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Sanvitalia

「サンビタリア、お前の結婚相手が決まった」


 形式上、私の父にあたる人はある日突然そう言った。

 最初に思ったのは、「この人は私の名前を知っていたのか」ということだった。記憶にある限り呼ばれたのは初めてだったから。

 次に思ったのは、一刻も早くこの里を出ようということ。いつかこんな日が来ると分かっていた。なにせ生まれた時からエルフの正道を外れた私なのだ。居場所などどこにもなかった。

 長くを生きるエルフは殊更、里の中の決まりを重視する。狭い範囲に集まって生きていく為に、不届き者が現れると秩序が乱れるからだろう。

 そう、まさに私の母と生物学上の父は歴史に残る不届き者として、盛大に秩序を乱してくれたのだ。

 子供は愛の結晶だなどと言うけれど、もし私自身もそうであるとしたら、今のこの状況を見て死んだ両親はどう思うのだろうか。血のつながらない父親にはゴミを見るような目で見られ、親戚一同には言葉で罵られ、血気盛んな年若い者たちからは直接的な暴力を受けて。お前に食わせるものなどないと食事は抜かれることが多かった。だからこそ幼い頃より里の端の畑を借りて、自分の食い扶持くらいはと植物を育てるようになったのだ。それさえも無駄なことをと馬鹿にされていたのは知っている。エルフの里では基本的に黙っていても植物は育つのだから。急に必要になったからと私の育てた薬草を無遠慮に毟っていくくせに、そうでないときは平然と「そこらへんに生えているものをわざわざ育てるなんて物好きな」と嗤う。そこらへんの果物でさえ採ろうとすれば石を投げられるのだから、自分で育てるしかなかったというのに。

 ()()()()を残すだけ残してさっさと死んでしまった両親は、今頃二人仲良く神の御許で休んでいるのだろうか。

 もしそうだとしたら、私はそんな愛などいらないと思う。愛とはなんて、身勝手なものなのだろうか。


 ハルニレの一族からすれば、私を望んだミズナラとの縁は悪いものではなかったのだろう。

 エルフに貴族や階級の意識はほとんどないけれど、得意とする魔法によって里の強さに多少の違いはある。それは土地の住みよさや、浄化の一族が回る頻度だとか、交易品の優先順位などに影響してくるのだ。ミズナラはすべての里を守る結界を担う一族だから、様々な里の中でも特に力が強いとされる。族長の息子であるカルミアと私が結婚すれば、ハルニレの里の結界もより一層安定して維持されると思ったのだろう。

 カルミアが率先して私を殴っていたことを、ハルニレの者はみな知っていたはずなのに。これは、罪の証として生まれた私への罰だとでもいうのだろうか。

 

 くそくらえだと思った。

 定められた結婚相手に不満を抱きつつも、(おきて)に逆らうほどの気概はなく。無責任に私を作り、生んで放り出したまま、さっさといなくなってしまった母。だったら最初から初恋の彼と逃げたら良かったのに。魔力の相性だって悪くなかったのだ。族長たちを説得して、正々堂々と結婚できる道を探すことも出来ただろう。ただ己の境遇を不幸だなんだと嘆く前に、もっと努力してほしかったと思う。実際に彼女がどのような気持ちを抱いていたのかは知りようもないけれど。私は、母のように生きるつもりはない。

 他者を顧みないその自分勝手さはもしかすると、私が母から受け継いだ気質なのかもしれなかった。

 

 ここに大事なものなど何ひとつない。あっという間に荷物をまとめた私は、振り返ることなく里を後にした。



 アイザックと初めて会ったとき。なんて優しい瞳だろうと思った。

 短く切った黒い髪に、森のような深い緑の瞳。シンプルなシャツに使い込まれた革の防具を重ね、腰には良く手入れされた剣が下がっている。森を行く足元はしっかりとしており、随分慣れているのだなと思った。身のこなしに一切の無駄がなく、周囲を隙なく警戒する視線はたいそう厳しい。そう、目つき自体は悪いのだ。眉はきりっとして太めだが形良く、眉間には僅かの皴が寄り。少しだけ片眼を眇めるようにするのは癖だろうか。切れ長の目がこちらを捕えた瞬間、はっとしたように見開かれた。


「おう、良いところに来たではないか。どれ、そこの、ちと手を貸してくれ」


 まだヒトの言葉遣いが下手くそだった私に文句を言うこともなく。野営用に持ち歩いているという火の魔道具で器用に蜘蛛の糸を焼き、そっと降ろしてくれた。

 しっかりとその腕に抱き留められた瞬間から、私はもう捕まってしまったのだと思う。

 生まれて来た意味も分からず、生きていく場所も見つからず。それでも死んだように生きていきたくはないと、必死でもがき続ける日々だった。里から飛び出し、初めて見る獣や魔物、毒草や毒虫により死ぬような思いをしながら幾日も歩き続けて。

 

 ああ、ここが私の場所だったのだと思った。


 麻痺を受けて動けない私を、平然と片腕に抱き森を進むアイザック。

 私を生んですぐに母は亡くなったらしいけれど、この年まで育っているのだから誰かが乳を分けてくれていたのだろう。でも物心ついてから他人の腕に抱かれた記憶などただの一度もなかった。だから初めて知るその温かさに涙が出そうなほど感動したし、他者に守られる喜びに心が震えた。宿に置いて行かれそうになった時は捨てられるのかと絶望したし、うちに来いよと言ってもらえて歓喜した。アイザックが作ってくれた料理はびっくりするほど美味しくて、心が解けるような優しい味がした。

 今はもう、自分でも普通に料理が出来るようになったけれど。やっぱりアイザックが作ってくれた料理には、まだまだ敵わないなと思うのだ。



 防具の調整で街に出て来たついでに、大通りの側溝が汚れていたのでささっと泥を掻いて魔法で水を流した。もう習慣のようなものだし、慣れれば服だって汚さない。


「えっ、サンビタリアさん……? なんでA級の貴女がこんな掃除なんて……!」

「ん? ああ、少し汚れていたからね。雨が降ると溢れてしまうでしょ」

「だ、だからと言ってこんなのはF級の雑用で……」

「うん、でも昔から不人気の依頼だもんね。だからすぐにこうして詰まってしまうの。アイザックもよく買い物のついでに掃除してたよ。だから私ももう癖みたいなものかな」


 あの人は本当に不器用だったから。人の通らない道、水が溢れると特に溜まりやすい場所、汚れやすくて避けられがちな所を選んでは、誰に頼まれたわけでもないのにさっさと掃除をやっていた。

 私と一緒になる前なんて、魔法も使えなかったのだ。それなのに、誰に知られることもなく、誇ることもなく。A級にもなってこんな小銭いらねぇよ、なんて笑い飛ばして、当然のことだというふうに。

 別に便利だから住んでるけど、愛着なんてないんだと言っていたくせに。

 きっと誰よりもこの街を大切に思っていたのはアイザックだと思う。

 

「私が大好きで、憧れてたA級冒険者はね。こうやって街を守ってたんだよ」


 だからいつか、アイザックが戻ってくるその日までは私がこの街を守りたい。

 人はあっという間にいなくなってしまうし、沢山の店が生まれては消えていって。建物は建て替えられて、見覚えのある景色がどんどん変わっていくけれど。

 多分アイザックは、「全然変わってねぇな」って笑うのだ。


 ◇


『我が愛し子よ、息災であったか』

「ええ、おかげさまで。思えば随分と久しぶりになりますね」


 今日は青竜に呼ばれて草原に来ている。

 アイザックと一緒だった頃は三年から五年くらいの周期で呼ばれ、この場所で会っていた。最期になってしまったあの日も十年振りくらいの再会だったはずだ。しかし彼が亡くなった後、もうカエデの木が芽吹き、育ち、老樹となるほどの時間が経っている。きっとこの竜もヒトの命の儚さを知っているからこそ、会えるうちにと頻繁に顔を出してくれていたのだろう。


『お主は変わらぬな』

「ええ、良いことなのか、嘆くべきことなのかは分かりませんが」


 はっは、と腹の底に響くような重低音で竜が笑う。


『少し遠くの大陸まで行き、昔馴染みの顔を見て来たのだ』

「そうだったのですね。──会いたい方に会えるのは良いことです」

『お主らと共に過ごした日々の話を聞かせてやったらな、あやつたいそう羨ましがっておったぞ。きっとそのうち我慢しきれずヒトの世に降りて、騒がれるのではないかな』


 それはつまりお相手も竜ということだろうか。一応、アイザックの遺産として青竜の鱗と、竜の真実について記したものを当時のこの国の王に献上しているが。それだって随分昔のことになってしまうから、今はどう伝えられているのか良く分からない。

 私がひとりになってから、冒険者としての指名依頼も随分と少なくなった。難しい採取の依頼がごく稀にあるくらいで、討伐なんかははなからギルドが弾いているようだ。当然森の奥の採取となれば魔物とも戦闘があるし、そもそも依頼がなくとも自分の肉を狩りに行っている。戦える力があることは理解しているのだろうが、それでもなおエルフの冒険者という特殊な存在である私をどう扱うべきか、いまいち決めかねているのだろう。

 あの時のように国からの依頼でもないと、いち冒険者が国の中枢の人物と会うことなどありえない。様々なものや仕組みが変わったけれど、相変わらず冒険者は国にもなににも縛られない自由な存在なのだから。


「いつかアイザックが戻ってきたら──」


 見た目がいくら変わろうとも、その内側はやっぱり不器用で、誰より優しく温かいのだろう。

 

「貴方様のご友人にも同じように不躾な願いを申し出て、変な奴だと気に入られるかもしれませんね」

『はっは。あやつなら、そうであろうな』


 次はこの背に乗せて飛んでみようか、などと恐ろしいことを呟く竜の、硬くて柔らかな腹に寄りかかり。美しく光る青いナイフで、果物の皮を剥いた。滑らかな切れ味は何年経っても変わらない。


『待つのはつらいか』

「──いいえ、信じていますから」


 必ず彼は戻ってくると。


『そうであろうな。お主らは、とてもよい形で結ばれておるからの』


 竜には見えているのだろう。私たちには見えない大事なものが。


「待つ間にも、色々出来ることはあるものです」


 彼をびっくりさせるくらい、美味しいスープを作れるようになろう。かつて街のことをひとつひとつ教えてもらったように、次は私が案内してあげよう。今度の彼に戦う力がなかったのなら、私が守ろう。流石に抱き上げて運ぶのは、嫌がられるかもしれないけれど。


「相手を思うことで育つ愛というものも、この世には存在していたのですね」


 本当の愛がどういうものなのか、私に教えてくれた人。

 再び会えるその日まで──私はずっと、待ち続けよう。


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