第4話 きらめきは感染る
「え? ゆきちゃんが?」
「うん。最近、急に“任務辞退”が増えてるって噂」
ルチルがぽそっと教えてくれたのは、あの子――
“真面目で優秀な公認魔法少女”、雪音ゆきの話だった。
「ゆきちゃんって、ほら。協会の模範生徒って感じだったじゃん?
倫理検査満点、戦闘評価Aランク、審査のロールモデルって言われてたし」
「そうだね〜。わたしからすると、むしろ逆方向で伝説だったよ〜」
「それがさ、最近はあんまり人前に出てないみたい」
わたしは、ちょっと黙った。
彼女のこと、嫌いじゃなかった。
会ったのはたった一回。協会審査の場で隣になっただけ。
でも、そのときの彼女の手の震え――
制服の裾をぎゅっと握ってた指先、あれだけはよく覚えてる。
「ねえ、ルチル。わたし、会いに行ってみようかな」
「え? また強行突破系ですか?!」
「だって気になるんだもん。“正しさ”でがんじがらめの子が、
ちょっとだけ、はみ出したがってる気がするんだよね」
◇ ◇ ◇
雪音ゆきは、誰もいない教会の講堂にいた。
パイプオルガンの前で、じっと立ち尽くして、なにも弾かずに。
手だけが、ひざの上で小さく震えていた。
「ゆきちゃん」
「……!」
その声に、ゆきははっと振り向いた。
そこにいたのは、制服じゃない服を着た少女。
髪は金色、ポニーテール、でっかいリボン。
星空りん。
「どうしてここに……あなた、“違法魔力使用”の……」
「わたしはわたしよ〜♡」
「ふざけないで。ここは関係者以外――」
「ねえ、そんなに怖がらなくていいよ」
その一言で、ゆきの足が止まった。
誰にも、そう言われたことがなかった。
正しくあれ。失敗するな。感情は制御しろ。
泣くな。怯えるな。笑え。輝け。理想でいろ――
それに、ずっと、ずっと、応えようとしていた。
「……怖くなんか、ない……!」
「うん。でも、震えてるよ。心じゃなくて、“魂”が」
わたしはそっと近づいて、手を差し出した。
「ちょっとだけ、逃げてみよ?」
「……え?」
「わたしが連れてく。どこにも行けなかった魔法少女を、
“ちょっとだけ”自由にする魔法、今から使うの♡」
ゆきの目から、ぽろっと涙が落ちた。
ひとつぶだけの、氷の涙。
その瞬間。
“きらめき”が、感染した。
◇
「……雪音ゆきが、規定外行動?」
風守いずみは、報告書を手にしたまま、眉をひそめた。
「本人は一時的な精神不調を主張していますが、
記録映像を見る限り、自発的に施設を離れたと推測されます」
「同行者は?」
「不明です。ですが、外部魔力反応から推測すると――」
「……星空りん」
「はい。未契約魔法少女の影響を受けた可能性が高いと判断されます」
いずみは目を閉じた。
まるで、何かを思い出すかのように。
りんの声が、また心に残響した。
『“わたしのきらめき”は、誰かの正義より、ちゃんと届くんだよ』
「危険度、再評価を」
「は?」
「星空りん。魔力反応は安定しているが――
“精神汚染”の恐れがある」
「……つまり?」
「彼女は、他者を“自由にする”」
いずみの言葉に、報告官たちは一瞬、沈黙した。
「それが“破壊”と同義だと、なぜ気づかない?」
◇ ◇ ◇
一方そのころ。
わたしとゆきちゃんは、駅前のベンチでたこ焼きを食べていた。
「……これが、外の味……」
「うん! 最高でしょ! ほっかほか〜♡」
ゆきちゃんは、おそるおそる二つ目に手を伸ばしてた。
魔法少女が、たこ焼きで感動する時代である。
「わたし……こんな風に、制服じゃない服で外歩くの、初めてかも」
「え、マジ? それは重大な魔法欠乏症だよ。処方しますっ☆」
そう言って、わたしはコンビニ袋から缶ジュースを差し出した。
「期間限定・シュワシュワきらめきピーチ♡」
「なにその名前……怪しすぎる……」
「いいから、飲んでみ?」
ぷしゅ、と音がして。
ゆきちゃんは、笑った。
ほんの少しだけ。
◇ ◇ ◇
そのころ、別の施設では、
ひとりの少女が、眠りから“起こされて”いた。
星海カナ。
記録から削除され、名前を封印されかけた“偶像”が――
再び、“兵器”として使われようとしていた。
「彼女はもう“個”ではありません。制御は十分可能です」
「使用条件は?」
「“未契約魔法少女”との接触、または影響力の拡大」
「……星空りんの排除任務に?」
「はい。“実績ある者”のほうが、世論の収束も容易でしょう」
「だが、彼女はまだ――」
「問題ありません。感情領域は既に抑制済みです。
“アイドル”としての記憶も、必要な部分以外は……」
そのとき。
寝かされていたベッドの上で――
カナの指が、かすかに、動いた。
その動きは、ただの反射か、それとも――
◇
「うまく笑えたかな……」
ベンチの上で、ジュースの缶を握ったまま、ゆきちゃんがぽつりとつぶやく。
空は夕焼け。
陽が落ちるの、早くなったな〜って思った。
「ぜんぜん合格っ! 笑顔指数78点くらいはあった」
「なにそれ、どこの審査?」
「星空認定、心のきらめき審査局です☆」
わたしが胸の前でキラッとポーズをとると、ゆきちゃんがちょっとだけ吹き出した。
「……ばか」
「よく言われます〜♡」
ふたりで、くすくす笑った。
街は少しずつ夜の色に染まりはじめていて、
そのなかで、わたしたちの笑い声は――ちょっとだけあったかかった。
「わたし、今日ちょっとだけ、“自分”だった気がする」
そう言って、ゆきちゃんはジュースを飲み干した。
「自分が何したいかなんて、ずっとわからなかった。
みんなが求める正しさに応えたら、自然と評価されて……
でも、それが“わたし”だって思い込もうとしてただけで」
「うんうん」
「本当は、ただ“褒められたかった”だけなんだと思う」
「え、かわいいじゃん」
「……え?」
「わたしもそうだし。誰かに見ててほしいって思うし、
誰かに笑ってもらいたくて、ステージに立ちたいって思ったよ」
りんとして、じゃない。
“わたし”として、そう願った。
「でもね」
わたしは、缶の口を見つめながら言った。
「それを“自分のために”って言えるようになるまで、結構かかったよ」
「……」
「だから、今日のゆきちゃんはすごい。超すごい。はなまるきらめき大賞」
「……ばか」
また言われた。
でも今度は、ちょっとだけ照れ笑いつきだった。
◇ ◇ ◇
その夜。
ゆきは宿舎に戻らなかった。
正式には“行方不明”として処理され、
協会内では「精神不安による一時的隔離措置」がとられることになる。
でも、ほんとうは違う。
彼女は、自分の意思で、歩き出したのだ。
“自分のために魔法を使う”という、
それだけの理由で。
◇ ◇ ◇
一方、わたしのほうはというと……
「ねえルチル、またやらかしたかも?」
「いまさら気づいたの!?」
「でもなんか、悪い気はしないんだよね〜」
窓辺で星を見上げる。
今日の空には――うん、ちゃんと星がある。
「願いって、忘れられるものなんだね」
「でも?」
「わたしが歌ったら、またちょっと思い出してくれる人がいた」
その笑顔は、誰にも見せないつもりだったけど。
たぶん、すごくあったかくて、
ちょっと泣きたくなるくらい、優しかったと思う。
誰かのためじゃない。
でも、誰かの心に届いてた。
それだけで――きらめきは、感染るんだ。