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潜伏中のささやかなお祝い

 「でも、早い段階で出頭してたのなら、何年か服役しても、その後また、ちゃんと社会復帰できたんじゃないですか?」

 園子は言った。今さら言ったって仕方ないことだけど、男のいう終末があまりに残念に思えたから、ついでしゃばってしまった。

 済んだことだろうが! と、元彼からよく怒鳴られたことを園子は思い出した。ついつい、あのときこうしとけばよかったんじゃないの、みたいなことを口にしては怒りを買ったものだった。

 しかし男は緩やかにうなずき、人懐っこい目を細めて答えた。

 「はい、確かにそうですよね。出頭するという道もあるぞと、当時の僕は考えました。さいわい僕の関わった現場は、被害が小さかったので、長くても20年くらいで刑期を終えられるだろうと、こう考えました。40歳くらいでシャバに出てきて、再起動、第2の人生を始めると、そういう道もあったかもしれません。40歳ならまだまだ若いし、いくらでもやり直せます。70歳のいま振り返ると、そうしても良かったような気もします。懲役を終えた身上なら、もう人並みに保険証もあるし、虫歯や病気を治療したりできますし、生活保護か年金も貰えて今頃は、孫の面倒みてたりとか、あったかもしれません。これは再起動の成功例ですけど、家族に囲まれて人間として幸せな人生を送るなら、そうするべきだったでしょう。

 でも、そう出来ない理由があったのです。

 もちろん過激派は自首を嫌います。そんなことすると、あとあと危険な報復に遭い兼ねません。

 いえ、それだけではないのですよ。それより大事なことが…。

 警察に逮捕されるということは、身柄のありかがどこにあるのか、それはもうはっきりしてます。真乗坊たちに『どこそこの刑務所に入った何年で出てくる』と知れてしまいます。なので、刑期を終えて出所するとき、彼らが迎えにくることは明らかでした。

 そうなるとまた、彼らと活動をともにする人生の後半が、確実に待ってるのでした。

 そうなんです。僕は、警察や世間から逃げるのと同じように、真乗坊からも逃げてるのでした。絶対に、居所を知られたくなかったのです。もう二度と、会いたくなかったのです。

 僕はなるべく目立たないように生活しました。仕事は、早朝、寮のそばの工務店から車に乗せてもらって現場へ行って、黙々と働いて、3時か4時くらいにまた車で寮へ帰ってくるという日常だったので、仕事の関係者以外と会うこともほとんどありませんでした。

 夜は部屋に籠りっきりでした。近所のスーパーへはたまに行きました。自炊してましたし、散髪も自分で、バリカンを買ってきて坊主頭にしました。数ヶ月放置して、伸びたらまたバリカンで刈るという大雑把な感じでした。なるべく、必要以上の外出は控えました。

 そして仕事先の先輩がたには常に、愛想良く振る舞いました。まあこれは、習性みたいなものでしょうか。今度は誰も、川崎の靴工場の社長みたいな、手配書の写真を話題にする者はありませんでした。ニコニコして黙ってると、みんな優しくしてくれました。『タッキー』とか『たーやん』などと愛称で呼んでくれました。目立たないよう、嫌われないよう、気をつけて黙々と立ち回ると案外と居心地よくって、あっという間に7年が経ちました。

 ある夏の夜、僕はビッグニュースを聞いて、静かに小躍りしました。

 真乗坊が捕まったのです。横須賀の新聞販売店に偽名で入り込んでたようです。ふと公安の捜査に気付いて、都内へ逃亡したようですが、先回りした公安に東京で捕まった、とのことでした。

 鎌倉の改築現場から帰ってきて大浴場で汗を流して、先輩方と娯楽室でテレビを見ていますと、ニュースでそのように言ってました。僕は冷蔵庫から自分の瓶ビールを出して、景気良く栓を抜きました。風呂上がりにテレビを見ながら飲むビールが、ささやかな楽しみでした。

 僕は鏡で自分の顔を見ました。短髪で日に焼けて、髭も生え揃ってきました。肉体労働を7年もやっておりますと、腕や首や肩や胸に筋肉がついて、またよく食べるので、顎や頬も肉がついて、手配写真とはまるで違う人相になってました。

 もともと僕は痩せっぽっちでしたが、ひとりで生きていくためには、不慣れな工務店の土方仕事に従事するしかなくって、3年くらいはずっと筋肉痛の毎日でした。特に前腕、肩、あと尻と太腿の裏とか、ずっとずっと何年も痛くて、泣きながら寝たこともありました。

 年月とともに、いつからか痛くなくなり、もうその時は体つきも変わってました。同時に顔の輪郭も、ひとまわり大きくがっちりしてました。

 たぶん公安や警察官はもう、気づかないだろう。そう判断して、僕は1982年の夜の街に出ました。

 藤沢駅の南側でした。

 もう真乗坊の目を恐れる必要はありません。やつは檻の中に入ったのです。

 赤く青く黄色く瞬いて、列をなして流れたりハレーションを起こしたりする煌びやかな夜の灯が、艶やかに回転して噴火する虹色のネオンが、気持ちを明るく華やかにしてくれました。自分が逃亡者であることを肝に銘じてましたが、とりあえず、自分にとって忌まわしい存在がシャバから消えてくれたのですから、ささやかなお祝いをしたい気分でした。自分はどれだけ真乗坊を恐れてたんでしょうか…

 賑わう人混みに紛れて僕は、友達や家族と幸せそうに笑い合う見知らぬ人々と同じように歩き、同じように幸せな気持ちになりました。楽しげな同世代のグループの影に隠れて、みんなが大笑いすれば、こっそりと僕も笑いました。

 あちらこちらの商業ビルからは様々なBGMが流れて、焼鳥やラーメン、ステーキやフライドチキン焼肉なんかの匂いが漂ってきます。タクシーのクラクションや女の高笑いや呼び込みの声や歓声や、混じり合った音楽や遠くのサイレンや、駅の発車ベルなんかが心地よく耳に響き、街の一員になったような気がしました。ずっと昔からこの街に住んでるかのような、深い愛着を感じました」

 男はしあわせそうに笑みを浮かべ、そっと目を閉じた。

 「南口いいですよね。その頃から賑やかなんですね」

 園子としても、愛するホームタウンなので、つい口を挟んでしまった。

 「賑やかだったよぉ」

 と男は大きな瞳をキラキラさせた。

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