けっして猫を撫でてはいけない部屋
親友の美沙が一日だけマンションの部屋を留守にするというので、私が留守番をすることになった。
留守番とはいっても、じつはお願いしたのは私のほうだ。彼女の豪華なマンションの部屋にぜひとも住んでみたかったのだ。
「置いてあるものは動かさないでね。ゲーム機は好きに使っていいわよ。蛇口も好きにひねって」
私を連れて、美沙は部屋の中を案内してくれた。
「汚したらちゃんと掃除してね? ベッドのシーツは私が帰るまでに取り替えて」
「男なんか連れ込まないわよ」
私はそんなつもりは本当になかった。
「ただ、いつもの安アパートとは違う暮らしがしてみたいだけだから」
リビングへ案内されると、猫がいた。
とってもプリチィな、オレンジ色の猫だ。私の顔を見ると、撫でてほしそうに目を細め、かわいい声で「なーう」と鳴いた。
「これだけは言っておくけど……」
美沙が深刻な顔をして、言い聞かせる口調で、言った。
「猫だけはけっして撫でないで。おそろしいことが起こるから」
「えっ? 何が起きるの?」
「おそろしいことよ」
「だからどんな?」
「知りたいなら自分で撫でて確かめてみなさいよ」
「うーん……。やめとく」
「それじゃお留守番、お願いね」
美沙はまるで海外旅行にでも行くみたいな大荷物を身の回りに出現させると、部屋をすうっと出ていった。
「へへ……。ブルジョワ気分」
私はふかふかのベッドの上で飛び跳ね、ゲーム機で遊び、蛇口をひねって水を出し、冷蔵庫のソーセージをひとりで食い尽くすと、やることがなくなった。
ふいに気になった。
『猫を撫でるとどうなるんだろう……?』
猫はケージの中に入れておいた。側に寄って来られると撫でてしまうからだ。ごはんも水も自動で与えるようになっている。
ケージの中から猫が私をじっと見ている。
おおきすぎる緑色のつぶらな瞳が、つまらなそうな色を浮かべて、私と遊びたいと訴えていた。
私は、何かに操られるように、ケージの扉を──開けていた。
「なーーう♪」
嬉しそうに猫がぴょんと跳び出してきた。
私の膝に頭をこすりつけてきた。
なんてもふもふな、なんてやわらかい生き物!
これはけっして撫でてはいけないものだ──
これを撫でたら、おそろしいことが──!
構うもんか〜♪
私は猫を抱き寄せると、体じゅうあちこちの匂いを嗅ぎ、狂ったような笑顔で撫でまくった。自分がどうなっても構わなかった。世界がこれで終わってもいいとさえ思っていた。
「あれほど撫でてはいけないと言ったのに!」
気がつくと、美沙が目の前に立っていた。50歳ぐらい老けていた。
少し遠くの姿見に目をやると、そこに私が映っていた。私もやっぱりおばぁさんになっている。
あぁ……、そうか……。
私は猫に夢中になるあまり、あっという間に50年ぐらいを飛び越えたんだな。そういえば小説家になろうの小説で、猫を撫でていたらあっという間に五億年だか経っていたお話もあった。
……ま、いっか。
私はさらに猫を撫で続けた。