1-7 チュートリアル
翌日も定時に仕事を終えてコンビニで夕食を買い、少し早足で家まで帰ってきていていた。
「どれだけゲームしたいんだよ」
ここ最近のゲーム熱が冷めていた自分に、こんな気持ちが戻ってきている事に、若干呆れながらも少し嬉しさも感じていた。
飯も食い終わってトイレにも行った。PCはすでに起動してあるしHMDとモーションコントローラーも装着済み。さて、始めますか。
「one’s online 起動」
ブラックアウトしていく画面を眺めると、昨日と同じように、あの市役所の待合席へと視界が移っていくのが映し出された。
今日は順番待ちの番号が書かれた紙を持っていない、黒いモヤモヤの両手っぽいものが視界に入ってきた。
周囲を見回すと、昨日のあの場所である事は間違いなく、3番窓口の男性、たしか山田太郎も別の黒いモヤモヤ相手に話をしていた。
「新しいプレーヤーなのか」
ふと横から視線のようなものを感じで、自分の右側に並ぶ椅子の何番目かに目をやると、そこには黒いモヤモヤが座っていて、顔や表情は判らないけど、なんとなくこっちを見ている気がして、しかも目が合っている感じがしたので、思い切って挨拶してみた。
「あ、こんばんわ」
「え! あ、こ、こんばんわ」
女性の声だった。たしか昨日同じ場所に居た人の声のような気がする。手にも番号札を持ってないので、自分と同じで、これからチュートリアルなのだろうか。
「今からチュートリアルですか?」
「はい・・・あの、他のオンラインゲームってあまりやったことなくて、よくわからないんですけど、だいたいこんな感じなんですか?」
いきなりMMOビギナーがこんなゲーム始めちゃうって、ちょっとハードル高いんじゃないだろうか?
「いやぁ、さすがにこのゲームは特殊な部類に入ると思いますよ。自分もこれからチュートリアルなので、まだ詳しい事は全然判らないんですけどね」
「はぁ・・・やっぱり特殊なんですね、このゲームは」
ツカッツカッと誰かが歩いてくる音が聞こえたのでそっちを見ると、昨日2番窓口に座っていた人がこっちを見て立っていた。名前はたしか、佐藤アンダーソン。
「キャラクターネーム レン様」
「あ、はい」
「これよりチュートリアル会場へと転送させて頂きますが、よろしいでしょうか?」
「はい。お願いします」
急にスーっとブラックアウトしていき、次に別の映像が映し出されてきた。
焦点が合い始めて気付いたのは、黒いモヤモヤだった自分の手が、普通の手になっていた。長袖の麻のシャツっぽいものを着ているし、ズボンは少し厚めの生地に仕立て上げられている。足には学校の上履きチックな、へろへろした薄皮で出来た靴っぽい何かを履いていた。
そしてこの場所は四畳半ほどの個室のようで、木製のショぼいベッドが置かれ、窓が開けられて外から光が差し込んでいた。
日の角度から、朝か夕方なんだろうけど、感覚的に朝日のような気がしてきた。季節は春あたりか。気温は感じないが木々の様子で勝手にそう判断する。
朝起きて、ベッドから起き上がって端に腰かけている状態が、まさに今のこの状況だった。
窓の外に目を向けると、少し離れた場所から深い森が続いているようで、でも嫌な感じではない、どことなく整備されたような森だったので、いきなりモンスターが出てきて戦わせられるチュートリアルじゃないなと、少し安心できた。
ゲームにありがちな、あのいきなり実戦投入型のチュートリアルは、判りやすいんだけどリアリティに欠けるというか強引過ぎるというか、なんか今一つ好きになれないんだよね。
「とりあえず、外に出てみますか」
立ち上がって歩き出し、木製の扉の閂を外して押し開けると、外にはテニスコートほどの広場が広がっていて、その中心に、腕を組んで目をつむったまま仁王立ちしている軍曹殿がすさまじい存在感を放っていたので、あわてて扉を閉めて部屋に戻った。
「やっぱ強制バトル型のチュートリアルじゃねぇか!」
ちょっと心臓がバクバクしていたので、落ち着くのを待ってそーっと扉を開けてみる。
2mはあるかもしれない身長。つるっぱげのスキンヘッド。日焼けしまくった肌色。服装はたしかにファンンタジーゲームにありがちなレザーアーマーって感じだけど、腰にごっつい剣を装備。
「迷彩服着せたら間違いなく軍曹殿だ」
カッと目を見開いてこっちを睨む軍曹殿と目が合ってしまった。
やばい、こっちは武器が無いんだけど・・・
「おお、よく来たな。それではチュートリアルを始めるぞ。そんな所に居ては何もできないぞ。」
くっ、仕方ない、行くか。
恐る恐る近づいていくが、いきなり切りかかってくる気配は無いので、少し安心した。
「あの、はじめまして、レンです」
「うむ。ワシはチュートリアルを担当する、バルザックという。まぁ呼び方は好きに呼んでくれてかまわない」
「あ、じゃぁ軍曹殿と呼ばせてもらってもいいですか?」
「・・・・・ワシが担当する者はみな、そうわしを呼ぶんじゃが、何故じゃ?」
元ネタは知らないし、かなり昔のネタらしいんだが、ゲームやアニメなんかでは、この見た目で教官的ポジションの人は、呼称が軍曹殿と相場が決まっている。
「いや、そのまんまだし・・・それよりも、担当って、チュートリアルは軍曹殿以外にも担当者がおられるのですか?」
「もちろん、わし一人で全員担当するのは疲れるからな。それに女性の前にいきなりわしが現れたら、引かれるか泣かれる」
まぁ確かに、泣くわな。いや、逃げるわな。 ん? あれ?
「女キャラだけど中身男の場合はどうなるんですか?軍曹殿」
「もう完全にその呼び方で決まったようじゃな。まぁ好きに呼べと言ったので構わないんだが。
アバターは恐らく、リアルワールドの自分自身に近いから、性別を偽ることは難しいと思うぞ。」
え!?
「キャラメイクっぽいのをやった気がしたんですが、紙の右半分にイメージしろって言われて・・・」
「キャラクターメイクなんて、一言も言ってなかったと思うぞ。それに反映されるのは左側にイメージした
部分と、HMDの脳波入力からスキャニングした本人の情報だ」
「・・・・・」
「あと、one’s onlineはリアルに近いゲームだと何度か説明があったはずだ。リアルでいきなり女になれるのか?」
「なれないです、sir」
「まぁ気を落とすな。女キャラ使ってエロい事しようとするのは妄想の中だけにしろ」
「いや、男キャラ使いたかったので、それは問題ないのですが、なんというかあまりにゲームっぽくないので、ちょっと驚きました」
「うむ。たしかにゲームっぽくは無い。いや、ゲームではない。リアルだとでも思っていた方が、今後失敗する事も無く無事に暮らせると思うぞ。
たぶん勘違いしているだろうから初めに言っておくが、レベルやHPやMPなんてのも、ステータス画面なんてのも、ストレージすらも無いからな。」
一瞬フリーズした。もう何度驚かされたはずなのに、まだ引き出しがあったようだ。
まさかとは思っていたが、その可能性がある事も薄々考えていた。HP無きゃバトルはどうなるんだ?攻撃食らったら終わり?
いや、表示が無いだけで、数値としては存在するはずだ。リアルだけど、ここはゲームなのだ。
「すみません、思考の深みにハマりかけてました。続けて下さい」
「よし。ではまず、アバター操作の説明からだ。そこの箱から1本剣を取ってきてみろ」
見るとカギ穴が無い宝箱ぽい見た目の木箱が、テニスコートほどの広場の隅に置かれていた。自分の行動を思考すると、脳波入力がそれを読み取ってアバターにタイムラグなく伝える。木箱を明けると、安っぽい年期の入った木剣が数本入っていた。
適当な長さの片手剣を取り上げ、軽く一振り。といっても感触があるわけでもなく、行動が映し出されて確認出来るだけなのだが。
そして軍曹殿の方に歩いて戻った。
「よし、戻ったな。ではこれより、すべてのリミットを解除してone’s onlineの世界と同じ状況に移行する。これ以降、死亡はすなわち、即アカウント失効となるので、気をつけるように」
その瞬間、視界は同じなのに世界が切り替わった感じがした。
手に持つ木剣の重さが感じられ、顔に当たる風、木々の匂い、麻の服の肌触り。
「これは! ・・・フルダイブシステム! 完成していたのか!?」