何事もない平穏な一日
一度メンタルが不調になると、楽しさや充実よりも、「何事も起こらない普通の一日」がどれほど大切かに気づくことがあります。
私自身、心がひどく疲れていた時期がありました。
朝起きても身体が重く、好きだったはずのことにも手が伸びません。
周囲はいつも通り動いているのに、自分だけ世界から少し取り残されたような感覚でした。
そんなある日、特別な出来事は何もないまま、一日が静かに終わりました。
ただ朝が来て、昼になり、夜になっただけ。
その時、胸の奥にずっと溜まっていた何かが、ふっとほどけるような感覚がありました。
「ああ、今日は大きく心が揺れなかった」
それだけで、少し救われた気持ちになったのです。
私たちはいつの間にか、「充実」や「楽しさ」という言葉に追い立てられています。
前向きで刺激的な日々こそが正しく、そうでない毎日は価値が低いかのように。
けれど本来、心には波があります。
元気な日もあれば、何もしたくない日もあります。
それなのに、少しでも気持ちが沈めば「弱い」と感じてしまう。
世間の空気もありますし、自分自身の中にもそうした声が生まれます。
本当に追い詰められたとき、輝かしいはずの「楽しさ」や「喜び」は、ときに鋭く胸に刺さります。
「どうして自分は楽しめないのだろう」
「こういう時こそ何か始めたいのに、うまくできない」
そんな思いが重なり、さらに自分を責めてしまうこともあります。
だからこそ、「何も起きない日の尊さ」は、とても温かいものです。
心が折れる前なら「退屈」と感じていた静かな一日。
カーテン越しに差し込む柔らかな光。
遠くを走る車の音。
晴れた日の青空や、雨の日のしとしとした音。
以前は何気なく流していたそんな景色が、沈んだ心には不思議なほど優しく感じられます。
実際、回復の途中では「楽しいこと」よりも、「嫌なことが起きなかった一日」のほうが心を守ってくれることがあります。
何かを達成できなくても、誰かと比べなくても、ただ静かに過ぎていく時間が、少しずつ心を整えてくれるのです。
劇的な出来事も、高揚感もない。
それでも、心が大きく揺れずに一日が終わる。
それは決して空虚ではありません。
今日も朝が来て、夜が来て、心が大きく揺れずにいられた。
それだけで、実は十分すぎるほど価値のある、静かな幸せなのです。




