第7話 正義って、なんかダサくない?
朝のホームルームが終わって、わたしはそっと立ち上がった。
クラスメイトたちはもう慣れたもので、誰も止めない。
というか、止められる空気じゃないって分かってるんだと思う。
ランドセルの中で、ルチルがひそひそ囁いた。
「りん、また今日も……?」
「うん、ちょっとだけ、風に当たりたい気分なの」
そう言って、わたしは教室を抜け出す。
目指すは、校舎の屋上。
本来、生徒は立ち入り禁止なんだけど、魔法少女ってそういうの、だいたい無視できる。
扉の前で、ひと息。
静かに開けると――風が、ふわりと髪を撫でた。
空はひらけていて、どこまでも青くて、
まるで、「自由にしていいよ」って言ってくれてるみたいだった。
◇
だけど、わたしはその風に、違和感を覚えた。
ただの風じゃない。
魔力を帯びた、鋭く研ぎ澄まされた空気。
屋上の柵にもたれていたのは――風守いずみ。
いつもの制服。いつもの無表情。
でも、風が彼女の髪を揺らして、どこか寂しそうに見えた。
「……また無断でここへ?」
「うん。あ、でもこれ、“きらめきの自主練”だから♡」
「意味不明だ」
「いいの、わたしにしか分からない魔法なの。
で? いずみちゃんは“風当たりの強い自分磨き”?」
「そんな練習はない」
相変わらず、会話はかみ合わない。
でも――このやりとり自体が、もう“対話”になってる。
前なら、彼女は無言で立ち去っていた。
今は、こうして言葉を交わしてくれる。
それだけで、ちょっとだけうれしかった。
◇
「……お前の行動で、協会はざわついている」
いずみはそう言った。
「“自由を優先する魔法少女”という存在が、
“契約がすべて”という前提を崩しかねない」
「わたしが契約してないだけで、そんなに困るの?」
「困る。協会のシステムは“従属”によって成り立っている。
契約は義務であり、秩序の証だ」
「へぇ〜……でもさ」
わたしは、風に向かってくるりと回って、ふわりとスカートを揺らした。
「正義って、なんかダサくない?」
「……」
「いや、真面目に聞いて。
“絶対的なルール”って、見方を変えたらただの枷だよ?
それに、なんでもかんでも“社会のために”って……そんなの疲れちゃうよ?」
「それでも、誰かの命を守るには、犠牲も……」
「“誰か”を守るために、“自分”を犠牲にしていいなんて、そんなの悲しすぎるよ」
いずみの目が、揺れた。
ほんの一瞬。でも、確かに――揺れた。
わたしは、にっこり笑って言った。
「いずみちゃんにも、あるでしょ?
“ほんとはこうしたい”っていう、自由な願い」
「…………」
「その制服、ほんとはあんまり似合ってないよ。
もっと風のままに、揺れてるほうが、きっと、可愛い」
その言葉に、彼女は返事をしなかった。
でも、うしろ姿のまま、ふわっと笑ったような――そんな気がした。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
わたしは、ルチルに連れられて、町外れの広場にいた。
いつもは小さな子どもたちが遊んでる場所だけど、今日は違う。
立ち入り禁止の魔法結界が張られていて、空気にぴりぴりとした緊張が走っている。
「りん……ここ、ヤバいよ。協会の上級対応チームが展開してる。現役の公認魔法少女が、暴走したんだって」
「暴走?」
「うん、魔力が制御できなくなって、自我のコントロールもきかなくなるやつ。協会的には“再起不能扱い”になる」
「それって、契約してる子なの?」
ルチルは、ため息まじりにうなずいた。
「真面目で優秀だった子らしい。戦闘型じゃなくて、回復系。協会の期待も大きかったはずなんだけど……」
そのときだった。
――ズン、と空気が震えた。
広場の奥。
魔力の奔流が、紫がかった水のように滲み出していく。
そして、そこに現れた。
淡い水色の髪。制服のまま。
濡れたように光るその瞳は、何も映していなかった。
名前を、ルチルがつぶやく。
「……雨宮しずく。
回復魔法の適性Aランク。
でも今は、もうそれどころじゃない……」
◇
水の魔力が、地面を這うように広がっていく。
重たく、そしてどこか寂しい波動だった。
「……あの子、ひとりで壊れそう」
わたしは、ゆっくりと前へ出た。
「ちょっと、りん! 本当に危ないってば!」
「わかってる。でも、見過ごせないよ。
だって、なんか……わたしと似てる気がしたから」
魔力の流れがぴくりと動いた。
そして、しずくがゆらりと顔を上げる。
その瞳の奥に、なにか言いたげな、でももう声にならない感情があった。
――ぶわっ。
水の弾幕が、わたしに向かって飛んできた。
けれど、
わたしの周りには、いつものシールドが展開している。
ピンク色のきらめきに、ハートがひらひら舞う。
ふざけてるみたいな演出――でも、これはわたしの“守る力”。
「もう、無理しなくていいんだよ……!」
わたしは声を張った。
「なんで笑わなくなったの?
なんで、そんなに自分のこと、隠しちゃったの?」
しずくは答えない。けど、また魔力が揺れた。
「わたし、あなたのこと知らない。初めて会った。
でもね……だからこそ、知りたいって思ったの。
あなたが、なにを信じてきたのか。なにを、捨ててきたのか」
水が、やわらかく震える。
「“正しさ”って、時々すごく息苦しいよね。
でも――あなたが、それを背負わなくていいんだよ。
いばしょは、協会じゃなくたって、あるから」
「…………」
「ねえ。あなたの名前……“しずく”っていうの?
だったら、涙のしずくも、
今から――“きらめき”に変えちゃおうよ」
◇
その瞬間。
彼女の周囲を取り巻いていた魔力が、ふっとほどけた。
水のきらめきが夜空に散って、星みたいに揺れていく。
そして――しずくは、膝をついた。
ぽたり、と頬からひとしずく、涙が落ちる。
「たすけて……わたし……わたし……」
わたしは、そっと彼女に手を差し出した。
「うん。助ける。
わたしの魔法は、自分のためだけのものだけど――
それでも、こうやって誰かを“救っちゃう”こともあるんだよ」
しずくの手が、わたしの手を握り返す。
その指は震えてたけど、あたたかかった。
しずくの手を握ったまま、私は小さく息を吐いた。
重たく張り詰めていた空気が、少しだけやわらいだ気がする。
「ほら、泣くなら……もっと、可愛く泣いてよ」
「……っ、なにそれ……」
しずくの声は震えていたけど、ちゃんと“自分の声”だった。
魔力の奔流は、もう感じない。静かな水のように、なにかが落ち着いていく。
そのとき、遠くから魔力探知の反応があった。
協会の人たちが来る。
わたしは立ち上がって、ルチルに目で合図を送った。
「転送頼める?」
「了解、りん! 微調整するねっ!」
ルチルの魔法で、しずくを転送する。
安全な場所に、一時的に匿うための避難転送。
「雨宮しずく、救出完了っと」
「ありがとう、ルチル。あとは、わたしが“悪役”になっておくから」
◇
数分後。
広場には、協会の部隊が到着していた。
上級管理官のミレイが、険しい顔でこちらに歩いてくる。
「星空りん。状況報告を」
「はいはい。暴走個体、無事に回収しましたっ☆」
「……回収、だと? どこに?」
「それは、企業秘密♡」
「ふざけるな。あなたの行動は重大な規律違反です。
“未契約魔法少女による魔力干渉”は重罪に該当します」
「知ってるよ。怒られるの、慣れてるし♪」
わたしはにっこり笑って、手をひらひら振った。
「でも、ほっといたら、彼女は……壊れてたよ?
“正しさ”の枠に押し込まれて、自分を失ってた。
わたしは、世界なんて救わない。
でもね、“あの子の世界”は、ちょっとだけ救えたかもしれないよ?」
「あなたは、“ヒーロー”じゃない」
「うん。ヒーローなんて、似合わないからね。
わたしは、ただの“あざと可愛い魔法少女”だから♪」
◇
ミレイは無言のまま、しばらくわたしを睨んでいた。
でも、その目は――ほんの少し、揺れていた。
わたしはくるっと背を向けると、ルチルのところへ戻った。
「行こっか。今日の夕焼け、きっときらめいてるよ」
「りんってさ、本当にバカだよね……でも、ちょっとカッコよかったかも」
「でしょ? バカで可愛いって最強なんだから」
空を見上げた。
オレンジと、赤と、きらめきの光が、混ざり合っていた。
誰かを救うためじゃない。
わたしは、わたしのために魔法を使う。
でも、それが――誰かの“希望”になることもあるんだって、
少しだけ、信じてみたくなった。




