息抜きついでの仕事。ただし、国の未来に関わる仕事
翌日。朝食を終え、歯を磨いたアオバは、下着姿のまま自室にある姿見の前に立っていた。
(大体の傷は治ってるね。これなら後一週間もすれば完治するかな?)
普通の人間なら百回以上はあの世を満喫出来たであろう【ワールドイーター】討伐の際に負った傷。
その全てが薄らと傷跡が残る程度まで回復している事には理由がある。
一つ目は、レオーネ帝国に所属する騎士に必ず投与されているナノマシンの存在だ。
投与された人間の体内で自己増殖し、失われた血液どころか神経や皮膚の役目すら肩代わりする事が可能なこのナノマシンは、戦場に立つ騎士達の命綱と言っても過言では無く、事実としてアオバは片腕を食い千切られるという常人なら意識を失っても可笑しくない状況で平然と活動する事が出来ていた。
とはいえ、ナノマシンだけで全てが解決するなら死者は現れない。
(……浸食値は93、か)
帝国騎士が異界の化け物達と戦う為に手に入れた力の副作用。
アオバが右腕に巻く銀色の腕時計の中央。そこに表示されている数字は、手に入れた力がどれだけ自らの身体を浸食しているかを示すモノ。
この数字が高ければ高い程、人という種を超越した動きが可能となり、人によっては失った腕の再生すら可能となるが、その代償として浸食値が高くなれば高くなる程、理性を蝕み、人の姿を別の何かに変えていく。
つまり、アオバは後僅かでも浸食されていたら、守るべき国民を襲う化け物になっていた。
「ボクは人間だ。そう言い切れなくなる前に何とか形にしたいね」
右目の眼帯に触れ、そう呟いた直後、
「兄様?先に出てますね?」
と、部屋の外からモミジの声が聞こえてきた。
「……ま、今は出来る事を頑張るしか無いよね」
すぐ行くよ、と扉の向こうに居るモミジに返事をしつつ、机の上にあった端末を操作し、"着せ替えメイド"と名付けられているアプリを開く。
そして『制服』と書かれているアイコンをタッチすると、アオバの身体に端末から出た光の粒子が纏わり付き、一瞬で白を基調とした制服に変わる。
「うーん……明日から暫く通うし、ショートカットでも作っておこうかな」
そんな事を呟きつつ黒革の鞄を手に取り、アオバは部屋を後にした。
◇
帝国全土から物資が集められ、そして積み荷を変えて運ばれていく物流の中心として栄えているこの都市の名は――商業都市プルトス。
ここで手に入らぬモノはこの世に存在していないと謳われる程の品揃えの良さと、帝国内で唯一、十三騎士団全ての支部があるという戦力的な安心からか、多種多様な民族と文化が入り交じる帝国最大の都市だ。
その都市としての性質上、早朝から荷物を竜車(地を走る事に特化させた竜の引く荷車の総称)に載せる者達や夜明けまで飲み明かした酔っ払いがフラついてる事も多く、都市全体が静かになるという事は滅多に起こらない。が、アオバ達が向かっている場所へと続く〝門〟のある場所は都市部から離れた郊外にあるという事もあり、二人の側を歩く者達から学業への憎しみ混じりのゾンビの様な呻き声が聞こえてくる程度には静かだった。
「こうして二人で通える様になるとは思ってもみませんでした」
「最近ずっと家に帰れなかったしなぁ。でも暫くはプルトスで待機という名の療養予定だし、一緒に過ごせる時間も増えると思うよ?」
「それは私にとっても皆さんにとっても朗報ですね」
嬉しそうに微笑むモミジだったが、ふとその足が止まる。
「でも本当によろしかったのですか?一緒に通えるのは嬉しいのですが……」
八割の幸せと二割の罪悪感。
振り返り、視界に捉えたモミジの表情は、複雑な内心を見事に美しい顔で表現していた。
そんなモミジの心が少しでも軽くなる様にと、アオバは内心で苦笑しつつ言葉を返す。
「学園の視察もボクの仕事だからね。もーちゃんが気にする必要は無いよ」
銀狐騎士団の長としての仕事は、主に輸送と兵器開発の二つだけ。
だがアオバは〝scarlet〟のミドルネームを持つ貴族でもある為、その権力に付随する仕事がある。
その内の一つがプルトスに存在する学園の管理だ。
先代皇帝の時代、帝国は乱れに乱れ、行き着くところまで堕ちていた。
そんな国の教育機関がまともである筈も無く、アオバ達は様々な負の遺産に対処するついでに視察した学園の惨状を見て、即座に国として介入する事を決める。
マトモな国なら、アオバは騎士として国防だけに力を注げたであろう。
マトモな国なら、アオバは貴族として内政だけに力を注げたであろう。
だがそもそもの話、マトモな国だったら革命を起こしてまで皇帝の座を簒奪したりなんてしない。
だからこそゴミ屋敷に油を撒き散らしたかの様な有様の帝国から害虫を駆除し、溜め込まれたゴミを掃除し、こびり付いた油汚れを落とし、消臭する仕事にそこまで不満がある訳では無いのだ。
「……あに様は狡いです。そう言われたら何も言えないじゃ無いですか」
「ボクはお兄ちゃんだからね。妹に情けない姿は見せられないのさ──っと、そうだ」
何かを思い出したかの様に懐に手を入れ、カード状の〝何か〟を取り出してモミジに投げる。
「気にするなって言ってももーちゃんの性格だと気にするだろうからさ。それならいっその事ボクの仕事を手伝ってよ」
「それは構いませんが……守秘義務は大丈夫なんですか?」
「騎士としてでは無く貴族としての仕事だからね。他の人に無断で〝ソレ〟を見せなきゃ大丈夫だよ」
その言葉を聞いて一応の納得を得たのか、モミジは受け取った金属製のカード状の物体を自身の端末に差し込み、納められていたデータを空中に投影する。
「……これはまた。何とも表現するのに困る方ですね」
「大勢の人間を纏めて使える様に教育する過程でどうしても主流の教育に〝合わない〟子は出るもんだけど、そこまで確実に教育方法が〝合ってない〟子は珍しいよね」
「この子の場合、努力不足という事も全体の数値的にあり得ませんし、基本の『活性』が行える以上、〝文字無し〟という訳でもありませんし……何をどうすればこんな風に?」
「それを調べるのがボクの仕事で、もーちゃんに手伝って貰う事だってば」
「……そうでした」
少しだけ恥じらいで頬を紅く染めたモミジは、ふと思い付いたかの様に顔を上げ、前を歩く兄に問い掛ける。
「この件、龍組の案件として扱うのは不味いですか?」
「あー……んー、どうしようかな。個人的には大事にするのもアレかなとも思うんだけど、現状だと人手は多い方が良いだろうし、皆の経験になる事を考えると悪く無い案件ではあるよね」
「龍組の設立目的を考えれば何時かは経験する案件ですし、兄様が見守ってくださる間に経験しておいた方が後の役に立つと思うのですが……何か問題でも?」
「この子、皆の一つ下の学年だからさ。現状でも余り良くない環境が悪化しそうってのと、特例で龍組に入れるとなると過保護なぐらい付き合わないと危ないと思うんだよね。ボクもずっと側に居られる訳じゃ無いし、皆の意見を聞いた方が良いかなーって思ってさ」
「成る程。……それでしたら兄様が先生方に挨拶している間に私から皆さんに話しておきますか?」
「そうしよっか。最悪、ボクが直接見るから強制はしなくていいからね」
「畏まりました」
返事と共に〝門〟を潜り抜けたモミジの視界に広がるのは、青では無く、蒼と呼ぶべき色の空。
そこに浮かぶ幾つかの浮島の一つに建つ建物こそが、モミジの通う学び舎であり、アオバの管理する学園なのだが──
「全く。キミ達はホントに美しくないね。少しは僕を見習いたまえ。美しいだろう?」
「ナル氏、ナル氏。みんな気絶してますぞ」
「……ふっ。何もせずとも気絶させてしまうこの美貌が憎い」
「殴って蹴って気絶させたので、美貌かっこ物理かっことじですなぁ」
「馬鹿な事言ってないでお前らは負傷者を医務室に運べ。女子の内三人ぐらいでそこの下級生を教室に連れて行って事情を聞き出せ。残りは抉れた地面の均しだ。ほら、さっさと動け」
『『『うーい』』』
──見覚えのある面子が、朝からはしゃいでいた。