第8話 裏切りの花は、夜に咲く
教室の窓から、空を見上げていた。
澄んだ青じゃない。少しくすんでて、どこか冷たい色。
でも、そのくすみのなかに、わたしは小さなきらめきを探してしまう。
「なに見てるの?」
ルチルが、ランドセルの中からひょこっと顔を出した。
「んー、空?」
「うそだぁ。絶対、ミレイさんのこと考えてたでしょ」
「う……図星つかないでよ」
頬が熱くなるのを感じながら、視線をそらした。
……たしかに、わたしは最近、あの人のことをよく考えている。
九条ミレイ。
魔法少女協会の若き幹部。超優秀。超冷静。超こわい。
だけど、なぜか。
わたしを怒るたびに、その目が……ほんの少しだけ、揺れる気がしていた。
◇ ◇ ◇
帰り道。
商店街の脇道を通りながら、わたしはふと、足を止めた。
感じた。
魔力探知じゃない。なんとなく、気配みたいなもの。
見てる。誰かが、わたしを見てる。
わたしは振り返らない。
でも、ポケットの中で、ルチルがそっと耳打ちした。
「右後方。赤い建物の屋上。魔力圧、九条ミレイと一致」
「……ほんとに監視してるんだ」
「りんの“危険度スコア”、今や協会の上位だもんねぇ。ま、当然?」
「そっか。じゃあ……ちょっと、遊んじゃおっかな」
わたしは歩きながら、指先で小さな魔法を発動した。
キラキラのシャボン玉。
ピンク色のハートが弾けて、商店街の空に舞う。
「星空りん、通りま〜す♡ 今日も元気に無契約〜♪」
近くの子どもたちが、笑いながら手を振ってくれる。
おばちゃんたちも「また可愛いのやってるねぇ」と苦笑い。
演出のための魔法。
でも、こういうのが、わたしにとっての“日常”だった。
わざと目立つようにして、ミレイの視線を、もっと揺らしてみたくなる。
◇ ◇ ◇
その夜。
ベランダに座って、髪をとかしながら、星を見ていた。
ルチルは窓際で寝そべってる。
静かな時間。たぶん、ミレイはまだ、どこかで見てる。
「……あの人も、ほんとは迷ってるよね」
誰に聞かせるでもなく、つぶやいた。
「正しさとか、秩序とか、肩書きとか。
そういうのに縛られて、でも……ほんとは、少しだけ、自由を見てみたいんじゃないかなって」
ルチルが小さく耳を動かした。
「じゃあ、揺らせば? その心。もっともっと」
「うん。……わたしにしかできないやり方でね」
夜風が吹いた。
そのなかに、遠くから感じる、淡い魔力の気配。
九条ミレイ。
きっと、あの人は今も、わたしを“監視”してる。
でも――それが、ただの任務じゃなくなってるのかもしれないって、
そんな予感がしてた。
◇ ◇ ◇
人気のない河川敷。
夜の闇は静かで、虫の声が遠くから聞こえていた。
その中に、ひとつだけ違う気配。
魔力の、微かなゆらぎ。
わたしはそっと歩を進めて、その子の姿を見つけた。
ベンチにひとり、膝を抱えて座っている少女。
――雨宮しずく。
「……待たせちゃった?」
「ううん、わたしが……勝手に来たの」
顔を上げたしずくの目元には、涙の跡があった。
あの日から数日。彼女は、協会の記録からも姿を消していた。
匿ってる場所を移動しながら、ルチルがひそかに見守ってくれていた。
「今日……協会の人が、家に来たの」
しずくの声はかすれていた。
「“回収が必要です”って。わたしの親も、もう……諦めてた」
「……」
「“正しい子だったのに”って。“ちゃんと契約もしてたのに”って。
でも、わたしはもう……笑えなかったの。何も、感じなくなってた」
ぎゅっと、拳を握りしめていた。
その姿が痛いほどまっすぐで、わたしは隣に座った。
「しずくちゃん」
「……なに?」
「わたし、世界を救う気なんて、これっぽっちもないけど……
でも、君がまた笑えるようになったら、ちょっと嬉しいなって思う」
「……それって、“救おうとしてる”ってことじゃ……」
「違うの」
わたしは、小さく笑った。
「“救いたい”じゃなくて、“笑っててほしい”の。
それだけ。わたしのために、笑ってくれたら、それでいい」
「わたしのため、じゃなくて……?」
「うん。わたしの“きらめき”のために、君が笑っててくれたら、それが一番嬉しい」
しずくの目が、ぱちぱちと瞬いて、ぽろっと涙が落ちた。
「……へんなの。そんなの、自己中だよ」
「そう。わたしは自己中の魔法少女だから」
手を差し出す。
「でも、たぶん――そういう魔法でも、
ほんのちょっとだけ、誰かを幸せにしちゃうこと、あるんだよ?」
しずくが、震える手で、わたしの指にそっと触れた。
◇ ◇ ◇
遠く、監視ドローンのレンズが赤く光った。
――九条ミレイは、その光景を静かに見ていた。
無言で。
ただ、風の音と、画面の中のふたりの少女の笑顔を、見つめながら。
データには「再逮捕対象」と表示されている。
画面の端には、「排除推奨」の赤文字。
でも、ミレイの手は、なぜか、その指示を“実行”できなかった。
わたし(りん)は、知らなかった。
この日から、ミレイの中で、なにかがゆっくりと変わり始めていたことを。
◇ ◇ ◇
九条ミレイは、モニタールームのひとつにひとり、座っていた。
周囲の壁には、数十の監視映像が流れている。
“未契約魔法少女”たちの行動記録。協会が管理する秩序の境界線。
その中に映る、一組の少女。
星空りんと、雨宮しずく。
手を取り合って笑う、その姿を、ミレイは無表情で見つめていた。
が――その目の奥は、静かに揺れていた。
「……この記録は、まだ報告しないでおこう」
端末に残した一文は、協会の規定違反。
でも、なぜか指が勝手に動いていた。
◇ ◇ ◇
「ミレイ様、お戻りだったのですね」
部屋のドアが開いて、声がした。
現れたのは、ミレイの直属の部下である情報分析官。
白衣姿の彼女は、眉をひそめながら報告を差し出す。
「例の星空りんについて、上層部からの“再優先排除命令”が下りました。
これ以上、非契約思想が広がる前に、速やかな処理を求められています」
「……わかりました」
ミレイは、書類を受け取って一瞥したあと、そっと閉じた。
「その件、しばらくわたしが直接動きます。監視は一旦、解除してください」
「は……しかしそれでは、指示と矛盾が……」
「矛盾は、わたしが責任を取ります」
淡々とそう告げて、ミレイは歩き出した。
その背には、幹部という肩書きの“正義”が、冷たく揺れていた。
◇ ◇ ◇
ベランダで星を見上げるわたし(りん)は、
なぜか少しだけ、背中があたたかくなったような気がした。
何かが、変わりはじめてる。
そんな直感が、夜風に乗って、わたしの髪を揺らしていた。
「ルチル……次は、何が起きると思う?」
「んー……協会が本気で動くかもね。ミレイさん含めて」
「だよね。でも」
わたしはにっこりと笑った。
「そのときは、わたしの“きらめき”で、もっと揺らしちゃえばいいよね」
「さすが、わがまま魔法少女☆きらめき・りんちゃん!」
「え、今日それなの? 名乗り方ころころ変えてくからね?」
「じゃあ次は、“ミラクルりんぴょん”で」
「ないわー」
笑いながら、ふたりで夜空を見上げた。
世界はまだ変わっていない。
でも、どこかで何かが、確かに動き出していた。
そう信じられるくらいには――今日の星は、ちょっとだけ優しかった。




