第八話
塊の豚肉は塩漬けにし、牛系の魔物肉は薄切りにしてから特製の調味液に浸しておく。果物をすり下ろして加えるのがポイントだ。そして今晩の夕食に使うのは、鶏肉。胸肉は塩と砂糖、ハーブで下処理をしてから糸で巻いて形を整え、沸騰した湯に放り込んだらすぐに火を消しておく。余熱でじっくり火を通すことでハムになるのだ。これは明日の朝食のサンドイッチに使おう。
残ったもも肉は筋を切り、肉叩きでひたすらに叩く。ばんばんと響く轟音に何事かとサンビタリアが覗きに来たけれど、下処理だと伝えると不審げながらも納得してくれた。
別に嘘でもなんでもない。若干いつもより多めに、念入りに、強めに叩いているだけだ。俺は自分の機嫌を自分で取れるタイプの人間なのである。
想定以上に薄く伸びた肉にハーブと塩を振り、削ったチーズをパラパラと振りかける。いつも通り半分に折り畳んだのではまだ巨大すぎるから、形を変えて端からくるくると巻いて串で止めることにした。これはこれで食感が楽しめるだろう。
薄く粉をまぶして溶き卵に潜らせ、パン粉をつける。熱してあった油の鍋にそっとそれを沈めると、しゅわわと軽い音が鳴り、無数の泡が湧いて出た。
こういうのはあまりいじくり回さない方が良いのだ。焦げない程度に返す程度にして、腕を組みじっくりと様子を見守る。中までしっかり火が通るよう慎重に。揚げ物は後の処理が大変だし野営には向かないから、調理を覚えたのは家を買ってからだった。この国では油はさほど高くない。実家では揚げ物が食卓に並ぶことはほとんどなかったし、多分自国で油の生産をしていなかったのだろう。あの頃は味気ない食事にさして興味もなかったが。貴族向けのこってりしたソースがかかった料理よりも、この国で食べる屋台の飯の方がよっぽど美味い。
「良い匂いがしてきたな」
待ちきれなかったのか、再びキッチンに顔を出したサンビタリアがソワソワと身体を揺らす。
「ああ、もう出来るから。皿を出してくれるか」
「任せておけ」
刻んだ千切りのキャベツを山盛りに、こんがりと揚がった鶏のチーズロールを一口大にサクサクと切る。ぐるぐると巻かれた断面が面白い。皿に移すと、刻んだ玉ねぎとゆで卵、保存食のピクルスで作ったソースもたっぷり添えた。
「おお……! なんと美味そうな……!」
「よし、熱いうちに食おうぜ」
片手間に作ったスープはトマト入り。今日はキャベツがあるからサラダはなしだ。
「アイザックの恵みに感謝を!」
手を祈りの形に組んだサンビタリアは楽しそうにそう言った。
「──サンビタリアとの楽しい夕食に感謝を」
フォークを手に取り、まだほくほくと湯気を立てる揚げたてのカツにさくりと刺す。まずはそのまま頬張ると柔らかな肉からはじゅわりと肉汁が滴り、次いでチーズのまろやかな香りが口の中いっぱいに広がった。我ながらよく出来ていると思う。ロール状にしたおかげか歯触りも良かった。
「あ……っふ、ん──これは、なんと……! アイザック、お主天才だな……!」
小さな口をむぐむぐさせて飲み込んだ後、油で唇をテカらせながらサンビタリアは目を輝かせた。どうやらお口に合ったらしい。
「肉を叩いておる時はもしや気でも狂ったかと思ったが、あのおかげでこれほど柔らかになっているのであろう? はぁ……なるほど料理も奥が深い。しかしチーズと層になって幾重にも重なることで満足感もあり、食感も面白い。ふわふわとした部分と、この外側のサクサクした部分が飽きさせない仕組みになっておるのだな。肉とは、なんと魅力的なものなのか……」
感慨深げに考察を深めているようだが、いい加減照れるからやめて欲しい。別にそんな深く考えて作っているわけではないのだし。
「もう、分かったから冷めないうちに食えよ。料理は美味いうちに食うのが礼儀だぜ」
「その通りだな! いただこう」
油とチーズでこってりした口内をキャベツでさっぱりさせる。段々飽きてきたところで添えたソースをたっぷり付けると再び味の変化が楽しめる。時折酸味のあるスープでリセットすれば、また一口が美味しい無限ループだ。
「ふう……さすがに俺も食いすぎたわ」
「左様……。腹がはちきれそうだ」
確かにその小さな身体にしてはよく食べていた気がする。
「ふふ……もう早速、我の好物が見付かった」
「そうかよ。そりゃ良かったぜ。またいつでも作ってやるから」
俺の言葉を聞いて、サンビタリアは心から嬉しそうに笑う。
「お前は本当に美味そうに食うから作り甲斐があるよ」
「そうか? だって本当に美味いからな。アイザックは冒険者を辞めたら料理人になると良いのではないか?」
「冒険者を辞めたら、か……」
「そうなったら我が一番の常連客になってやるからな!」
「あ、ああ、そんときゃオマケでもしてやるよ」
「肉を大盛りでな」
一緒に働いてくれても良いのだが。でもサンビタリアがホールにいたら、不埒な輩が寄って来そうで料理どころではなくなりそうだ。
寝間着代わりの俺のシャツをゆるりと羽織り、髪を解いたサンビタリアはおやすみと告げて部屋の扉を閉めた。
俺も自室へ戻るとソファにぼすりと腰を下ろし、秘蔵のウイスキーをグラスに注ぐ。
昨日も色々あった一日だったが、今日もまた様々な事があった。これまで俺が生きてきた人生の中で、今が一番みっちりと詰まった時間を過ごしている気がする。
俺をハズレだと言った父。いらないと言った母。視界に入れなかった長兄、邪魔だと言った次兄。くるりとグラスを回すと、氷がからから音を立てて崩れた。
誰かと共に過ごすのは、初めてだったのだと思う。偶然居合わせるのではなく、すれ違うのでもなく、自分を真っすぐにみる他人と過ごすのは。
「冒険者を、辞めたら……」
これまで考えたこともなかった。
冒険者を辞める時、それはすなわち自分が死ぬときだと思っていたから。
誰が待っているわけでもない、何かを残すわけでもない。最後の瞬間まで俺は何かと戦っているのだろうし、それで死んだとて思い残すこともないと。
でも、今は、どうだ?
ただいまと言えばおかえりと返される家に帰り、買い物をし、料理を作り、美味いなと笑いあって。危険などなにもない安全な空間で、好きなものを好きなだけ腕の中に抱える暮らし。
そんな人並みの生活が、俺にもあるのだろうか。夢見てもいいのだろうか。
「いつか──そんな日が来ても、いいのかもしれないな……」
生きたい、と思った。
帰る場所があるということは、こんなにも、人を強く──弱く、させるのだ。
ひとりで死にたくないと、初めて思った。
◇
かたん、と何かの音が鳴る。風だろうか、買ってきた物が崩れたか。
そろそろいい加減に寝なければとグラスをテーブルに置いた頃。部屋の外で気配が動いた。
この家に俺が住んでいるということは、この街の住民ならほとんどの奴らが知っている。だからこそ何か困ったときは指名依頼を出してくるのだろうし、俺もそれを無為に断ったことはない。今俺が依頼を受けず家にいることも今日の外出で知れているだろうし、流石にわざわざここへ強盗に入る愚か者もいないだろう。確かに金はあるし──ほとんどギルドに預けっぱなしだが──貴重な素材もあれば、置いている魔道具も高価なものではあるけれど。数で来られれば勝てるかは微妙だが、かといって簡単に負けるほどの甘い人生を歩んできたつもりもない。つまりは普通に考えて、この気配は悪いものではなく。必然的に考えられる可能性はただひとつ。
コン──コン
眠っていれば聞こえないほどの小さなノック音。
酒に足がふらついていないことを確認しつつ立ち上がり、扉をゆっくりと開く。
「どうした? 何かあったか」
新しいカバーをかけた枕を胸にぎゅっと抱き、白銀の髪を僅かに乱したサンビタリアが目線を下げて立ちすくんでいる。
深夜、俺たち二人だけの家、俺の寝室に寝間着で訪れたその意味は。飲みすぎたきついアルコールが心臓を高鳴らせ、思わず唾をごくりと飲み込んだ。
「中に──入るか?」
こくん、と頷く仕草はどこか幼い。
ベッドに誘うか、ひとまずソファに座らせるべきかと逡巡する間に、部屋へ入ってきたサンビタリアはようやく口を開いた。
「──眠れない」
「ん?」
「静かすぎて、なんだかかえって音が気になってしまって。里ではいつも森の木々の揺れる音を聞いていたし……一族の者が寄り集まって、狭い家で暮らしていたから。昨日はおそらく、疲れていて……あっという間に寝入ってしまったから、気付かなかったのだが……どうにも、落ち着かなくて」
不安げに視線を揺らすその姿は、あの時の迷子のような表情を思い起こさせる。
里を出てきたサンビタリアにとって今のこの状況は、環境も違えば家のつくりも違い、共に過ごす相手も会ったばかりの俺で。今ようやくその変化に心が適応しようと頑張っているところなのかもしれない。
勢いあまって手を出さなくて良かったな、と内心苦笑を浮かべつつ、出来る限り頼りがいのある男に見えますようにと祈りながら俺は笑ってみせた。
「ひとりより、一緒の方が安心できそうか?」
「……うん」
「よし、わかった。ちょっとそこ座って待ってろ」
サンビタリアの部屋へ行き、ベッドマットを一旦外す。このフレームはお貴族様製なだけあってわりと高性能なのだ。簡単にばらして運べる大きさにし、さっさと俺の部屋へ入れる。再び組み直したらきっちり寝具を敷き直す。少し考えて物置きから衝立を引っ張り出して、二つのベッドの間に立てた。
キッチンでミルクを温め、はちみつとウイスキーをほんの少しだけ垂らす。今日買ってきたサンビタリア用の小さなカップにそれを注ぐと、階段を上がって部屋へと戻った。
「ほれ、飲みな」
大人しくそれを受け取ったサンビタリアは、ふうと息を吹きかけてからゆっくりと飲む。結構甘くしたから歯には悪いかもしれないが、今日一日くらいは心を優先させてもばちは当たらないだろう。
「うまいな……あたたかい」
緊張に強張っていた身体が少し解れ、その目が柔らかに細まった。
「眠れそうか?」
「ああ、アイザック、ありがとう」
それぞれのベッドに入り、布団を被る。姿の見えない衝立の向こう、確かに他人の気配を感じた。
「おやすみ……」
「ああ、おやすみ。良い夢を」
程なくして穏やかな寝息が聞こえてきた。どうやらうまいこと眠れたらしい。
俺はといえば正直もう一杯寝酒が欲しいところではあったが、これ以上物音を立てるのも良くないだろう。今日は諦めて、瞼を閉じた。