タイトル未定2025/04/22 01:11
整備されていない険しい山道を、明かりのない暗がりの中で突き進む。先陣を切るトワさんの背を追いかけるだけがあたしの限界。既に二時間以上もこの状態が続いている。疲れては回復して、また疲れては回復しての繰り返し。呪いには感謝せざるを得ない。と、余計なことを考えていると、崖を飛び越えた先で急ブレーキを掛けたトワさんに勢いよく衝突してしまった。
「ちょっと、急に止まらないでくださいよ」
「すまない。ようやくたどり着いたよ」
「ようやくですか」
そこは山と山の狭間。山と山を繋ぐ架け橋の真下は、恐らく数十メートルに及ぶ深い谷底。夜闇の中では谷底は目視できず、突き上げる隙間風と滝の打つ音が耳に残る。
「ここで何をするんですか」
「谷底をよく見ると良い」
暗くて何も見えない筈だが。恐る恐る身を乗り出して覗き込む。目を見開いても、目を細めてもやはり何も見えない。トワさんには何か見えているのだろうか。
「何もみえっ―――」
え?
気が付くとあたしは宙を舞っていた。制御できない空中で血の気が引いていくのを確かに感じながら、深淵にも思える谷底へと吸い込まれていく。唐突に目前へと迫る死に怯えて、悲鳴を上げることすらもできない。
鈍い破裂音が響く。
どうして?
あの高さから落下して怪我一つない。真冬の中、川の水でびしょ濡れになっているのに寒くない。
「シオン、聞こえるかい」
トワさんの声が渓谷に何重にも響いて聞こえる。
「何してくれたんですか!死んだかと思いましたよ。怒りますよ」
あたしの怒声が反響して、あたしに返ってくる。その異質な状況に理解が追い付くと、右手が震えていることにようやく気が付く。
「すまない、驚かせようと思ってね」
「それでこれは何なんですか」
悟られないために、もしくは、自身が気を逸らすために平然を装って応答する。
「試験をしよう。何時間かかってもいい、私を見つけられたら合格だ」
「かくれんぼですか」
震えを隠そうとすればするほどに震えは強く、制御が効かなくなる。
「それじゃあ、頑張ってくれ」
震えを鎮めようと時間を割くも、震えは手だけでなく腕までに伝播する。
きっとトワさんは追跡困難な場所まで移動している。
焦りを募らせて、これ以上はと諦める。
使い物にならない右腕をぶら下げて断崖絶壁をよじ登る。
トワさんの呪いで身体強化されていなければ到底不可能なことだった。
それで、どうしたものか。
考えを巡らせながら、足跡でも残っていないか辺りを確認する。
ついさっきあたしが落下した、いや、突き落とされた場所まで戻ってくる。
すると木々へと続く足跡を見つけた。がしかし、これは偽装の可能性が高い。
であればどうするか。悩む必要はない。何故ならあたしは必勝法を導き出したから。
必勝法。それは普通に帰るだけだ。この試験に時間制限はない。家に帰って痺れを切らしたトワさんが帰ってくるのを待つだけ。それだけでいい。
辿った道は万が一を考慮してすべて記憶していたから迷う心配もない。
この短時間で最も簡単かつ最も確実な策を考え付いたことを嬉しく思う。
少しずるいだろうけど、
「よし、帰ろう」
嬉々として帰路への足を踏み出す。そびえたつ木々の中へ踏み入り、3・4mはある崖を
飛び降りる。普通は怪我をする高さでも今はトワさんの呪いのおかげで問題はない。
そう、トワさんの呪いがあれば。
着地の瞬間、全身から力が抜ける。忘れていた筈の疲労が押し寄せる。不意の出来事と足場の悪さに体制を崩して、傾斜を滑り落ちる。
え?
枯葉の上では制動は効かず、突起した地面や石で体を打ち、枝が刺さる。勢いを殺そうと足でブレーキをかけると、歪に曲がる。
視界不良のなか、最後には大木に衝突して静止する。
どうして?
打撲、擦り傷、切り傷、刺し傷、骨折。これだけの外傷と衝撃を受けて意識がある。濡れた服が体温を奪っていく。
不思議と心は平穏だった。確定的な死を前にすると却って心は動かないのかもしない。
痛いし、寒い。それなのにどこか他人事のような、ただの事象としか感じられない。
どうしてこうなったんだろう。あれ、本当にどうしてだっけ。
あーそうだ、最悪なタイミング呪いが切れたからだ。
原因は時間制限、距離制限そんなところだろうか。
そんなことはどうでもいいか。
助けは来ない。
呪いのことはよくわからないけど、呪いが切れたと言うことはあたしとトワさんの接続が切れたも同然だろう。
でなければこんな怪我くらい治っているはずだから。
だとすればあたしの現状をトワさんが知る術はない。
あたしが滑り落ち始めた場所からはかなり離れてしまっている。
だから助けには来られない。
まるで死を望んでいるかの如く一切の希望を抱かずに悲観する。
これが一番安心できる。死が怖くなくなる。
何もできずに希望だけ抱いて、苦しんで、悔しい思いをするくらいならこれでいい。
そう言い聞かせる。
考えるのは辞めよう。幸も不幸も考えなければ感じない。そうしよう。
無心になろうと空を見上げる。枝や葉でよく見えない。ほんの少しだけある小さな隙間から星が見えた。
今まで何度も見てきた。特別な星でもない。ただ隙間から見えただけの一つの星。
なのにどうして。どうしてこんなにも綺麗なんだろう。
一秒でも長く眺めていたい。だのにぼやけて、滲んでしまう。
隠していた気持ち、逸らしていた感情。
痛い、寒い、苦しい、悔しい。
だけど、だから死にたくない。いやだ、生きたい。
少しでもいい。1%にも満たなくてもいいから希望を捨てたくない。
考えろ。少しでも助かる方法。助けてもらえる方法を。
隠そうとして忘れていた震えは、奮い立たせる希望に変わる。
次第に思考は停止する。
希望の星を眺めて呟く。
「トワさんにも見せてあげたかったな」
最後の言葉。確信を持って呟いた。
永遠のような一瞬の静寂が訪れる。
「見つかっちゃたね。合格だよ」
それは幻でも、あるかもわからない希望でもない。それは確かな
「これが・・・呪いですか」
これは呪いの試験だった。あのタイミングで呪いが切れたのも仕組まれていた。あたしが呪いを使えるようにするために。
「ごめんね、シオン。許してくれるかい」
良いとか悪いとか許すとか怒ってるとかなんてどうでもよかった。
「謝るくらいなら、さいしょっがら、うっ―――」
それ以上は言葉にはできなかった。
しばらくシオンの声だけが耳に残る。
シオンは眠ってしまった。ベッドに寝かせたシオンを眺めながら卯月トワは呟く。
「これでいいんだ」
だれかに言い聞かせるように、二人だけの家で呟いた。