◇5
「何しに来た!」
私を追って玄関に来たアーディンが、ジョセフさんを見るなり眉毛を吊り上げて怒鳴りつけた。私の気持ちを代弁してくれてありがとう。本当に何しに来たんだジョセフさん、毎度毎度の神タイミングなのは感謝するけど、その真意を知るのは恐ろしい。
例によってアーディンの怒りの波動をスルリと流し、ジョセフさんは足取りも軽く家の中に入ってきた。
「そう怒るなよー。折角の噂の手料理、ご相伴に預かれるチャンスなんだから。これはもう来るしかないじゃないか」
「……噂?」
私がゆっくりと振り返ると、アーディンがぶんぶん顔を左右に振っていた。
「言いふらした訳じゃない! 昔…………ちょっと、こいつに話しただけだ」
「学生時代、学食で昼メシ食う度に言ってたよねえ。"こんなの不味くて食えない、ミヤの料理が食いたい。味が全然違うんだ"って。それ横で聞いてた女子生徒が学校中に広めてたぞ。アーディン様を落とすには、料理の腕が必須だとかいって」
「ちょ」
「何だそれは、初耳だぞ!」
「だってお前に教えちゃったら面白くないじゃないか。知ったら火消しに走るだろ」
あわてて詰め寄るアーディンを、ジョセフさんは嬉しそうに笑い飛ばした。本当に友達同士なのかあんたら。それにしてもこの人、タチが悪すぎる。愉快犯ってレベルじゃない。
「まあそれで、割と興味あったんだよね。人見知りするこいつを、胃袋で掴んだ女性とその料理」
「胃袋で掴むとか、ホラーみたいな言い回しやめてくれませんか」
「一応手土産も持ってきたからさ。ほらほら、お菓子だよ~」
ジョセフさんは、その手に提げていた包みを大げさなゼスチャーで捧げ持ち、私に近寄ってきた。
「……一応アーディンのブレーキ役だから、僕は。奴が暴走する前に止めてあげよう。有難いだろ?」
そして後半の台詞を小さく耳元で告げるとニヤリと笑った。えーと。
「……とりあえず、具材増やすわ」
「わーい、楽しみだなあ~」
「お前、厚かましいぞ!」
まあ、あれだ。急に人数増えても対応できるメニューでよかった。
◇◆◇
「アーディン、これ机の上に運んで」
「分かった」
さすがにこっちの世界に土鍋はない。というわけで代用品として大きい金属鍋を使っている。具が山盛り入っていてとても女の私には持ち上げられないので、ここは立派に育ったアーディンをこき使う事にする。こういう時ばかりは男手万歳だ。
「僕も何か運ぼうか」
そつのないジョセフさんが、絶妙なタイミングで助力を申し出た。本当に気が利くな、この人。だから秘書とか務まるんだろう。
「じゃあ、みんなの分の取り皿持ってってください」
「スプーンも持っていくね」
ひょいひょい、と他にも必要そうなものを勝手に判断して持っていってくれる。これは結構ポイント高い。まあ、それらを凌駕するマイナスポイントが性格の方にあるんだけど。
鍋と食器類を運んでしまえば、もう後は食べるだけだ。全員着席。
ぐつぐつ煮える鍋を興味深げに眺めていたジョセフさんが歓声を上げる。
「うわあ何これ、いい香り」
「何といわれると、適当鍋としか」
目に付いたもの適当に切って入れてるだけだし。味付けも特に凝ったことはしていない。鍋は具材から出るうまみが全てだ。
「適当に煮えたやつから取って食べてください。食べた分新しい具を足す感じで」
「了解~」
「アーディン、肉だけ選り分けて食べてたらぶっ飛ばすから」
「なっ、流石にもうそんな事はしない!」
私が今までのクセでそう言うと、アーディンは赤面して反論した。半年かけて野菜嫌いを克服させた甲斐があったか、今のアーディンは好き嫌いがなくなったようだ。結構結構。
さて、私もこの空きっ腹を満たす作業に集中しよう。
気が付くと、全員無言でひたすら鍋をつついていた。
普通、鍋を囲んだら話が弾むもんじゃないのか。なんで全員食べるのに必死なんだ。アーディンはともかく、ジョセフさんまで沈黙したままモグモグやっているのが意外だ。言語に絶する不味さなんだったら困るし、一応聞いておくか。
「お口には合いましたか」
「ん!? あー、うん。ごめんごめん、言葉忘れちゃってた」
声をかけると、ジョセフさんは我に返ったように一息ついて苦笑した。
「いやあこれは美味いよ。アーディンの言うこと、実は話半分に聞いてたんだよね。惚れた弱みで評価の底上げしてるんじゃないかって」
「ジョセフお前、それは聞き捨てならんぞ!」
「あははご免って。だからちゃんと訂正してるじゃないか」
「それはこっちの世界の料理の基準がアレなだけで。この程度でそんなに感動できるんなら、私の世界で料理上手と呼ばれる人の料理食べたら、こっちの人って美味さに失神するんじゃないですか」
「そんなに!?」
鍋は誰が作ってもそうそう失敗しないし。本当、この世界の料理ひどすぎ。出汁とか旨みとか隠し味とか、そういう要素がスッポリ抜け落ちてる。
私がそう説明していると、横でアーディンが深い溜息をついた。
「……だから、一度この味を知ってしまうと他のものが食えなくなると言ったんだ」
「だろうね。納得した。それにしてもこれ、何か飲みたくなる味だよねえ」
「ああ、私の世界では鍋つつきながらお酒のむのが割と普通ですよ」
それを聞いたジョセフさんの目が輝く。
「そうなんだ! アーディン、何か飲んでいいかな」
「酒蔵に行って適当に好きなの取ってこい」
アーディンはジョセフさんを見向きもせずにそう言った。視線は目前の鍋に集中している。そんなに飢えていたのかアーディンよ。
酒蔵に行ったジョセフさんは、何本かワインを見繕って戻ってきた。
「お待たせ~、何でも合いそうだったから適当に持ってきちゃったよ」
「一応私未成年なんで、二人で飲んじゃってください」
私は酒を注がれないように、手元のコップを握り締めて宣言する。この連中の前で酔うとか危険すぎる、絶対素面を死守しなくては。
そう言わずにーとかいって絡まれるかと思ったが、私の考えを読み取ったのか何なのか、ジョセフさんはへー残念、と軽く流すだけに留めてくれた。
「じゃ、まずはこれ開けようか」
ポン、といい音がしてワインが開封された。
◇◆◇
一時間後。
そこには、ほぼ食べつくされた鍋と、まあ普通に満腹になった私と、結構飲んでた癖に顔色一つ変わっていないジョセフさんと、あわれぐだぐだになったアーディンがいた。
ジョセフさんが強いのはまあ想定内だからいいとして、アーディン、弱っ! こんなに酒に弱かったのか。
「みーやー」
「重っ!」
しかも絡み酒。酒臭い息を吐きつつ、背後から私の肩に顎を乗せてくる。ちょ、ストッパー役、仕事はどうした!
「はははは、それぐらい許してやってよ。本気でやばくなる前には止めるから」
「この役立たず! アーディン重い、離れなさい!」
「なんでそんなに冷たいんだ……昔はもっと優しかったのに……」
アーディンはじわりと瞳を潤ませた。酔いのせいで感情の振り幅が大きくなっているらしい。酒のせいでピンクに上気した肌と、涙ぐんでキラキラ輝く緑の瞳はかなりの破壊力だが、中身はただの酔っ払いだ。
「私より年上の大人相手になんで優しくしなきゃならんのよ。それに、子ども扱いしたらしたで怒る癖に」
ぐいと押しやると、そのまま壁にゴンと頭をぶつけて停止。数秒後にはグスグスと泣き出した。絡み酒で泣き上戸とかどんだけだ。
「ううっ……こんな冷たくされるんなら、子供のまま会いたかった」
「無茶言わないでよ」
「……子供の頃だったら、目一杯触り倒しても何もいわれなかったのに」
「は?」
「間違えたふりして着替え中に部屋に入っても怒られなかったし」
「おい」
「ミヤが帰った後、ミヤの部屋でお」
「はーいここまでー」
非常に気になることをアーディンが吐こうとした瞬間、私の両耳はジョセフさんに塞がれた。
「や、ちょっとジョセフさん! 今の超気になるんですけど!」
耳を塞がれたまま別室に誘導され、ようやくそこで開放された私が訴えると、ジョセフさんはにこりと微笑みを浮かべた。
「同じ男からのお願いとして、あれは聞かなかった事にしてあげて欲しいなあ。っていうか、君が聞いたことを酔いが冷めたときに知ったら、あいつ自殺しかねないから」
「……にしても」
「まあ酔っ払いの戯言だと思って忘れてあげてよ。後片付けは僕らでやっとくから、君はもう休むといい。念入りに酔わせといたし、あいつも夜這いはかけないと思うよ」
「やっぱりわざと飲ませまくったんですか……」
ジョセフさんは見事なウインクを一つ決めると、アーディンの元へと戻っていった。
……………………疲れた。