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私、片桐美弥は友人たちから、つくづくあんたには年頃の娘らしい情緒ってもんがない、とよく言われていた。うん、その自覚はある。一応女子らしくあろうと、恋の話だのファッションの話だのに盛り上がるべく努力もしてみたんだけど、どうにもそういうものに情熱を傾けられない。といって空想の世界に引きこもるわけでもない。
例えば。ある日突然イケメンと称する生き物が現れ、なぜか唐突に熱烈な愛を囁かれる、だとか。
例えば。ある日突然絶世の美少女が現れ、前世私たちは魂の双子だったのよ、とちょっぴり電波じみた台詞をのたまいながら熱く抱擁してくる、だとか。
そういう架空の物語を胸ときめかせて夢中で読む友人たちを眺め、いやいや流石にその話は展開的にありえないじゃないかと思いつつも、それを口に出してしまっては無粋の極みだなと常々自重し、日本人らしく曖昧に微笑んでやりすごしていたのだ。
つまり私という人間は、ただの地味女なのだ。日々を穏やかにすごし、ベランダのプランターに咲く花を眺めてほっこりと癒されるのが小さな楽しみという、無害な、毒にも薬にもならない19歳。
なのに何でこうなった。
「ミヤ、半年間お疲れ様」
私の眼前には品のいい初老の紳士。人の良さそうな微笑を浮かべるこの人の名はハロルド・ワース。魔道研究所所長にして、凄腕の召喚士。半年前、私をこのバリバリファンタジー世界に問答無用で召喚した人物だ。
そう、自らありえないじゃないかと断じた架空の物語も真っ青のシチュエーション、コテコテの異世界召喚を私は体験してしまい、半年間ドタバタと過ごし、本日めでたくマイワールドに帰還できる事と相成ったのだ。
色々とあったが、まあ水に流そう。半年食事と寝床も提供してもらっていたのだから、ここは立つ鳥後を濁さずの精神で行こうじゃないか。私はそんな事を考えながらハロルドさんに頭を下げた。
「お世話になりました」
「こちらこそ。君には本当に色々と世話になったね。何だか名残惜しいよ」
「いえいえ、ここはスパっと帰った方が後腐れもないですし」
「はっはっは、そうかね。君らしいな」
「あ、一つだけ。研究熱心なのは宜しいのですが、無差別召喚はお控えいただけるとありがたいです。私みたいなのがまた出ないとも限りませんし」
「耳が痛いねえ、気をつけるよ」
やめると言わないということは、またやる気か。
根っから研究者気質のこの紳士は、私を呼ぶ前にも手当たり次第、ありとあらゆるものを召喚しまくっていたらしい。異世界の動物なんかを呼び出して悦に入っているうちはまだ良かったけれど、ついに人を引っ張り寄せてしまったわけだ。つまりそれが私、記念すべき召喚人間第一号。当人的にはまったくもって笑えない。
すったもんだの挙句、半年かけてようやく元の世界に戻れる手段を探し出し、今ようやく帰れるのだ。ああ、早く我が家のベッドでごろごろしながら菓子でもパクつきたい。私の心はすでに自宅へ飛んでいる。
「それではそろそろおいとまを」
「ミヤっ!!」
複雑に描かれた魔法陣の上に足を一歩踏み入れた時、室内にキラキラしい子供が駆け込んできた。
「アーディン」
ハロルドさんのお孫さんだ。物心つく前に父母を流行り病で亡くし、研究馬鹿な祖父に育てられてしまったせいで、少々自分の殻に閉じこもり気味の少年。年のころは小学校高学年ぐらい、性格はやや難ありだが、その容姿はマジ天使かと見まごう程の美少年っぷり。初めて見たときは、こんな生き物が実在するのかと口をあんぐりと開けてしまったものだ。
「ミヤ、行かないで!」
アーディンはシルバーブロンドの髪を振り乱し、そのながーいまつげに縁取られた緑色の瞳を潤ませ、力いっぱいすがり付いてきた。子供とはいえ、ギュウギュウしめられると正直痛い。
いやあ、まさかこんなに懐かれるとは思ってもみなかった。半年前、初顔合わせしたときは一言も口を聞かず、思いっきり胡散臭いものを見る目で睨まれたものだ、なつかしい。
「いやあ、アーディンの気持ちは嬉しいんだけど。私は向こうの世界の住人だからほら、一度戻っとかないと色々とね」
興奮気味の子供を落ち着かせるってどうすればいいんだ。とりあえず頭なでとこう。おおー、子供の髪はサラサラでいいなあ。
「じゃあ」
しゃくりあげながらアーディンが私の顔を見上げる。いやあ本当美少年。私にショタ属性はないからいいものの、この先よからぬ大人にさらわれるんじゃないぞ。
「じゃあ、一回戻ったら、また来てくれる?」
そうきたか。とりあえずアーディンの後ろに立つハロルドさんとアイコンタクトだ。ハロルドさんはアーディンに見えないのをいいことに、苦笑しながら肩をすくめてみせた。よし、狙ったものを再召喚する事は無理、と。
「……えーと。まあ、呼ばれれば」
呼ばれることはないんだけどね。まあ、呼ばれればこちらに抵抗のすべはないわけだし、嘘は言ってない。うん。
「絶対だよ、約束だよ!」
「ほらアーディン、下がりなさい。巻き込まれてしまう」
頃合を見計らってハロルドさんが私からアーディンを引き剥がす。それと同時に魔法陣が輝きだす。ナイスアシスト。
アーディンが泣きながら何か言っているが、もう聞き取れない。徐々に視界が白くなり、私は目を閉じた。さらば、ファンタジーワールド。
◇◆◇
「そしてただいま我が家ー!」
目を開けると、そこは懐かしの我が家だった。私は空気を胸一杯に吸い込むと、ガラにもなくハイテンション気味に帰還の雄たけびを上げた。
「さて。問題は、どれくらいこっちで時間経過してるかだけど」
時刻は夕方だが、はたして今日は何月何日なのだろう。
大学に入って一人暮らしのため、新聞なんて気の利いたものはとっていない。向こうと同じだけ時間が経過しているとは思いたくない。冷蔵庫の中身的な意味で。
私は半目になりながら(モロに見るのが精神的にやばそうだったからだ)、冷蔵庫の扉に手をかけた。
「……あ、全然いけるじゃん……こっちじゃそんなに経ってないのかも」
腐海と化し、胞子飛び交う光景を想像しつつ開けた冷蔵庫の品々は、意外にも召喚前と変わらぬ姿でちんまりとその身を横たえていた。
「ええとそうだ、パソコン」
卓上に置いてあるノートPCを開き、電源を入れるとちゃんと動く。よし、電気も止められていない。
適当なニュース系サイトに飛び、日付確認。
「おお……召喚当日!」
私は思わずガッツポーズをとった。まさかの時間経過なし。悪い夢だった、で済まされるレベル。いや、とても夢だとはいえないけれど。
何にせよ良かった。向こうでヒーヒーいいながら家事やらされたりした思い出はともかく、こっちの生活が破綻してなくて良かった。正直、大学のレポートやら部屋の家賃やら、考えたくなくて脳内からシャットアウトしていたんだ。
「あー良かった……よし、祝杯だ」
半年飲めなかった炭酸飲料が恋しい。今日は無事の帰還を一人祝うことにしよう。
先程無事を確認した冷蔵庫を鼻歌交じりに開け、冷やしてあったジンシャーエールを取り出す。風呂上りの親父よろしく一気飲みとしゃれこもうじゃないか。仁王立ちでプルトップを引き、シュワシュワした液体を一気にのどに流し込んで、カーっと声を上げる。誰も見ていない時の女なんてこんなものだ。
「お疲れ、私!!」
缶を掲げ、空中にむかって乾杯。
その姿勢のまま、私の視界は真っ白に染まった。
◇◆◇
私は目を閉じたまま、掲げたジンジャーエールの缶をゆっくりと降ろした。くそう、よりにもよってこんな間抜けポーズの時に。
ハロルドさんの嘘つき。狙って呼び出すことは出来ないって前言ってた癖に。しかも送り返して即呼び出しとか嫌がらせレベルじゃないか。元の世界にいたの、10分くらいだよ。
さんざん心の中で毒づいて気が済んだので、私はようやく目を開けた。
「……あれ」
どこだここ。私が立っているのは、馴染みのあるハロルドさんの研究室ではなかった。そして、目の前に立っている、私を召喚したとおぼしき人物もハロルドさんじゃなかった。誰この人。
「……ミ……」
なんというか、どえらい男前。すらりと高い身長、均整のとれた体躯。その顔も、瞳は涼やか眉毛はキリリ、鼻筋はすっと通って唇の形も非常によろしい。CGですか? と聞きたくなるレベルだ。こんなすごい男前、写真の一つでもとって友人に見せれば大喜びされるだろうに。
あ、目が合った。
「ミヤ!!」
抱きつかれた。
「ちょっと、何するんですか! 出会い頭にセクハラとか、いくら見目が麗しかろうとやっちゃいけないんじゃないでしょうか人として!」
「ミヤ、俺が分からないか!?」
「は?」
男前氏はそういうと、ずいと顔を私に寄せた。ちょ、近い近い。うわ、まつげ長ー。ちょっとそのまつげは男にはもったいない、私に寄越しなさい。
「確かにあの頃俺はチビだったから、分からなくても仕方ないか。アーディンだ」
「…………えー!?」
確かに目の前にあるその目は緑で、髪もシルバーブロンドだ。
でもいくらファンタジーでもこれはない。だって10分前には天使のような相貌でうるうると瞳を潤ませていた子供が、いきなり凛々しい男前に変身って。変身ヒーローも裸足で逃げ出すわ。しかもどう見ても私より年上に見えるんだけど。どんだけ急成長だ。
「いや、だってさっきまで子供だったんじゃ」
「ミヤの世界とこちらとでは流れる時の速度が大幅に違う。ミヤを送り出した後、祖父について召喚術を徹底的に学び、ミヤをもう一度呼び寄せる手段を開発するのに15年かかった」
「15……って、失礼ですけど今お幾つで……」
「26になった」
7つ年下だったはずなのに10分で7つ年上ですか。
「あーりーえーなーいーーーー!!!!」