◇3
「おおい、待って待って!」
休憩室を目指して歩いていると、背後からさっきの職員さんが追いかけてきたので立ち止まって迎える。放っておくと迷子になるとでも思われたんだろうか。
「どうもお疲れ様です。お仕事忙しそうなのにいいんですか、私なんかの相手しなくても大丈夫ですよ」
私がそう言うと、職員さんは苦笑しながら頭を掻いた。茶色い髪が柔らかそうだ。
「まあそうなんだけどね。所長が書類片付ける間、君がどこか行かないように見てろって言われちゃったから。この際思う存分休憩しようかと思って」
「そんな事に部下使うとか、職権乱用……」
「あれでも普段は優秀なんだけどねえ。何だか目の色変わってて、流石に突っ込めなかった」
優秀だったのか。確かに冷静に考えて見ると、20代で所長とかとんでもない気がする。親……じゃない、祖父の七光りとかでも普通は周りが納得しないだろうし。ということは本当に有能なのか……人間性に問題ありそうだけど。
この際、この人から色々と情報を得ておこう。15年分の空白を埋めておきたい。
「まあ立ち話もなんですし、お茶でも飲みながら話しませんか」
「それはいいね。僕も色々話がしたい」
休憩室に着くと、職員さんはさりげなーく私が座る椅子を引いてくれる。普通の娘がこんな扱いされたら、うっかりときめいてしまうんだろうなあ。私は残念な娘なので適応外だが。
「どうもありがとうございます」
「どういたしまして。ところで君、どこから召喚されてきたの」
「ああー、その辺説明しときますか」
私たちは茶をすすりながら、お互いの自己紹介と状況説明をした。
職員さんの名前はジョセフ。アーディンと同期で研究所に入ったらしいが、今はアーディンの秘書のような事をやっていると説明してくれた。一応アーディンの方が役職的に上なので、勤務中は丁寧な口調で接しているようだったが、実際のところは友人らしい。
「実は学生時代からの腐れ縁なんだよ。秘書なんて面倒なもの、辞退しようと思ったんだけどね。奴を御せる人間って限られてて。結局僕が受けるはめになっちゃった」
問題児扱いじゃないかアーディン。頭はキレるけど、人の言うこときかないタイプだもんなあ……大人になって、社会適合して多少は丸くなったのかと思ってたけど、その辺は変わってないらしい。
「それは、なんていうか色々とお疲れ様です」
「あはは、もう慣れたけどね。……だから、尚更さっきのには驚かされた」
「さっきのですか」
「君に嫌いになるって言われただけであの反応だろ。実は爆笑を耐えるので腹筋がかなり辛かった」
ジョセフさんはニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべた。ああ、爽やかそうなマスクが台無しだ。でも多分これがこの人の素なんだろう。しかしあの時、この人は顔色一つ変えてなかったのに、実際は必死で笑いをこらえてたのか。侮れない。
「いやあ面白かったね。あいつ、見てくれがアレだから大抵女の子の方から寄ってくるんだよ。その点に関しては苦労知らずと言っていいね。自分から追っかけた事、ないんじゃないかなあ」
「うわあ」
私の中でアーディンの立ち位置が豪快にランクダウンしたが、誰が私を責められよう。
珍妙な顔で話を聞いていた私を見てフォローすべきと思ったのか、ジョセフさんが少し真面目な顔をした。
「あ、でも一応あいつの名誉のために言っとくと、僕の知る限りじゃ全然相手にしてなかった。ていうか寄って来るなって感じで冷たい対応しかしてなかったな。研究所内の女の子とかさー大変だったよ、機嫌そこねちゃって。僕がその辺の人間関係を円滑にしなきゃいけなくて、胃に穴あきそうだった。お前ら外でやれって感じだよね」
全然フォローになってない。
「アーディン、まだ人間不信気味なの治ってないんだ……まさか全然内面が成長してないんじゃ……」
「そうか。君、15年ぶりに呼び戻されたんだっけ。なるほどー。君があいつの運命の人かー」
ジョセフさんの爆弾発言にブハっと思い切り茶を吹いた。ああごめんなさい、卓上が惨憺たる有様に。……しかし運命の人ってなんだそれ。アーディンめ、そんな事あっちこっちで吹聴して回っているようなら、少々制裁を加えねばなるまい。
「そんなふざけた事言ってましたか、アーディン」
「いや命名は僕だけど。あいつ学生時代に、鬼気迫る勢いで勉強し続けてぶっ倒れたことがあって。何をそこまで必死になってるんだって聞いたら、熱っぽい目で、どうしても呼び戻したい人がいるんだって」
うわあああ、やめてええ。むず痒くてじっと聞いていられない、どんな拷問だこれ。もう耳を押さえて叫びながら走り回りたい。っていうかジョセフさんのセンスですか運命呼ばわり。
「あーこれは相当いかれてるなと思って、どんな人なんだって聞いたら」
「分かりました! もういいです!!」
えーいい所なのにーなどと残念そうな声を上げるジョセフさんを黙殺する。これを聞かされ続けるぐらいなら、自分の恥ずかしい過去を暴露される方がまだましだ。
ジョセフさんは、一旦引っ込めていたニヤニヤ笑いを再び浮かべ、私を見つめた。
「どんだけだよって思ってたけど、君見てるとなんとなく分かるなあ。何か構い倒したくなる空気があるよね」
「嬉しくないんですが、その評価」
「飄々としてる割に隙だらけというか。達観してるようでいて実は初心な感じが男心を絶妙にくすぐるというか。これで年上だったとか、手料理食わせてもらってたとか、そりゃああいつもコロっといくよねって」
ぞわっと腕に鳥肌が立った。
何だこの人! 分かっててわざとやってるだろう! 現に私の反応みて喜んでるあたり、絶対S属性だ!
「それ以上言ったら飛んで逃げますよ」
「一応見張っとけって言われてる手前、それはまずいなあ。じゃあこの話はここまでにしよう、残念だなあ」
私が精一杯の抵抗を見せると、ジョセフさんは肩をすくめてふんわりと微笑み、ようやく話を打ち切ってくれた。まさに虫も殺さぬ笑顔で。アーディンよりよっぽど曲者なんじゃないのかこの人。少なくとも私の苦手なタイプには違いない。
「……なんだかどっと疲れた……」
「あははは。よっぽどこういう話苦手なんだねえ、あいつも報われないなあ。あ、もう一杯お茶飲む?」
「いえ、もう結構です……」
その後もジョセフさんはにこにこと笑みを崩さず、私の世界の話などを興味深げに聞いていた。ちょっと油断すると、すぐ私をからかう方向へと行くので、話す内容には細心の注意を払った。
「へええ、魔法のない世界なんだ。不便そうだけど」
「そうでもないです。それを補って余りある技術があるので。明かりの魔法の変わりに電気とか」
「電気?」
「なんていうか、ものを動かすエネルギーとでも言えばいいんでしょうか。例えば……」
無難に、無難に。餌を与えないように。
薄氷を踏んで渡るような、精神力を要する会話は、数時間に及んだ。
私的にはもうクタクタに疲れる会話だったのだが、傍目には和気藹々と楽しく盛り上がっているように見えたらしい。
「……楽しそうだな」
地獄の釜を開いたらこんな声が聞こえるんじゃないかというような、魂も凍る低音が背後から響き、私はギシリと固まった。
「お、所長。思ったより早かったじゃないですか、残業になるかと思ったのに。偉い偉い」
しかしジョセフさんは、真っ向から吹き付けられるブリザードを華麗に受け流し、何事もなかったかのように立ち上がった。さすがアーディンの手綱を握る男。それにしても残業って、どんだけ仕事渡したんだ。
「書類はどちらに?」
「お前のデスクの上に置いてきたから確認しておけ。…………ミヤ」
「な、何?」
なんで最後二文字だけ声音をガラリと変えるんだ! 甘い!! 耳のうしろがチリチリする!!
「今日の仕事は全部済ませた。一緒に帰ろう」
「帰……」
しまった。今の今まで失念していた。
ハロルドさんが田舎に隠居してしまったということは、私に安住の地がないということだ。アーディンは当たり前のように私を自宅へ連れて帰るつもりらしいが、のこのことついて行こうものならどうなるか、ちょっと考えれば馬鹿でも分かる。
「いや、私は宿に行くから」
「なんで! ミヤが使ってた部屋は使えるようにしてあるのに!!」
「あの時と状況が違うから。老人と子供が住む家に娘が泊まるのと、若い男が住む家に娘が泊まるのと、危険度が段違いでしょうが!」
私が指摘すると、アーディンはなんとも微妙な顔をした。
「何その顔。何か言いたいことでもあるの?」
「いや……信用されてないのはショックではあるんだが……ちゃんと男扱いしてくれているのは嬉しいというか……」
「絶対宿に行く!!!!」
そこ喜ぶとこじゃないから!