何事もない平穏な一日
一度メンタルが不調になると、楽しさや充実より、何事も起こらない、普通の平穏が大切に感じられるようになります。
私自身がそういう経験をしたことがあります。
そうして平穏の大切さに気づいたとき、胸の奥のつかえが取れるような感覚がありました。
私たちはいつの間にか、「充実」や「楽しさ」という言葉に追い立てられています。
前向きで刺激的な日々こそが「正解」であり、そうでない毎日は価値が低いかのように。
当然ながら、心には波があります。
それなのに、少しでも気持ちが沈めば「弱さ」と見なされる空気が、世間にはあります。
本人の中にもあります。
本当に追い詰められたとき、輝かしいはずの「喜び」や「楽しみ」は、ときに鋭く刺さります。
「なぜ自分はこれを楽しめないのか」
「こういう時こそ、充実した何かを始めたい。でも上手くいかない」
など、さらに自身が落ち込む要因にもなります。
だからこそ、「何も起きない日の尊さ」は、温かく大切なのです。
心が折れる以前なら「退屈」と切り捨てていた、何事も無い静かな一日。
カーテン越しに差し込む光や、遠くを走る車の音。
晴れた青空や、雨の日の雨音。
かつての自分には無色に感じたそんな景色が、傷ついた心には、何よりの救いとして、温かい色あいに感じます。
劇的な展開も、高揚感もない。
ただ、心が大きく揺らさることもなく、穏やかに一日が終わっていく。
「何もない」ということは、決して空虚ではありません。
ただ、今日も朝が来て、夜が来て、大きく心が揺れずにいられた。
それだけで、実は十分すぎるほど幸せなのです。




