◇11
私がコーウェル家経営の飲食店で働き出してから、半月ほどがたった。
ようやく仕事にも慣れてきて、それなりに立ち回れるようになってきた。食事時はまさに戦場のような慌しさだが、それ以外の時間は割と余裕もある。そんな時に仕事のコツを教えてもらったり、逆に私の世界のダシの取り方なんかをちょこっと伝授したりして、比較的充実した日々を送っている。
この調子で何ヶ月か働けば、小金も溜まるだろう。
私はひそかに、貯金が一定額溜まった時点で、アーディンの祖父であるハロルドさんの元を尋ねようと思っていた。
以前、私を元の世界に送り帰してしてくれたハロルドさんは、隠居と称して田舎に引っ込んでしまっている。会うにはそこまで出向く足代が必要なのだ。
「その為にも、もうちょい頑張ってお金貯めないとね……」
閉店後の店内をほうきで掃除しながら、私は呟く。
アーディンのことを考えると申し訳なく思うが、やはり私のいるべき世界は向こうなのだ。一度戻ったとはいえ、10分の帰還では戻ったうちにも入らないわけで。
「……それに、あんまりこっちに長期間いるのはマズイし」
いくらこっちに長居しても、向こうの世界の時間はほとんど進まない。
だがそれは逆に言えば、向こうの時が進まないまま、こっちにいる私だけがどんどん年を取るということなのだ。軽く計算して、向こうで40秒がこっちの一年。数時間行方不明だったと思ったら、いきなり老婆になって戻ってきた、とかシャレにもならない。
だから、こっちに居られるのは、長くてもあと1、2年が限度だろうなと思っている。
そんな私の物思いを断ち切るかのように、カランカラン、と音をたてて店の扉が開いた。あれ、看板降ろすの忘れてたっけ?
「すみません、もう店じまいで――あ」
「や、ミヤさん。元気そうだね」
ひょいと店内に顔をのぞかせたのは、ここ数週間ご無沙汰していたジョセフさんだった。相変わらずの笑顔だ。
「ご両親なら奥でゴミ出しと洗い物をなさってますけど。お呼びしましょうか?」
ほうきを持ったまま奥へ行きかけると、ジョセフさんは片手を挙げて私を止めた。
「ああ、いや。今日は親の顔を見に来たわけじゃなくて、ミヤさんに頼みごとがあって」
「……また何か面倒な話を持って来たんじゃ……」
「ちょっと小遣い稼ぎの話を」
「聞きましょう!」
お金になるというなら是非とも聞こうじゃないか。今の私には軍資金が必要なんだ。
鼻息荒く身を乗り出すと、ジョセフさんは苦笑しながらテーブルの上にあげていた椅子を二つ降ろし、一つを私にすすめた後、もう一つに自分の腰を下ろした。
「何を頼みたいかっていうと、出前なんだけど」
「出前?」
「うん。研究所まで、昼食のデリバリー。この店ではそんなサービスやってないのは知ってるから、これはミヤさん個人に頼む仕事になるんだけど」
「ええっと、どういうことですか?」
店の料理を研究所に運べということなのだろうか。
私が要領を得ない顔をしているのを見て取り、ジョセフさんはちょっと考えた後に言い方を改めた。
「つまりね。毎日一食分、弁当を頼みたいんだ。材料費、手間賃、その他諸々こっちで出すから」
「ああなるほど……ってお弁当!? ジョセフさんが食べるんですか?」
「あははは。ミヤさんの弁当はすごく魅力的だけど、僕のじゃないよ」
でもそれもいいなあ、僕のもついでにお願いしようかな、とジョセフさんは笑った。
しかし、私にこの話が来る経緯がわからない。研究所には食堂があるし、周辺にも飲食店がいくつかあったはずだ。なんでわざわざ。
「寝食放り出して、ムキになって仕事してる馬鹿に、なんとか栄養とらせないといけないからね。せめて昼ぐらいはちゃんと食わせないとって事で、苦肉の策」
「…………えーと」
それはあれか。私が、奴にポロっと言っちゃった、"仕事に打ち込む人は結構好き"発言のせいか。ていうか、いくつか述べた中で一番ズレてた答えだった気がするんだけど。よりにもよって、あれをひろい上げちゃったのか。
呆れてあんぐり口を開けた私の肩を、ジョセフさんはポンと叩いた。
「まあそういうわけで、できれば弁当と一緒に顔も出してやってよ。そろそろあいつも、体力的にブっ倒れそうな頃合だし。昼の忙しい時間帯にかかりそうだから、両親に話は通しておくよ」
◇◆◇
翌日。私は重たいランチボックスをぶら下げ、魔道研究所前に立っていた。
「あー重い……直接持ってっちゃっていいんだろうか、これ」
一応守衛さんに挨拶すると、話は通っているので直接どうぞと言われた。ので、遠慮なくずんずん進む。
今の時刻はお昼よりちょっと早めだ。バイト先の店はお昼時の込み具合が半端ないから、さっさと弁当を届けてそれまでに戻りたい。
急ぎ足で廊下を歩いていると、アーディンの部屋の前にジョセフさんが立っていた。
「どうも。配達に来ましたよ」
「やあ、いらっしゃい。手間かけさせちゃってごめんね」
「ええまあ、何というか、私のせいという気もしなくもないですし……今、どんな状況ですか」
「直接見てもらうのが一番手っ取り早くていいんじゃないかな」
ジョセフさんはそう言うと、背後の扉を軽くノックしてから開けた。
「所長。そろそろ昼です、休憩しましょう」
「俺はいい。お前は勝手に食いに行け」
部屋の奥から、感情の篭らない無愛想な声がかえって来て、ジョセフさんは"ほらね"と目で私に語りかけた。
どれどれ、とジョセフさんの横から部屋を覗き込む。
アーディンはこちらに背を向けていた。何か術式らしきものを、紙にガリガリと書きなぐっている。
「そうも行きませんよ。こっちは貴方の健康管理も仕事のうちですから。適当に固形食糧かじっておしまい、なんてのをずっとやってると死にますよ。それに睡眠もあまりとってないでしょう」
「うるさいな。構うなと言っているだろう」
振り向かず、アーディンは唸るような声をあげた。うわー機嫌悪い。
何というかこれは、仕事に打ち込むというより、仕事に逃げてる、といった感じじゃなかろうか。顔が見えないからあれだが、心なしか痩せてる気もするし。
そんなアーディンの対応に、ジョセフさんは物凄く楽しそうに口元を吊り上げた。
「そんな事を仰っていいんですか? 多分、後で物凄く後悔される事になると思いますが」
「……なんなんだお前。しつこいぞ!」
「貴方の心情を慮っての発言なんですけどね。後でいくら怒っても聞く耳持ちませんよ?」
「う、る、さいなもう!」
"う、る、"の時点で曲線を描くアーディンの手がぶれ、術式が歪む。それにキレて、残りの"さいなもう!"を怒鳴りながらアーディンは振り返った。うわ、目の下に隈できてる。華やかな美形、からやつれた美形にクラスチェンジか。それはそれでキャーキャーいう娘がいそうだが。あ、目が合った。
私を見たアーディンは、目を見開いてフリーズした。
そして、ジョセフさんはにっこりと満面の笑みのまま、私からランチボックスを取り、顔の横に持ち上げてみせた。
「じゃ、そういうことで。ミヤさんお手製の弁当は、僕がありがたく頂きます。それでは」
「何!?」
「いやあ役得だなあ、あはははは」
ジョセフさんは笑いながら私の背を押し、部屋を出ようとした。片手にはランチボックスを捧げ持ったまま。この人、なんでこんなに楽しそうなんだ。
「ちょ……待てお前!!」
アーディンはバネのように飛び上がり、一歩こちらに足を踏み出した。が、次の瞬間、口元を手で押さえて立ち止まる。
「う」
みるみる顔面から血の気が失せ、グラリと上半身が傾ぐ。私は咄嗟にアーディンに駆け寄って支えようとしたが、所詮女の細腕。ぐたりと倒れてきた体を支えられるはずもなく。
「重っ!! ちょっと、何!? アーディン!?」
「あらら、貧血起こしたみたいだねえ。寝不足のくせに急に立ち上がったりするから」
べちょりとアーディンの体に押しつぶされかけた所を、ジョセフさんが引き取ってくれる。
アーディンは顔面蒼白のまま意識を失っていた。こう見ると、このやつれ具合が、ちょっと陰のある男前を演出している感じに見えなくもない。こうなった原因を考えると脱力ものだが。それにしても貧血って。不摂生するからだ、馬鹿者。
あとで起きたらゲンコツでも一発くれてやろうと心に決めていると、ジョセフさんが苦笑しながら肩をすくめた。
「しょうがないから医務室に運ぼうか」
そうしますか。