逃亡エルフは冒険者になる
あれから数日。俺たちは相変わらず同じ部屋で寝て、俺の作った飯を食い、サンビタリアが洗濯をして、時々買い物へ行って過ごしている。少し暮らしにも慣れてきた様子だから、ぼちぼち次のステップに移るつもりだ。
「そんじゃギルド行って、登録してくっか」
「うむ。晴れて我も冒険者というわけだな」
あの日仕立てた服も全て直しが終わり、出来上がってきている。どれもシンプルだが丈夫で動きやすい、質のいい装備だ。その他に冒険者として必要な武器や防具、非常時の備えに傷薬なども用意してある。思いの外着こなしているそれらを身に着けて、サンビタリアは気合十分に拳を握った。
丈夫な革の武骨な編み上げブーツを引き締め履いたサンビタリアに、優美なエスコートは必要ない。俺たちは横並びで大股に地面を踏みしめ、ギルドへと向かった。
「いらっしゃいませ、本日は──あ、アイザックさん、おはようございます。あ、と、そちらの方は先日の……?」
「ああ、保護した奴だよ。今日から冒険者として活動することになったから」
「え、ええと、そうですか。でしたらまず登録ですね。こちらの紙にご記入をお願いいたします。代筆は?」
「必要ない」
朝一番の混雑帯は外したからそれほど満員というわけではないが、それなりにざわめくギルドの中。やはり俺たちは周囲の視線を集めていたが、今に始まったことでもない。気にしないことにして手続きを済ませ、サンビタリアは晴れて冒険者となった。
初めは見習いのF級からだ。これは子供の小遣い稼ぎでも出来る仕事ばかりで、要するに頼まれたことを頼まれた期限内に求められたレベルでこなせるかという姿勢を見せるためのもの。依頼を十件もこなせばすぐに昇級となる。何級だろうがギルドカードを持っていると街の出入りの際に身分保障がされるから、戦う気のないやつでも案外持っている奴は多かったりする。とはいえ低い等級のカードは一定期間で実績なしだと資格取り消しになったりもするのだが。
規約や仕組みは事前に俺が説明しておいたから、今日は早速依頼を受けて早々に昇級を目指すことにする。ちなみに俺とはまだ等級が違いすぎてパーティを組むことが出来ないのだが、しかしソロ同士として共に行動することに制限はない。俺の側としては何の恩恵もないが、上の級の者が認めているなら何の問題もないのだ。
余談だが時折その仕組みを利用して金のある駆け出しが実力者を雇い、依頼を代行させて実績のみ己のものとする行為なんかもある。まあF級やE級ぐらいならそんなことも可能だろうが、C級より上は昇級に一定の試験があるから物理的に詐称は難しい。そもそも実力のある者から見れば、相手の力量などある程度見ただけで分かる。経験は視線や身のこなしに現れるからだ。そうまでして金を払って買ったE級の資格が何の役に立つのかと言われたら、利点より後ろ指さされる恥の方が上回るというわけだ。
「今日は掃除系をいくつかと、ついでに回れる配達系をいくつか受けようぜ。効率よくこなせばあっという間に昇級できるはずだ」
「うむ、すぐにアイザックに追いつくのでな、少々付き合いを頼むぞ」
常設で出ている側溝の掃除と、個人宅から依頼された屋根の掃除の依頼を選ぶ。またそれらの現場へ向かう道中でこなせる配達系依頼が出ていたため、そちらの依頼書も掲示板から剥がして手に取った。
窓口で手続きを済ませ、ギルドを後にする。最初に配達の荷物を受け取ってから指定の側溝掃除の場所へと向かった。
「ほとんど泥と落ち葉だな。とりあえず詰まったものを掻き出しちまおう」
「粗方取れたら我の魔法で一気に流そうか」
「おう、それ良いな。準備ができたら頼むわ」
指定の麻袋に泥を集めて詰めていく。道具やなんかは借りられるし、体力さえあれば危険のない仕事だ。身寄りのない者や金が必要な奴らにとっての小銭稼ぎにもなる。しかし濡れた泥はなかなかに重いし、排水だからそこそこ臭う。泥掻きをすれば当然身体も多少は汚れる。子供には体力的に少々厳しいし、体力のついた奴らはもっと割の良い他の依頼を取るだろうという不人気依頼だ。
しかし、俺はこの依頼が案外嫌いじゃないのだ。何を隠そう、俺が実家を出て最初に受けたのも側溝掃除の仕事だったから。コツが掴めず全身どろどろになったし、妙な持ち方をしたせいでスコップを握る手の豆が潰れ痛い思いもした。ようやく終えて受け取った小銭は精々屋台で串焼きを買える程度しかない。それでも、自らの手で稼いだ金だと思うとこの上なく誇らしかったのを覚えている。
今では体力もついたしコツも分かっている。誰かがやらねば雨の日などに街が水浸しになる可能性もあるし、暇があればやるようにしていた。流石に級が上がってからは小銭を受け取ったりはしていないが。用具入れからスコップを出してさっさと掻き出すくらい、こまめにやれば数分で終わるのだから。
「こんなもんでいいんじゃねぇか。あとは流して終わりにしよう」
「あいわかった。では、《水よ》清き流れに戻したまえ」
ざばっと洗濯の際より大量の水が側溝を流れていく。俺ひとりでやっていた時はごみと詰まりを取る程度だったが、こうして水が使えると根こそぎ綺麗に出来て良い。この区画の側溝はしばらく詰まらないだろう。
道具を片付け、サンビタリアに水を霧状に出してもらってその中を潜る。ついでに手足も洗った。しっとり湿った身体を風の魔法で乾かしてもらう。風はさほど得意でないと言っていたが、風呂上りに使っている温風の魔道具のように出来ないかと聞いたらあっさり出来ていた。
「風の精霊がこんなにも……」
サンビタリア自身が一番驚いているようだった。
色々なものを見て色々なことを試し、経験を積めばいい。失敗しても失うものはなにもないのだから。
配達先へ行って依頼の荷物を届け、再び別件の荷物を受け取ると次の掃除だ。屋根の上に生えた苔取りと、鳥の糞の掃除だ。これも魔法であっという間。水魔法が予想以上に便利で驚いた。俺の持つ魔道具は、基本的には飲み水を確保したり洗濯や風呂用に水をためる為のものでしかないし魔石だって結構食われる。しかしエルフの魔法は想像力が要らしい。水が凄い勢いで細く強く飛び出る様をイメージして精霊に伝えれば、興味を持った精霊がその通りにしてくれるのだとか。なんとなくでは上手く伝わらないし興味を持たれなければ手伝ってくれないこともあるらしいけれど、その辺の調整がサンビタリアは上手だ。俺に精霊は見えないけれど、笑顔で何事かを呟いてその手を振る彼女はまるで踊るようで。美しく、そして楽しそうなのだ。あのように頼まれたらきっとどんな精霊だって共に踊りたくなるのではないだろうか。
得意ではない属性の魔法だとうまく使えないというのは、伝え方の問題なのかもしれない。得意な属性が偏った一族同士で集まって暮らしているということは、つまり幼い頃から似たような魔法しか目にする機会がないということだ。もしかしたら血族のみに伝わる秘術などもあるのかもしれないが、事実こうして里を出てきた彼女は既に新たな経験を経てどんどん己の可能性を広げていっている。
最後に配達を済ませたら今日の依頼は全て終了。一日でこれだけこなせば成果は上々だ。
受付で処理を済ませ、小銭を受け取ったサンビタリアは空色の目をキラキラと輝かせている。
「これが、我が初めて働いて稼いだ対価なのだな……!」
「ああ、その通りだ。大事にとっておけよ、金に名前は書いてないけどな、それを見たらいつでも今日という日の気持ちを思い出せるはずだから」
「アイザックも最初の依頼の金は取ってあるのか……?」
「ああ、あるよ。これからはこうやって自分の力で稼いで生きていくんだって、歯食いしばって気張ってた。青かったけどよ、あの頃の自分が諦めなかったおかげで今もこうしてられるわけだしな」
誰にも話したことなどない。でも多分、あの日の俺も「最初の金」を手にして心が震えたから。貴族の時に与えられていた自由に使える予算よりずっと少ない小銭であったが。それでもその価値は他人には計れないほど大きなものだったのだ。