花火
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ヒュルヒュルと上がり、パーンと派手な音を立てて散っていく花火を見るたび、あたしは夏も盛りを過ぎたのねと思うようになる。花火大会の会場をゆっくりと歩いていく。確かにあたしも恋人の尚也と出会ってからある程度の年数が経ち、交際は順調だ。今年三十四になるあたしとは五歳違いで、彼は今二十九だ。互いに浴衣を着たラフな格好で打ち上がる花火を見つめながら寛ぎ続けた。ずっと手を繋ぎ、会場となっている川の土手に座り込んでゆっくりとし続ける。夜空に咲く大輪を見ながら思った。夏も終わるのねと。時間が経ち、土手から立ち上がって揃い踏みで歩きながら、持っていた冷たいジュースの缶に口を付けた。そして歩き続ける。大勢の人に紛れ込んで。あたしも尚也も気に掛けているのだった。お互い普段の仕事で疲れてしまっていることを。だけど彼はあまりそういったことを口に出さない。普通に仕事のことは忘れてしまっている。あたしも気分を変えようと思い、夜空に打ち上がる火の華に目を転じた。いろんな色の火花が一瞬咲いては、その後すぐに散っていく。その繰り返しだった。ゆっくりと土手を歩きながら、人込みに紛れ込む。中には子連れのカップルなどもいた。あたしもいずれ尚也とああなればいいと思っていた。すると彼が、
「おう、子供連れてるママさんがいるね。俺も早く父親になりたいな」
と言った。
「いずれなれるわよ。あたしだってまだ妊娠できるんだし」
「ああ。千晴もいいお母さんになれるよ。それは俺が保障する」
尚也も楽天的な性格だ。何もかもを達観したところが彼の長所なのである。どんな物事にも動じないのが彼のいいところだろう。あたしもそんな尚也が好きでいるのだった。結婚すれば姉さん女房になるのだが、別に年が離れていようが関係ない。それに彼もあまり若い女性ばかりを好むわけじゃなくて、あたしぐらいの年齢の女性が好きでいるようだった。思いは通じ合っている。ゆっくりと夏の夜が更けていくのだが、別にいいのだ。これがあたしたちぐらいの大人の男女の付き合い方だと思えば……。
*
「もうすぐ花火大会も終わりね」
「ああ。夏の風物詩ってやつだけど、これが終われば、また次は来年の夏まで見れないからな」
「ええ。でもロマンチックだからいいわね。花火っていつ見ても」
「そうだな。俺も普通にこんな光景っていいって思えるし」
「お盆休みが終わったら、またお互い仕事ね」
「うん。……でも何とかこの季節乗り越えられそう。俺も最近心配事がいっぱいあったから疲れてたし」
「尚也も案外気が小さいのね。そんなに悩むことあるの?」
「ああ。俺なんか悩みっぱなしだよ。職場の人間関係とか、上司の口うるささとか」
「そう?そんなに今の仕事きついの?」
「うん。でもね、吹っ切れた気がする。ずっと同じ悩みが続くわけじゃないし、疲れたときは休めばいいからな。人生ってそんなところが上手く出来てるんだよね」
「そうね。あたしもそう思った。ゆっくり歩いていけばいいのよ。焦らずに。楽しいことなんていくらでもあるんだから」
あたしも彼を応援する。普段ずっとパソコンばかりで、二十代後半だから部下や後輩たちもいるのだろう。サラリーマンにとって息抜きは休みの日だ。尚也は休日は相当眠っている。あたしも休みの日の朝は彼のスマホにメールを送るのだが、別に無理やり起こすとかじゃなくて、普通に<おはよう>という件名で始め、絵文字や顔文字などを入れた文面をサラッと一通り打って送信している。彼からの返信が遅れることもあったのだが、そのときは遅くまでベッドに横になっているのだろうと推測し、<午後から会える?>と一言打って再送信していた。普段別の場所に住んでいるのだ。籍を入れてなくて半同棲状態なのだが、別にそれでもいい。あたしも昼間は隣街の会社で仕事をしているのだし、彼もずっと仕事漬けだった。互いに余計に干渉し合わないのが大人同士の恋愛というものだろう。そういったことが痛いぐらい分かっているのだった。二十代や三十代となると、成熟した大人である以上、お互い深く理解し合うことが大事だと思う。そんなことを感じつつあった。いつもは何かとフロア内が騒がしいのだが関係ない。絶えずパソコンのキータッチ音が聞こえるのだし、電話やファックス、プリンターなども作動し続けている。そういった環境に居続けて疲れない方がおかしい。昼になるとパソコンをスタンバイ状態にしたまま、ランチ店などに食事を取りに行く。そんな毎日がずっと続いていた。
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花火を見終わり、辺りが暗くなって大会が終了すると、どちらからともなく裏手の神社へ歩き出す。幾分疲れていたのだが、ゆっくりと歩いていった。夜道で暗いのだが、神社の境内の隅っこに着いて、互いに唇を重ね合う。甘い口付けを繰り返した。あたしも最初当惑していたのだが、これで尚也との愛情を再確認できた。愛し合っている証拠だ。互いの意中も手に取るように分かるのだし……。口付けが終わった後、抱き合った。誰も見ている人間はいない。安心しきっていた。二人の間にかけがえのない愛があることは自覚できていたのだから……。ずっと思っていた。彼はあたしの大切なパートナーだと。今夜打ち上げられた花火はまるで二人の間の愛を象徴するように思われた。色とりどりで。ゆっくりと抱きしめ合う。互いに思いは通じ合っていたので。そしてあたしもキスの余韻を感じながら、ゆっくりとその場に佇む。こういった場を迎えるのは実に貴重だった。あたしも夏の夜空の蒸し暑さは念頭にあったのだが、こうやって彼氏とキスし合えるときは貴重だ。もちろん休日になり、自宅マンションを訪問し合えば、遠慮なしに抱き合って体を重ね合うのだが……。口付けと抱擁を終えた後、何でもない風をして神社を出た。歩きながら互いに手を繋ぎ合う。何も言うことはなかった。普通に夜道を歩きながら、改めて夏の夜の蒸し暑さを感じ取る。浴衣を着ていたのだが、肌は汗でベトベトだ。帰宅したらシャワーを浴びるつもりでいた。自分の部屋で、である。ここから自宅マンションまで近い。歩いて十五分ほどだ。尚也も来ると言っていた。混浴し、今夜は泊まる気らしい。あたしも彼が泊まるための準備は出来ているのだった。ちょうどタオルケットとシーツは洗って乾燥させていたのだから……。歩きながら考え続ける。これからもずっと一緒にいようと。寄り添うと互いの体に付けていたデオドラントの香りが混じり合う。極自然なのだった。恋人同士にとっては。そして揃った形でまだお盆休みを過ごせる。一際楽しく、おまけに自由に。さっきの口付けのときの尚也の唇のしょっぱさがまだ残っていた。ほんのわずかながら、だったが……。
(了)