家と道
「工務店の社長は物静かな小男でした。当時で40歳くらいでしたか、まだ幼児の息子がいました。優しい雰囲気の人でした。ああ良かったらウチで働きな、すぐそこに寮もあるし、と、会ってすぐなのに、僕が何者かロクに知ろうともせず、簡単に雇ってくれました。社長は今から10年くらい前に亡くなりましたけど、今は、その当時は幼児だった息子さんが社長業を引き継いでますね。もう50すぎになりますかね。
寮は赤茶けたトタン屋根の、2階建ての安アパートのような造りでした。2階と1階に4部屋ずつありましたが、2階に2人と、1階に1人だけ、住んでる先輩がおりました。
『2階のこの部屋が日当たり良いから、ここにしなさい』
社長が案内してくれたのは角の6畳部屋でした。柔道場のように何もありませんでした。共同のトイレと炊事場は、部屋を出て廊下の突き当たりにありました。
別棟のボロ小屋には風呂と娯楽室がありました。いまはもう屋根が落ちて、20年も前から使えませんけど…。母屋のほうも今となっては雨漏りしてますし、外観も、ほぼ廃屋ですけど、当時はまだ人の気配のある、文化的な共同住宅の活気がありましたよ。
『仕事はいつから来れる?』と社長が訊くので、はい明日からでもと僕は答えました。
『じゃよろしくね』と社長が去り、僕は部屋にひとり残り、畳にへたりこみました。ぐらりと一気に力が抜けて、そのまま溶けるように横になりました。飴色の畳は古いというだけで清掃は行き届いててイヤなにおいもなくて、どこか懐かしささえありました。ずぶずぶと、心地よく畳に沈み込んで同化していく感覚がありました。
身体は動かないのに、頭の中は忙しく、さまざまな思いが駆け巡りました。
もう両親には会えない。姉さんたち弟にも、もう会えない。いや故郷にも帰れない…。
旧友との繋がりも、自分の本名も、すべて捨てなければならないのでした。ここで、別人として、生きていかなければならないのでした。ニセモノの人生です。これは、若い僕には信じられないくらい遠い、まったくの暗闇、深さも距離感も時間の感覚もまるで見当がつかない、漆黒の世界でした。滝本努としての、僕の第2の人生の始まりでした。
持ち歩いてるマジソンスクエアガーデンのボストンバッグの中には、下着肌着が3枚ずつとタオルが2枚、大学ノート3冊、筆箱ひとつ、祖父の形見の懐中時計、あと定期入れがひとつ入ってました。
定期入れには、高校を卒業する少し前に地元で取った運転免許証が挟まっておりました。これは、あぶなかった。これを持ち歩いてる時に職務質問されて、この免許証が出てきたら、言い逃れは出来ないですよね。
僕は免許証を捨てようとしましたが、思い留まりました。ボストンバッグに入れ、バッグごと押入れの奥に封印しました。将来、自分がくたばったとき、押入れからこれが出てきたら、こいつ指名手配犯じゃん! ってなって初めて、僕の潜伏生活は終了するのでした。滝本努として、身寄りのない行旅人として弔われるのも一興ですが、僕を探していた人たちへの餞別みたいなものです。というか、終了のホイッスルですね…。
サルバドールに帰りたい欲求と衝動は、もちろんありました。正直、普通にありました。ええ、あの夢のような甘い時間が、忘れられませんでした。
ここがあなたの家よと、マキさんは言ってくれました。愛の手を差し伸べてくださったのです。
それなのに、身バレの危険とかいくつかの間の悪さが重なったものの、結局は、真乗坊の影を恐れて、ひとり逃げて来ました。弱い心が、愛を拒んだのです。
知った者もいない藤沢という初めての街へ、ふらふらと流れて来たのでした。
家のない者は、道をさまようしかありません。
神様の恵みともいえるマキさんの愛を、甘く暖かな家を、結果的に僕は拒絶して、ただ不毛な道を歩むしかないのでした。
工務店の寮は生活していくには充分な部屋でした。ありがたいことでした。しかし、家ではありませんでした。愛する人がそこにいて、初めて家になるのです。狭い借家でも家族が一緒にいるなら、もう立派な家です。
独りで静かに潜伏するこの寮の部屋は、道のくぼみにすぎません。さまよってる途中で、ちょっと道のくぼみで休んでるにすぎません。この時はまさか50年近くも長居するなんて、思ってもみませんでしたがね」
男は静かに笑った。園子も言葉なく笑顔でうなずいた。言われてみれば園子も独り暮らしだったが、そこそこ高い家賃のアパートだったが、たしかに家ではないなと思った。いつか好きな人ができて、一緒に暮らすようになれば、家の温もりに感謝するかもしれない。
男は真顔になり、話を続けた。
「彼女ともう会えなくなってしまったこの展開は、本当に無念でした。狂気じみた、気が遠くなるような懲罰でした。罰の重みを背負いながら、それでも生きていかねばなりません。僕は、独りきりで生きていこうと誓いました。それが逃亡犯ってもんです。マキさんのことはスッパリ忘れて、道をさまようことを選びました。
できるところまでは、精一杯、生きていきます。しかし、いよいよな時は抗いません。甘んじて閉幕を受け入れるつもりでいました。今もそうです。ひとり、ひっそりと、草葉の陰に隠れるつもりです。
いまの僕は、戸籍がないのですから、まず保険証がありません。もちろん、年金ももらえません。生活保護も受けられません。いっさいの行政サービスを受けられませんので、病気になれば、終わりなんですよ。終わりって、死ぬってことです。
仮にいま病気を治したところで、長生きはできません。はい。戸籍がないので、新しくアパートを契約したり、身体に見合った楽な職業を求めたりっていう、普通のことができません。つまり、身元保証の要らない今の工務店で肉体労働ができなければ、終わったと同じなんです。
工務店の寮が唯一の居所です。失業保険にしろ労災保険にしろ、なんの補償もないのですから、つまり、今の工務店で肉体労働ができなければ、飢え死にです。閉幕です。土方仕事ができなければ、終わることになります。
食べ物を確保できない手負いの野生動物と同じですよね。僕は人間のかたちはしてますけど、同じですよ。土方仕事はとても、病み上がりの老人のできる仕事じゃありませんので…」
男は言って、淋しそうに苦笑した。