第七話
「さて、あとは食材を買って帰るか」
「今夜はどのようなものが食せるのか、楽しみだ」
行きつけの服屋は貴族と金持ちが多く住む地域にあるが、食材の市場は我が家にほど近い。
先ほど着替えた際に靴も合わせて買ったから、華奢で踵のある靴に履き替えたサンビタリアの歩みは少々遅い。貴族として生活していたころに一応エスコートの作法も習っているが、慣れてもいないしそもそも大昔の話である。だいたい令嬢は床の平らなパーティー会場なんかでしか自分の足で歩かないのだ。これほどの距離であれば確実に馬車を呼ぶだろうし、場合によっては抱き上げろと言われる可能性さえある。まあサンビタリアを抱えるのはやぶさかでないが、足を痛めたりしていないかには注意しつつ頼まれるまではこのまま行くことにした。その代わりと言ってはなんだが、躓いてもすぐ支えられるよう普段より近い距離を歩く。他人のペースに合わせることも、その様子を時折確認して気遣うことも、彼女が相手だと思うと一切苦にならないのが不思議だ。無言の時間でさえ心地良い。
周囲に見える店や建物なんかを指して説明しつつ進んでいると、すれ違う街の人からは様々な視線を感じた。半分くらいは慣れたものだ。
「──おいみろよ、A級だ」
「うわ、すげえ。俺こんな近くで見たの初めてかも」
「なんだよ、ギルドのあたりじゃたまに見かけるぜ」
「ああ、この前なんてまたひとりでキマイラの討伐したって聞いたぞ」
「はあっ? 人外じみてるな。B級パーティが壊滅したってんでそっちに救援の指名がいったんだろう?」
「そんな簡単に倒されたんじゃ、他の冒険者たちも立つ瀬がねぇな」
「楽に稼げて羨ましいぜ」
「俺たちなんて眼中にないんだろうな」
意識して聞き耳を立てているわけではないのだが、どうやら俺は耳が良い。森の中で魔物の気配を探ったりもするおかげで自然と鍛えられているのだろう。
小声で交わされる噂話もそのほとんどがしっかりと聞こえている。あいつらは聞こえていると思ってもみないのだろうが。
「まあっ、見て、A級の方よ。素敵ね」
「貴女ああいう方が好みなの? ちょっと野蛮ではなくて?」
「あらいいじゃない、逞しい方って。私の騎士になってくれたら良い華やぎになると思うの」
「確かにそうね。あんな方が側にいたら自慢できそうだわ」
「顔かたちは割と良いですしね」
「ママ、あのひとおっきい!」
「しぃっ、駄目よ指さしたりしちゃ。あのひとは凄く強いんだから、怒らせたら大変なの」
「A級だ──」
「あれが噂の──」
「──を簡単に倒したとか────」
いつものことだ。こそこそと横目で、後ろから小声で。
今の家を買ったことは良かったと思っている。しかしそれでも周囲から刺さる視線や噂話には辟易としてしまう。
ふらふらと旅をしていたころは、俺のことを知っている奴などほとんどいなかった。気まぐれに立ち寄っては、依頼の中で塩漬けになっているような誰もやりたがらない討伐をいくつかこなしてさっさと去る。いらない三男坊ではなく、伯爵家の子息でもなく。ただ普通の冒険者として過ごす日々は息がしやすかった。
竜殺しの称号を得てからは冒険者に名前が売れてしまい、徐々に視線が刺さるようになった。無駄に絡まれることもあったし、逆に媚を売られることもあった。パーティに誘われるのもこの頃が一番多かったように思う。もちろん全て断ったけれど。
全部ぶちのめすかひたすら断るか威圧するかで躱していたら最近はそんな声もすっかりなくなって、あとは遠くからひそひそとされるばかりだ。
確かにひとりは気楽だ。誰に気を使うわけでもなく、やりたいようにやれるから。しかし周囲の声を全く無いものとしてやり過ごせるほど、世捨て人になったつもりもない。
さっと周囲に視線を巡らせると俺の噂をさえずっていた者たちは一斉に目を逸らし、蜘蛛の子を散らすように去っていった。この程度の殺気でビビるぐらいなら最初から関わらねばいいものを。
僅かに力が入った腕に、柔らかな指が触れた。
「ヒトというのは興味深いのお」
殊更のんびりとサンビタリアが言う。
「……エルフの社会はもっと高尚だったか?」
「いいや、そのようなことはない。まあしかし、基本的にはひとつの里にひとつの一族が集まって暮らしておったからの。大きな家族のようなものだ。ときに他所の家族と揉めることもないではないが、それでもヒトの暮らしに比べればずっと世界が閉じていて……狭いのだろうな。古いしきたりを守り、今日と変わらぬ明日を望む。それは平和でもあり、ゆるやかな滅びでもあるのではないかと、我は思っていた」
帰る場所がないのだと、迷子のような顔で言ったサンビタリア。彼女はそんな狭い世界からひとり、飛び出してきたのか。家から、家族から、逃げてきたのだろうか。
自然、隣を歩くサンビタリアをこちらへ引き寄せた。コルセットなど着けなくとも、細く華奢な腰に腕を回す。俺の半身と彼女の半身がぴたりと寄り添う。僅かに驚いた顔をしたサンビタリアだったが、「優美な靴は歩くのも一苦労だな」と笑って素直に身を預けてくれた。
サンビタリアが熱望した各種の肉と、家に在庫のなかった調味料や新鮮な生野菜、卵などを買う。今回指名依頼をこなしたばかりだから、まだしばらくは急な泊り仕事もないだろう。今後彼女に冒険者登録をさせて色々と教える予定であるが、それは計画立てて徐々にこなしていけばいい。急ぐ理由はなにもないのだ。自分以外の誰かのために料理を作るというのは、想像するだけで幸せな予定に思えた。
「こんだけ買えば美味いものが作れそうだな」
「ああ、楽しみだ。動物の肉も魔物の肉も、生も干した肉もある。里にいては一生知りえぬ贅沢だ」
「ふは、肉ばっかりじゃねぇか」
「当然のことよ」
何故か威張り顔をするサンビタリアを見て笑ってしまう。どうしてそんなにも肉に固執するのか。試しに次回は魚も買ってやろうと心に決める。
ようやく家に向けて帰り道を歩み始めた俺たちに、慣れたものとはまた違う種類の視線が刺さっていることに気が付いた。
「A級……の横にいるのは何者だ?」
「おい見ろよ、あの美人」
「あれってエルフじゃない? 耳が長いわ」
「昨日ギルドにいた知り合いに聞いたんだが──」
男たちは羨望と欲望の混ざった視線でサンビタリアの身体を舐めるように眺め、女たちは興味と嫉妬の混ざった視線で目を細めている。
少しでも汚い欲から彼女を隠したくて、回した腕で更に腰を引き寄せた。
「──あの二人、どういう関係だ?」
「あんなに親し気なんだから、恋人──というには少し、年齢が離れているか」
「親子、か? いやでもそれにしては……」
「そもそもエルフなら見た目と年齢は違うんじゃねえのか」
「と言ってもよぉ、あれは犯罪だろ! 羨ましすぎるぜ」
「お嬢ちゃんが嫌がっている風でもないから、まあ大丈夫なのだろうが」
「あれがA級でなけりゃ、憲兵を呼ぶところだな」
「そりゃお前だったら即牢屋行きだぜ!」
「あんな良い女抱けるなら、俺もA級になってやろうかな!」
ぎゃはは、と下品な笑い声が響く。流石にそれは俺でなくても聞こえる大声だ。
ごほん、と誰かがわざとらしく咳払いをし、気まずげに静まった街の中。俺は僅かに血の味の混じる下唇を舐めながら、指に食い込む荷物を握り直した。
「──帰ろうぜ」
「ああ、そうしよう」
俺を見上げる視線に篭る信頼が嬉しかった。怒りが端から解けていく。
なれるもんなら、なってみろ。奪えるものならやってみるがいい。そちらから手を出してきたならば絶対に容赦はしない。




