いきなり指名手配
「鍵も、スペアキーを白田さんが持つようになり、しょっちゅう来られました。ていうかほぼ住んでました。なんだろう? もうこうなると、 一蓮托生? どっぷり両脚とも膝まで浸かって、身動きが取れませんでした…。ただただ必死で、冷静な判断力を失ってたんです。闇の中でした。盲滅法、闇雲に時間は流れて、1975年になって、やがて春が来ました。
ある晴れた朝、他校で団交が行われると白田さんから聞いて、僕は見学に行くことにしました」
「ダンコー?」
「団体交渉、の略ですね。学校側と生徒側が、授業料なんかのことで公開で交渉するんですよ。もっと下げろー、いやこれ以上ムリー、みたいなね。大衆団交って言って、労組と企業の団体交渉とは区別してましたっけ。大衆団交は、大学紛争が下火になった1975年ではもう珍しい交渉でね、白田さんはぜひ見学に行ってこいと、盛んだった1968年ごろを懐かしんでおられました。僕は白田さんの手前、ずいぶん前向きな心意気で出向きました。行ってきます! と張り切ってアパートの部屋を出ました。ところが、ここの学生証がないと、講堂には入れませんでした。当たり前か、なんと間抜けな、白田さんになんて言い訳しようか、と途方に暮れてると、ふと僕を呼ぶ声がしました。聞きおぼえのある、低く掠れた声でした。振り向くと、高校の時の同級生でした。僕は驚きました。
大学1年の夏休みに僕は広島に帰ったんですけど、同じように帰省していた同級生たちと、道後山へキャンプへ行きました。彼もその時のメンバーでした。夜遅くまで、ビートルズやストーンズやサンタナの話を焚火の前で繰り返しました。そのときの彼でした。
たまたま彼はここの生徒で、しかも講堂周辺の警備を担当していました。頼むと、簡単に入れてくれました。僕は歓喜しました。持つべきものは友だと、その時は感謝しました。後で礼を言いに行くと、
『ノンポリだったお前が何してんの?』
と訝しげに言うので、いやまあ、いまどき珍しい交渉だからさ、ただ見学しておこうと、それだけだよ、と答えました。友達は、ようやく故郷の方言で、
『あんまり深入りすんなや』
真顔でそう言うのでした。そして笑顔に戻り、晩めしでも一緒にどうじゃ?
ああ、友よ! と、今なら思います。ですが、その時は、ただ煙たく感じたものです。後ろめたい感じでしょうか。
『用があるから』
と僕は旧友の誘いを断り、急いで、アジトと化した我がアパートへ帰ったのでした。決して落ち着けることのない雰囲気のアジトへ、急いで帰ることもないのに…。なんということでしょう。彼とはこれっきり、会うことはないのでした。今は、ただ後悔してます…。
それから1週間ほどして、とうとう、チューンアップした時限爆弾を仕掛けることになりました。あらかじめ標的にしていた建設会社の作業場に、白田さんと真乗坊はセットしたんです。僕は下見を担当させられ、人目に付きにくい箇所を見つけて知らせておきました。作戦は遂行されました。思ってた以上に爆発してプレハブ小屋の一部に大きな穴が開きました。さらに、1週間後、同じ建設会社の別の建設現場に仕掛けました。これも派手に爆発しました。仮設トイレが吹き飛びました。さいわい両方とも、死者は出ませんでした。ただ怪我人を出してしまったのは、本当に心苦しいです。本当にバカなことをしました…。はい、バカでした。
それから2週間ほどで、仲間内の過激派グループのメンバー7人が逮捕されました。白田さんも、芋づる式に捕まりました。もともとマークされていたので、あっさりとした逮捕劇でした。
しかし僕と真乗坊は、公安からマークされておりませんでした。白田さんが持ってた合鍵から、他に2名いるぞと、初めて存在を知られたらしいのです。真乗坊は一度逮捕されてるので、警察としても資料が揃ってるもんですから、迅速な手配になったけれど、僕は警察にはお世話になったことはないので、何者? から始まって、写真も、学校か友人から取り寄せたものしかないから、あれですよ、指名手配の写真があんなに爽やかな笑顔のものが採用されたんですね、ふふふ…」
男は照れくさそうに、どこか腹立たしげに苦笑した。え? 園子は驚いた。
「ちょっ、 指名手配って? 冗談ですよね…」