◇6
「あー……朝だ……」
朝日が顔にあたり、眩しくて目が覚めた。カーテンも引かずに寝入ってしまったらしい。
辺りはしんと静まりかえっている。結局昨晩はあのまま泥のように眠ってしまったが、あの二人はどうしただろう。
「っていうか、着替えとかどうすんの……」
昨日は着替えもせずに寝てしまったため、服がグッチャグチャだ。これをそのまま今日も着用するのは抵抗がある。
まだ半分頭が寝ているのを無理やり覚醒させ、部屋を見回す。15年前私が使っていたこの部屋はそのまま綺麗に保存されており、クローゼットを開くと、私がここで着ていた服が何着か吊るされていた。多少古びてはいたが、袖を通すのに何の不都合もない。これでいいや。
部屋を出ると、綺麗に片付けられた食卓でジョセフさんがお茶を飲んでいた。私が起きてきた事に気づくと、にこりと爽やかに微笑む。本当、この人も見た目だけはいいよね。
「おはよう、早いね」
「おはようございます。すみません、昨日は後片付け任せちゃって」
「いいよいいよ、タダ飯食わせてもらった礼だとでも思ってくれれば。よく眠れた?」
「ええまあ、おかげ様で。アーディンは?」
「撃沈中。あいつが酒弱いの分かってて飲ませた僕のせいだけど。あはは」
ひでえ。いや、アーディンが暴走する前に先手を打ってくれたと思えば有難いのか。
「まあそろそろ起こさないとね。仕事もあるし」
「仕事になるんですかね」
「医務室で治癒魔法かけりゃ復活するよ。行きはちょっと引きずっていかないと駄目かもしれないけど」
笑顔のまま鬼のような台詞を吐くと、ジョセフさんは飲んでいたコップを置いて立ち上がった。
「さて、ちょっと手伝ってくれる?」
◇◆◇
昨夜グダグダだった酔っ払いは、掛け布団を抱き枕状態にして、ピクリともせず横たわっていた。
長いまつげはしっかりと閉じられ、完璧な曲線を描く眉は軽くしかめられている。顔色が青白いのは二日酔いのせいだろうに、肌が綺麗なもんだから陶器の人形みたいだ。そして、それに彩を添えるかのようにシルバーブロンドの髪が、一筋はらりとかかっていた。
「何、このリアルで少女マンガみたいな男」
「少女マンガって何?」
「……夢見がちな乙女の幻想を形にした、私の世界の読み物です」
「あー成る程。でもこいつ、中身でぶち壊しじゃない?」
あんたが言うな。
「それはともかく、起こさなくていいんですか」
「うん、よろしく」
「……私に起こせと?」
じろりと視線を飛ばすと、笑顔でバリアーを張られた。手ごわい。
「だってほら、調子の悪い朝にいきなり野郎の顔拝まされるよりは、女の子にやさしーく起こしてもらう方が嬉しいじゃない」
「私は優しく起こしたりしませんよ。それに不用意に近づいて寝台に引っ張り込まれるのは御免です」
「大丈夫、そのための僕だから」
私がメインであんたはオプションか!
さあさあ、と背を押され、私は仕方なくアーディンに近づいた。1mほど距離をあけた所から、とりあえず声をかける。
「ちょっとアーディン、大丈夫? 朝だけど起きられる?」
「……う」
やや掠れた、吐息交じりの壮絶に色っぽい声がかえってきた。駄目だ、これは駄目だ。全身に鳥肌が!
私はさっさと白旗を揚げた。
「じ、ジョセフさん無理です、こんな危険物に近寄りたくない!」
「君も結構ひどいよねえ、色々と」
「だってこれ、もはやフェロモン垂れ流し兵器じゃないですか! 騙される女の子を出さないためにも適切な処置をお願いしたく」
「………………泣いていいかな、俺」
「やあ、おはようアーディン」
危険物、もといアーディンは眉間を指でほぐしつつ、ズルリとその身を起こした。本調子でないのはあきらかで、上半身がややフラついている。
「なんでこんなに頭が痛いんだ……昨日の記憶も途中から曖昧だし」
「ちょっと飲みすぎちゃっただけだよ。お前が記憶飛ばすほど飲むのも珍しいけど、まあ料理も美味しかったもんね」
しれっと返答するジョセフさん。
あんたが飲ませたんじゃないか! と突っ込みたかったが、それを言ってしまうと藪から蛇をつつきだしかねないので、私はひたすら沈黙を守っていた。
「というわけで。体調が優れない所、まことに申し訳ございませんが、本日は研究報告会議の予定ですので出勤の準備をお願いします」
ジョセフさんは、微笑みはそのまま友人モードから秘書モードに切り替えた。やはりこの人は鬼だ。
◇◆◇
結局、出勤する二人に着いて、私は今日もまた魔道研究所に来てしまっていた。アーディンの家で待つのも変だし、かといって他に行く先もなかったのだから仕方がない。
顔面蒼白でフラフラしていたアーディンは、ジョセフさんに引きずられて医務室へと消えていった。一人残された私は、とりあえず休憩室へと向かう。またかと言われそうだが、職員じゃないので行ける場所も限られているのだ。
今後の自分の身の振り方を、真剣に考えなくては。
出来ることならとっとと自分の世界に帰りたいが、自力では無理。アーディンは帰さないと明言しているので頼れないし、ハロルドさんは田舎に引っ込んでしまっている。しばらくこっちの世界で凌ぐしかない。つまり、何とか一人で生活する手段を見つけなくてはならないわけで。
「どっか住み込みのバイトとか募集してな……うぶ」
突如私の視界が、飛来する何かによりベショっと塞がれた。なにこれ。
「あ! それ逃がさないように捕まえて!」
カツカツと軽い足音と共に声がした。私は反射的に、顔にはりついたそれを両手で掴んで引き剥がす。
手の中のそれはキイキイと高い声をあげてもがいている。コウモリのような羽根のついた生き物だ。いわゆるインプと呼ばれるそれは、全身赤褐色で年老いた老人のような顔をしていて、正直可愛くもなんともない。おそらく研究所のどこかで、召喚実験として呼び出されたのだろう。
「ありがとう、助かったわ。ちょっと目を放した隙に、実験体が逃げ出しちゃって」
先程の声の主がやってきた。おおう、何と言うゴージャス美女。別に格好が派手なわけではないのだが、目鼻立ちがはっきりくっきりしているので雰囲気が派手だ。地味な私と、女という同じカテゴリでくくるのも気がとがめる。こんな美女もここにお勤めなのか。
「いえいえ。はいどうぞ」
「……あら、あなた」
美女は受け取ったインプを、その手に持っていたカゴに乱暴につっこむと、改めて気がついたように私の顔を凝視した。
「あなた、所長が昨日呼び出した子じゃない?」
「……はあ、まあそのようなものです」
ああ、バレている。まあ昨日あれだけ騒いだんだから、面が割れてても仕方ないか。
私が頷くと、美女は嬉しそうにその手を私の腕に絡めてきた。なんだなんだ。
「やだ、かーわいい! ね、あたくしの研究室へ来ない? おいしいお菓子があるから、是非一緒にお茶しましょう」
「は? いや、私は」
「それに異世界のお話も聞きたいわあ。昨日はあなたたちが帰った後、研究所内大騒ぎだったのよ。推測や憶測が乱れ飛んで」
なんだと。ややこしい話になっていないだろうな。せっかくだから、現状把握しておいた方がいいかもしれない。ついでに、いいバイト先の情報なんかも仕入れられれば御の字だ。
「それじゃあ、ちょっとだけ」
「いらっしゃいいらっしゃい! さ、こっちよ!」
美女は私の手を引くと、うきうきとした様子で研究室へと私を誘った。