第12話 はじまりの三重奏
放課後のグラウンド脇は、もう部活の声がまばらで、風にまぎれるとほとんど聞こえなくなるくらい静かだった。私はブレザーの袖をまくり上げ、スクールバッグを芝生の上に置く。隣にはルチルがちょこんと座り、その先にしずくちゃんがいる。彼女は制服のネクタイをきゅっと結び直し、目を伏せたまま立っていた。
「……本当に、私でいいの?」
その声は、風に溶けて消えそうに小さかった。まだ疑いの色をまとっている。でも私はうなずいて、あざと可愛い笑顔を浮かべる。
「もちろん。だって三人になったほうがショーは派手で楽しいもん♡」
軽い調子で言いながらも、胸の奥は少しだけ緊張していた。私はこれまで、自己中に自分のきらめきを振りまいてきた。ルチルは文句を言いつつも支えてくれた。でも、新しく誰かを「仲間」と呼ぶのは、たぶん初めてのことだった。
しずくちゃんは視線を泳がせ、地面の芝を見つめた。彼女の指先が小刻みに震えている。魔力がまだ不安定で、すぐに暴れ出しそうなのを自分で抑えているのだろう。私は近づいて、その手にそっと触れる。冷たい。けれど、その冷たさは彼女がまだ「自分で守ろうとしている証拠」だと思えた。
「大丈夫。無理して合わせなくていいんだよ。君の魔法は君のもの。だから、一緒に“見せびらかす”だけでいいの」
ルチルが横でぱちぱちと小さな拍手をした。「りん式入団テスト、ゆるすぎ〜。でも、まあ、それがりんだからいいんだよね」
しずくちゃんは苦笑したように口元をわずかに動かす。その表情を見て、私は思わず胸を張る。こうやってちょっとずつでも表情が柔らかくなるなら、私の自己中も捨てたもんじゃない。
「じゃあ……練習してみよっか。三人で」
私がそう言って手を伸ばすと、しずくちゃんは一瞬ためらった。でも次の瞬間、小さく「うん」と答えて、指先を重ねてきた。冷たいのに、触れた瞬間にふわっと広がる水の気配。静かな湖の底から立ち上る波紋のような魔力が、私のきらめきとルチルの軽やかな気配と交じり合う。
視界の端で、小さなハートのエフェクトが弾ける。そこにしずくの水の粒子が混ざって、光の滴が宙を漂った。偶然できたコラボレーション。思わず「わぁ……」と声を漏らす。水滴が光を反射して七色に揺れて、ハートの中でキラキラ踊っている。即席の三重奏だ。
「これ、すごい……」しずくちゃんが驚いた声を出す。彼女の瞳が初めて輝いた気がした。水と光と小さな拍手。全部が混ざって、ほんの短い時間だけど確かに「舞台」になった。
その瞬間、私は心の中で確信する。——この子はもう、一人じゃない。私たちの輪に入った。もう「客席」じゃなくて「出演者」だ。
「ふふっ、ね、言ったでしょ? 三人のほうが楽しいって!」
「……まだ怖いけど、楽しいのもほんと。りん、すごいね」
「すごいって言葉、大好物♡ いっぱい言って!」
ルチルがくすくす笑いながら、「この調子でいけば“りんしずルチルユニット”爆誕だね〜」と茶化す。私は「名前は要検討!」と返して、三人で顔を見合わせた。その一瞬が、今日いちばん眩しかった。
◇ ◇ ◇
一方その頃、協会の監視モニターには、私たちの姿が映し出されていた。画面の前に立つ九条ミレイは、無表情の奥でほんの僅かに唇をかんだ。彼女の手元には“排除指令”の文書がある。赤いスタンプが重くのしかかる。けれど目の前の映像には、ただ笑い合って光と水を弾ませる三人の姿が映っていた。無害にすら見える、小さなショー。
「これは……」
声が震えた。規則を盾にしてきた彼女の心に、ほころびが生まれていた。報告ボタンに伸びかけた指先が、宙で止まる。その沈黙は、組織にとっては小さな遅延にすぎない。だが彼女にとっては、心が揺れるほどの大きな変化だった。
◇ ◇ ◇
次の日の放課後、私たちはまた校舎の裏に集まっていた。芝生にかすかに残る昨日の水滴の跡が、光にきらめいて見える。しずくちゃんはまだ不安そうにブレザーの袖口を握りしめているけど、それでも来てくれた。来てくれるって、それだけでもう合格。私はわざとらしく両手を広げて、舞台の始まりを宣言する。
「本日二回目のユニット練習〜! 観客ゼロ、出演者三人。演目は“きらめきの即興”です♡」
「即興って……」しずくちゃんが苦笑し、ルチルが肩でくすくす笑う。
「即興こそ正義。だって可愛いは計画できないでしょ?」
「りんはほんと……理屈を魔法みたいに使うよね」
彼女の言葉は呆れた調子なのに、声は少し柔らかくなっていた。そう、それが欲しかった。呆れながら笑う顔って、怖さの鎧を少し外してる証拠だから。
私は指先に小さな光を集める。ルチルが「じゃあ、ドラム担当いきま〜す」と言って足元で尻尾をトントン鳴らした。しずくちゃんは戸惑いながらも両手を前に出す。次の瞬間、水の粒子が宙に浮かび、光と混ざって虹色の霧になった。
「わ……」思わず声が漏れる。
粒子のひとつひとつが七色に反射して、私のハートのエフェクトと重なり、夜祭のイルミネーションみたいに瞬いた。風が吹けば消えてしまいそうなのに、しずくの手が震えながらも丁寧に形を保っている。そこに私の光を足すと、水滴が星座みたいな模様になり、空に散らばった。
「……綺麗」しずくちゃんが呟いた。
彼女の目は大きく見開かれて、今まで見たことがないくらい澄んでいた。恐怖と後悔しか映ってなかった瞳に、はじめて“楽しさ”が宿った。私はその表情を見逃さない。
「ね、言ったでしょ? 三人だとこんなふうになるんだよ」
「でも、まだ……怖い。こんなに力を出して、もしまた暴走したら……」
「暴走したら? いいじゃん」私は軽く笑ってみせる。「そのときは、わたしがもっと可愛くカバーするから」
ルチルも「音響演出でごまかすの得意だからね〜」と肩をすくめる。
しずくは一瞬驚いた顔をしたあと、小さく笑った。昨日より確かに長い笑顔だった。
私たちは即興を続ける。光が舞い、水が跳ね、ルチルの小さなリズムが重なって、芝生の上にちいさなフェスティバルが広がった。観客はゼロ。でも、笑い声ときらめきがあれば、どこだって舞台になる。
◇
けれど、その舞台は完全に秘密じゃなかった。
少し離れた屋上から、九条ミレイが双眼鏡を下ろした。冷たい風が彼女のネクタイを揺らす。彼女の手には、またもや上層部からの“排除指令”が握られていた。
「……これが、非契約魔法少女の姿……」
声は硬いが、その目には迷いが宿っていた。報告書に書かれるべき“危険因子”の行動は、ただの無害な光の遊戯にしか見えない。しずくというかつての仲間が笑っている。それを導いているのが、協会が最も排除を望む星空りんだ。
ミレイは瞳を伏せて、指令書を折り畳んだ。
「今はまだ……報告しない」
風が彼女の声をさらっていった。規則を守ることが正義だと信じてきた彼女の心に、初めて“矛盾を抱えたまま黙る”という選択が生まれていた。
◇ ◇ ◇
夜、帰り道。
私としずくとルチルは並んで歩いていた。街灯の下で三つの影が寄り添って伸びる。これまではひとつと半分だった影が、今日からは確かに三つになった。
「……ありがとう」しずくちゃんがぽつりと呟いた。
「なにが?」
「私に“居場所”をくれて」
私は笑う。
「居場所なんて勝手に作ればいいんだよ。私のきらめきのために君が笑ってくれるなら、それで充分」
しずくちゃんは黙ってうつむいたけれど、その頬はほんのり赤く染まっていた。
その様子を見て、ルチルが「やれやれ、ユニット内恋愛フラグ?」と茶化す。私は「違うし!」と即座に否定するけど、心臓がちょっとだけ跳ねたのを隠せなかった。
夜風が吹き抜ける。三人で歩く道は、前よりも少し広く感じられた。




