第五話
さて、今日はこれから買い出しへ行く予定だ。サンビタリアは生活に必要な物をほとんど持っていないし、着替えだってもっとたくさん必要だ。あとは俺も数日依頼で家を空けていたし、彼女に美味いものを食べさせるためには食材をたっぷり買い足さねばならない。
とはいえ──。
「お前、もう着替えがないって言ってたよな」
「うむ、ズボンはひとつ残っているのだが。上はな、ほらあの蜘蛛の罠で破れてしまったから」
服を買いに行くために着る服がないとはこれ如何に。確かにあの時、サンビタリアは肌を晒した扇情的な状態であった。思い出すと今でも若干いけないことになりそうだ。
「んじゃ今日は仕方ねぇ、俺の服貸すから我慢して着てくれ。下にそのズボン穿きゃなんとかなるだろ?」
「このシャツか? 程よく柔らかくて我も気に入ったぞ」
「いやそれは駄目だ。可愛すぎるし見えすぎるから家だけにしてくれ。新しいやつ出してやるから、そっちに着替えろよ」
なるべく地が厚くて、透けないものが良い。白よりは黒の方がいいだろう、何より黒は俺の色だ。
ハニーブロンドの母とオレンジブラウンの髪の父の間に生まれたはずの俺は、家族の中で唯一の黒髪だった。長兄は母似、次兄は父似であったけれども、どうやら俺は先祖返りだったらしい。確かに父の系譜には黒髪もいた。が、それもまた俺をあの家族に馴染めなくさせた原因のひとつではあったろう。
そういえば数年前のある朝、眠い目をこすり洗面所に立った時。ふと鏡に映った自分の顔が、記憶の中の父によく似ていると気が付いた。俺も確かにあの人たちの子供だったのだと、家を出て二十数年経ってから改めて実感したのだった。
引っ張り出してきたほとんど新品の黒いシャツをサンビタリアに渡す。さほど時間をおかず着替えてきた彼女は、俺の黒いシャツの下に自分の細身のズボンを穿いている。相変わらず肩が落ちて子供のようだが、袖を捲り上げて長さを調整してやった。ちらりと見える手首は折れそうなほど細く、少々心配になるほどだ。それなのに丸い肩のラインや柔らかなカーブを描く胸から腰のラインはどう見ても大人の女性の身体なのである。ことさらゆっくりと袖を調整しつつ、体勢的にばれないのをいいことに、しっかりたっぷり拝見させていただいた。
ダボっとしたシャツに包まれる彼女を見てそこはかとない満足感は覚えるが、少し考えて革のベルトを一本取り出した。そのままではどう考えても長さが合わないので、良いところで切ってやる。新しく穴を開け足して、その細い腰に巻いた。
「おお、これならワンピースのようにも見えるな」
「まあ多少不格好だが、そこらへんに買い出しへ行くくらいなら問題ないだろ」
俺の色の、俺のシャツに身を包んだサンビタリア。許されるならずっとそのままでいてくれてもいいのだが、まあそういうわけにもいかないか。彼女に似合う彼女の為だけの服も贈りたいし、可愛い格好をする姿も見たいと思う。満足げにくるくると回る妖精のようなサンビタリアをじっくりと眺め倒してから、俺たちは連れ立って家を出た。
◇
「商店街は近いんだ。そこが気に入って家を買ったから」
「良い場所だな。なにより庭があるし」
街の中は土地が高いため、あまり庭付きの家がない。大きなギルドがあるから、あの辺に住むのは冒険者やそれに付随した商売を営む者たちが多い。自由を尊ぶ冒険者たちはあまり定住しないから、基本的には宿暮らしだ。たまに自分の馬を持っている奴らだとか、ある程度長期間滞在するだとかで戸建ての家を借りることもできる。が、そういう家はもっと郊外だ。あるいは門の外にもある。自分の身を自分で守れる奴らであれば、高い家賃を払うよりよほど経済的なのだろう。その他の者は大概、寝に帰るだけの小屋のような集合住宅に住んでいる。稼いだ金はその日の酒と女に消え、次の日の酒代は次の日に稼ぐ。基本的にはそういう場所だ。
もちろん金持ちや貴族だっている。けれどそういう奴らはこんな雑多な地域ではなく、もっと内側の閑静な土地に邸を持つ。買い物は商人を家に呼べばいいし、出かけるときは優雅に馬車を走らせればいいのだから。
こんな場所でこんなでかい家に住んでいた前の住人は、奇特な貴族だったらしい。気晴らしに冒険者登録をし、魔物を狩ってはよくギルドへも顔を出す為この場所に家を建てたとか。邸というには小ぢんまりとしているが、別邸と言われれば納得のつくり。俺が買う数年前には隠居して引っ込み、冒険者活動を野蛮な趣味と厭うていた家族がさっさと売りに出したようだ。売れなければ上物は潰されて土地として分割されていたかもしれない。当然高い買い物だったが、後悔は全くしていない。そんな風に思う俺もまた、奇特なのだろう。
忙しなく人が行き交う道を、俺たちはゆったりと歩く。街の暮らしに慣れぬサンビタリアがあちこちに目をやっては驚き、立ち止まり、観察を始めるからだ。
あれはなんだ、これはなんだと興味津々で尋ねる彼女はまるで子供のようで、可愛らしいが不安でもある。
「お前、知らない奴に菓子をやると言われても着いて行くんじゃねぇぞ」
「なに、ここの者らは菓子を配るのか? 我も貰えるということか?」
ため息をつき、足を止めると膝を屈めてしっかりと目を合わせる。肩をがっしりと掴み、目に力を込めた。
「いいか、サンビタリア。菓子をくれる知らない奴は人攫いだ。お茶をしようと誘ってくる奴は強姦魔だ。街を歩くのにはコツがいる。だけどお前はまだ初心者だ。決して俺の側を離れるなよ? 側にいる限り、必ず守ってやるから」
「人間の世界は物騒なのだな……! あいわかった。約束しよう、我はアイザックから離れぬ!」
サンビタリアが腕を伸ばし、俺の腕にきゅっと巻き付いた。あー、たまんねぇ。しっかりと頷き、俺たちは再び足を進めた。
「食材は最後に買おう。とりあえず日用雑貨的なもんから見るか」
「うむ、良きに計らえ」
「はっ、姫様の仰せのままに」
軽口を叩きつつ細々とした雑貨を売る店へ入ると、店番の中年女性はいらっしゃいと声をかけながら手元に下げていた目線をつと上げた。俺と目が合うと驚いたように目を見開き、すぐに逸らすと隣のサンビタリアに興味深げな視線を向けた。何か言ってくるのかと身構えたが、俺たちを見比べてから無言で店の隅で刺繍の作業に戻った。売り物を作っているのだろう。並べられたハンカチやクッションの刺繍は趣味が良かった。
石鹸や風呂に使う布なんかを次々と見繕っていく。寝具の洗い替えも少し足したほうが良いだろうか。サンビタリアは様々な香りがつけられた髪用の石鹸を真剣に吟味している。今俺が使っているものも当然あるが、この綺麗な銀糸の髪をより美しく保つには女性用で品質の良いものが必要だろう。櫛は持っているのだろうか。髪飾りには彼女の空のような青い石がついたものが映えそうだ。俺の瞳に似た暗い緑の石でも、あの銀の髪にはよく似合いそうだと思うけれど。
「迷ってんのか?」
「どれも良い匂いがするのでな。これほど素晴らしい品質のものは里にはなかったし」
サンビタリアが手に持つのは、甘い花のような香りの石鹸と、爽やかな柑橘の香りの石鹸のようだ。後ろから覗き込むようにして手元を確かめていたが、今は何の香りも纏っていないはずの髪の毛からは既にふわりと甘い香りが漂っている気がした。
「こっちのが似合いそうだ」
甘い香りの石鹸を指す。なんなら彼女自身の香りが一番俺を魅了しているのだけれど。
「ではこちらにしよう」
花街で財布を空にする奴らの気持ちが初めて分かった気がする。こんなに嬉しそうに笑ってくれるのならば、いくらでも買い与えてやりたくなってしまうではないか。
「ああそうだ、カップも買おうぜ。うちにあるのだと、お前の手には少し大きすぎただろうし」
「おお、ではこれなど良いのではないか? アイザックのカップと似ているぞ」
確かにそれは今俺が家で使っているカップをひとまわり小さくしたようなデザインで。朝食に使った際は大きなそれを両手で抱えるようにして持ち、ふうふうと息を吹きかけて茶を飲むサンビタリアはたいそう可愛らしいものであった。
俺のカップと並ぶ、その小さなカップを想像してみる。
「……悪くねえな」
「うむ、ではこれにしよう」
俺の家に、俺の物ではない物が増えていく。それはなにやら、幸せなことに思えた。
支払いを済ませ、細々としたそれらを包んでもらう。結局店番の女性は、必要なこと以外何も話しかけてはこなかった。




