◇12
意識のない人間は、すごく重い。
当たり前だが、私では成人男性であるアーディンを運ぶことはできない。というか抱え上げることすら無理だ。子供だった頃は、頑張れば担げたのになあ。
仕方ないのでジョセフさんともう一人、廊下を歩いていた研究員さんを捕まえて、アーディンを医務室に運んでもらった。
「疲労でしょう。栄養と睡眠をとれば回復しますよ」
医務室につめていた医療スタッフさんの言葉に、そうだろうねえと深く頷く私たち。
回復魔法は、本人の体力を引きずり出して怪我を治すというのがメインの魔法だそうで、ここは普通に食事して寝ろという診断結果だ。さもありなん。
「丁度いいから、今日はここに寝かせとこう。悪いんだけどミヤさん、所長がフラフラ動かないように見張っててくれる? 君の言う事なら素直に聞くだろうし」
「それは構いませんが、店の方に連絡を入れないと」
「ああ、そうだね。僕のほうから入れておくよ。ごめんね。こいつ、思いつめると一つのものに集中して他のことシャットアウトした挙句、結局倒れるんだよね」
そういえば、学生時代にも勉強にのめりこんで倒れたとか言ってたな。一種の逃避行動なんだろうか。
ジョセフさんはこの後、アーディンが倒れた穴を埋めるべく走り回らねばならないそうだ。医療スタッフさんと二言、三言会話を交わした後こっちに戻ってきて、これ、と私にランチボックスを渡してきた。
「起きたら食わせてやって。僕が食ったらぶん殴られそうだし」
「了解です」
頷きつつ回収。
なんだかんだいいつつ、ジョセフさんは最初からお弁当を食べる気はなかったんだろうと思う。食べるそぶりを見せ、アーディンを部屋から引っ張り出すエサにしたといった所か。引っ張り出す前に倒れちゃったけど。
「じゃ、後はよろしく」
ちらりとアーディンに目をやって、相変わらずの裏の読めない笑顔を浮かべた後、ジョセフさんは部屋から出て行った。医療スタッフさんも、何かあったら呼んでくださいと言い残して別室に引っ込む。
私はスツールをズルズルと引っ張って、アーディンが寝かされている寝台の横まで移動させると、どっこいせと腰掛けた。
やることもないので、目の前で寝ているアーディンをぼーっと観察する。
半月ほど無茶な生活をしていたせいか、顔色は悪いし目の下に隈もある。なのにベースが男前すぎて、それらが退廃的な雰囲気を演出するエッセンスにしかなってない、というのはどういうことだ。私が同じ状況に置かれれば、二目と見られない顔になるだろうに。納得いかん。
そういえば、高校時代のクラスメイトが、美形は何やっても美形なのよおお! と熱く語っていた。当時、そんなわけないだろうと心の中で笑ってごめん、級友よ。それを体現してるのがまさに今、目の前にいるよ。
つやつやしたシルバーブロンドの前髪が、閉じた目にはらりとかかっている。これ、目を開けたら髪が入りそうだな。こっちの世界の人も結膜炎になったりするんだろうか。
そんな事を考えながら、私はほぼ無意識にアーディンの額に手をやり、目にかかる髪を払いのけた。
「ん?」
私の指が触れた瞬間、アーディンがぴくりと身じろいだ。
「起きてるの?」
アーディンの返事はない。私の気のせいかと思ったが、手をあてたまま、じっとその整った顔を観察していると、じわじわとアーディンの目尻が赤くなってきた。おいコラ。
「やっぱり起きてるんじゃない!!」
額に当てていた手をひっくり返し、ゴツンゴツンと握りこぶしで頭をノックする。痛い痛いといいながら、のっそりとアーディンが身を起こした。
「いつから狸寝入りしてた」
私の問いに、きまり悪げにアーディンは視線をそらす。
「……ここに寝かされてすぐ、かな……」
15分くらい寝たふりしてたってことか!
「なにやってんのよ。それって、みんなに運ばれてすぐ起きると格好悪かったから?」
「そういう訳じゃないが……」
「じゃないが、何?」
口ごもるアーディンに問い返すと、ボソボソと小声で返答した。
「すぐ起きたら、その……ミヤが、その場で帰りそうだったから。どうせジョセフは仕事が残ってるし、うまくすれば二人っきりになれるかな、と」
「えええ。ちょっと今、結構引いた」
無駄にそういうとこだけ計算高い!!
女の子が同じことしてたら、健気だなあ可愛いなあと思うけど、男にやられると引いてしまう不思議。
私がスツールごとちょっと下がると、アーディンはあわてたように、それ以上は何も考えてないと訴えた。それ以上ってなんだ、それ以上って。
しかし常々思っていたが、アーディンは下心がダダ漏れすぎる。子供の頃はここまで露骨じゃなかったのに、大人になる過程で何があったんだ。もうちょっと隠せ。
「そもそも、倒れる前に自分でコントロールしなさいよ。何で倒れるまで仕事するの。私が余計なこと言ったせい?」
私がそう言うと、アーディンはちょっと驚いたように瞬きをした後、ゆるく首を振った。
「そうじゃない。……確かに、きっかけはミヤの言葉と言えなくもないが」
アーディンが私のバイト先の店を訪れたあの後、アーディンなりに色々と考えたらしい。
包容力云々を含む己の性格は、そう簡単に改善できない。ならば、とにかく実践できるものからやってみよう。まずは手始めに仕事に打ち込んでみよう、日ごろ管理職に追われ、手付かずになっていた研究を終わらせてみよう…と思ったのだ、とアーディンは語った。
「いざやり始めてみると、ほかの事に目がいかなくなった。自分でもまずいとは思ってるんだが、何というか……自分の中で設定したラインに到達できないと、むきになるんだ」
なるほど。たしかに私の言葉がきっかけで始めた事ではあるが、途中から他の事がどうでもよくなるほど熱中してしまった、と。
何のことはない、そこにいたのは、ただの研究馬鹿だった。
「さっき部屋に来たミヤの顔を見て、一気に現実に引き戻された」
「なんていうか……馬鹿よねえ。結局周りに迷惑かけてるし。そんなとこ、ハロルドさんに似なくてもいいのに。本当、馬鹿よねえ」
「分かってるから馬鹿馬鹿言うな」
「まあいいけど。現実に引き戻されたついでにこれ」
横に置いてあったランチボックスを引っ張りあげる。
「さっさと食べて栄養補給して、そのあと一眠りすること。ほら!」
私は包みを解いて、ボックスごとぐいとアーディンの目の前に突き出した。
入っているのはサンドイッチのようなものだ。ちゃんとした食事を摂っていないと聞いていたので、とにかく肉やら野菜やら、目に付くものをこれでもかとパンに挟んでおいた。和風にしたかった所だが、朝から店の仕事もあったし、なによりこっちには米らしきものがないから仕方ない。
アーディンはボックスを受け取ると、まじまじと中を見つめ、その後ちらりとこちらに視線を走らせた。
「何? 一応食べられる味だから大丈夫だと思うけど」
「……いや、その。なんで急に弁当を持ってきてくれたのかと思って」
「ああ、頼まれたから」
「は?」
「ジョセフさんが店に来て、アーディンが滅茶苦茶な生活してて倒れそうだから、栄養補給できるものを作ってくれって頼んできたの」
「……あの野郎……」
アーディンが低く呟くのを見て、これは黙ってたほうが良かったんじゃないかと気がついた。貴方のために作ってきたのよ! とか言って、ちょっと夢見せてあげた方が元気になったんだろうか。でもそれって私が悪女みたいだし。やはり真実は告げるべきだろう。
「毎日頼まれてたんだけど、嫌なら明日からやめ……」
「嫌とは言ってない!! ……ああくそ、奴の手のひらの上で踊らされてる自分が嫌だ」
アーディンは私の発言をぶった切り、片手で己の顔を覆ってうめいた後、ヤケクソ気味にバクバクとサンドイッチを食べだした。食欲はあるようで何よりだ。
「お茶飲む?」
「飲むよこん畜生!」
「アーディン口悪い」
「……ごめん」