザを、簡単に言ってのけた。
「しかしルイーザは訪れていたのに、誰も受けないのです」
カロルシアは食い下がった。
「お前はどのように受けたと?」
「あまりに隔絶された世界から私に先を示されたのです。それなのにどなたも歓迎の意思を表してはおりませんでした」
光と水が流れる漆黒の空間で、立ち並ぶ歴代皇帝の口に灯された沈黙の言葉の端々を、カロルシアは耳にしていたかのように言った。
「言うたであろう。ルイーザは骨に過ぎず、ユーデリウスは血肉に過ぎない。我々は、その体内に寄生する虫」
「骨が無ければ血肉も脚で立てないのです。なぜ彼らはルイーザと隔たっているのでしょう。帝政は太祖お一人で成り立ったのではありません」
少し語気が強くなったかもしれない。
自分で、自分の頬に赤みが差す熱っぽさを感じた。物言わぬユーデリウスには、やはり不満が残っていたのだ。
正義感?
いや、そのような安っぽいものではない。
簡単には解けそうに無い問題が、いきなり彼女の前に横たわったからだ。それもあまりに巨大で、あまりに繊細な事柄が。
ユーデリウスとルイーザの関係は謎が多い。
カロルシア自身も、歴史に造詣が深いわけでもないが、太祖ユーデリウスが手広く戦争を展開するさなかに、少女であったルイーザを見つけて連れ帰ったというエピソードは有名であり、それくらいは知っていた。
下衆な憶測から愛人関係として読み解こうという試みや、数式化して組み込まれている暗号の可能性を発掘しようなどと、様々な試みはなされてきている。
彼女はユーデリウスの元で天啓者よ巫女よと呼ばれ、遠く未来を見通す卓越した能力を駆使し、ユーデリウスと、そして帝政の初代皇帝となる甥のレヴィンスを能くサポートした。
帝政の根幹を築き、支え、今日の繁栄もまた彼女の恩恵に預かっているのだが、表向きの評価は何故かあまり良いものではなく、正統な歴史書への記述に躊躇いが見られる。
そのような歴史的大人物でありながら、このような扱いとは如何に。
ルイーザの言葉を預かる者として、思想的に直系であると言われるギャラクシアン・グループですら、その言動が彼女の存在をわざわざ軽んじさせているようにも思われた。
血肉と骨―――
こうも欠けては成り立たぬ互いの存在であるのに、融合も合致も有り得ないほどの反発のしようは、残された禍根が今にも噴出さんとしているかのようだった。
カロルシアが皇宮に来るまで、「珍しくも二人を視た」ことは、それらを暗示しているのだろうか。
「なるほど。では“シェーデの間”に至るまでの通路をなんと理解したか?」
「言うまでもなく、啓示の路…でございましょう」
「それも正しい。あの路は我々の召致を受けたものしか通られぬ。視てきた通り、路行く者を見守るよう歴代の皇帝が建てられた。しかし彼ら立像は命あるかのように、通るものを見ては囁き、また導くのである。そして最後に見えるべき太祖ユーデリウスは『選ぶ』と言う」
「では公が現れない方もおられたと?」
「選ばれぬ者は玉座に着けぬ。カロルシア」
問答に一人が加わる。
「皇宮に来る前より、彼らは訪れたのではないか」
「……それは……昨夜ここでユーデリウス公が、そして幾人もの誰かが……」
「これも良い」
その兆しは喜ばれたらしい。
「ならば口を開かぬ太祖の理由はつけられよう。既にお前に語っているからだ。それはここに召致する必要も無かったとも言えるのだが……」
そこに別の声が割って入る。
「我々は既に認めているも同然。皇帝としてはいかがなる」
「―――陛下がおられたのですか……御前にて失礼を――」
皇帝の存在が急に現実感をもたらして、カロルシアもさすがにぎこちなく緊張した。
「それには及ばぬ。ひとつ、訊ねよう」
声の方向は半円形のテーブルの端の辺りから聞こえてきたので、彼らの配置に上席も末席も関係のない事が良く分かる。
帝政、いや、時代を動かすといわれる者たちに、そのような上下関係は無用なのだろう。
そもそも、彼らでさえ何者かの下僕に過ぎないと言われているのだから。
「―――太祖は、ユーデリウス公は、此処ではないところで既にお前に語った。その内容を言えるか」
請われて昨夜のユーデリウスの容貌をすぐに思い出す。
あの幻影は、カロルシアに向かって言ったのだ。
「……皇宮アクアパレスは聖域であり、聖域が欲した者が皇帝であり、また皇帝が居るところが聖域であると」
「それから」
「そして、先の大戦を再現するものが呼ばれると」
イブニングエメラルドの冴え冴えたる眼で、太祖ユーデリウスは先の二言を彼女に告げた。
嘗て星の果てを見、宇宙の彼方を見、ルイーザの金色の瞳を囚えてしまった異界の瞳が、カロルシアの中にある小宇宙をそのように形容したのである。
「―――なるほど……どのように取りますかな?」
皇帝が誰とも無く訊ねると、ギャラクシアンの一人が念押しのように応えた。
「いかにも皇宮は聖域である。その聖域が認めなければ空位も辞さぬ。それだけここは神格化された絶対域だと言うのは、ここに居る者は既知であること」
この認識は、ごくごく当たり前の話だというのだろう。
「―――しかし、太祖はそれを上回る権限の可能性を述べられた。即ち、その皇帝が立つ場所、行く土地、赴く全ての先々が聖域」
少し、空気が乱れた。
「ルイーザの承認があったとして、太祖が直々に権限の授受を執り行ったと?」
「歴代の諸皇の中でも、より強大な権限を与えられたと考える」
「なんと、帝政の域外に及ぼしそうな」
「されば『大戦の再現』と聞いたであろう?」
「―――なるほど……」
「“言葉の主”であるルイーザの祈りの綴りを解くがいい。それらは至言である」
「そなたの名も書き連ねられたものの一つ。覚えていような、ハーベル・ユーデロイト」
呈された疑義は、大した時間も掛からずに収められ、意見はまとまった。
ハーベル・ユーデロイトと呼ばれた皇帝は頷きながら、カロルシアの方に顔を向けたようだ。
「―――時代と皇帝は時を同じくして変化する」
彼女は瞼を伏せて声を聴く。
「私の運命も名も、このようにして定められた―――」
云わんとする事は、もう分かっていた気がしていた。
皇帝が践祚すると。
私が定められたという……
皇帝の声が響く中、ふいに遥かな深遠の空間が広がった。
カロルシアの精神が、ささやかに寄せる波紋を知覚して、とぎすまされた心に幻影らしき存在を感じた。
(………)
女の声が重なる。
――ギャラクシアンは、わたくしの意思を行使しますが……
――皇帝はユーデリウス公の魂に追従するものなのです
――貴女が「戦える者」として、わたくしがその足元を確かな先に指し示しましょう
それがルイーザだと言うのは、誰に聞くまでもない。
「―――カロルシア・デッサーは『祈りの綴り』にあるとおり、そこに記されたとおり、今日においてカロルシア=ユーデロイトと成るべし」
ユーデロイトとは、「ユーデリウスの意を継ぐもの」と言う、皇帝だけが許される名称である。
「……与う名は、『王冠』である」
―――霊名は定められた宿命を持つ者にのみ与えられる。つまり奇妙な事に、皇帝が選出される前に「名」が先にあるのだ。
「カロルシア=クラオン・ユーデロイト、そなたを帝政第七十六代皇帝として我々ギャラクシアンは承認する」
彼女の往く先を定めた宣言が投げられる。カロルシアの心は既に定まっていた。
何ら野心も無く、そのような夢見も無く、降って沸いた御伽噺のような事態において、どう受け容れたものか。
俗人が考えるには及ばぬ雲上の決め事。
拒否しよう、と言う意思は「あれば表明できる」の程度に過ぎない。何故ならば、拒む事すら不可能な心理状態にあるからだ。
だからそれは、ごくごく自然の事として当事者達は受け容れてきたのである。
カロルシアも例外ではなかった。
数秒の沈黙の後、ゆっくりと口で息を吸い込むと、ギャラクシアンに返す。
「……―――謹んでお受けします」
―――若い女が、その瞬間その肩に帝政共同体と言う荷を背負った。
プラチナ色の瞳がカプセル・シート内の白い光を受けて、より白く、白金の色を放つ。
いつからそのような表情をしていたのだろう。鋭く烈しい意思と、遠いようでいて全てを包含しているような深い視線、あたかも以前から玉座に居たかのように。
「―――クラオン帝はまれに見る力を持って人々を導くであろう」
「ここ“シェーデの間”は、本当の名を“玉座”と言う。ここに招かれたものは、皇帝にならねば出られぬ幽閉の玉座」
「ルイーザが守護についたとなれば、我々の出番は少ないのであろうな」
「さればこそ太祖がよほど力を入れた皇帝と言うこと」
ギャラクシアンたちは一斉に立席した。
そのときに一人のギャラクシアンが呟くのを、カロルシアは聞き逃さなかった。
「――新しい時代は、もう帝政に与えられない」
それが何を意味するのかは、いづれ彼女が体現させるのである………
――L.M.暦一〇二四年、
帝政共同体第七十六代皇帝、
カロルシア・クラオン=ユーデロイト。
かねてより予見される皇帝、立つ。
憧憬と畏怖の念を持って人々は呼ぶ。
《緋い大帝》と――