第六話
すっかり趣味と特技を両立した鱗の加工をしたり、時折街で買い物をして人と交流を図ったり。料理を作ったり、庭の手入れをしてみたり。そういえば、前の持ち主の頃から生えているジューンベリーの木もしっかり手入れをし、精霊とサンビタリアの手伝いもあって未だに元気に実を付けている。高さを整えこまめに世話をしているからか、鳥に食い荒らされることもない。逆に鳥の巣箱を作って、エサはエサで与えているからかもしれないが。
これまでの人生の中で最も穏やかで満ち足りた時間を過ごし、俺が教えた冒険者たちもA級になった後どんどん引退していって。商家の旦那は亡くなり、行きつけの服屋はすっかり防具屋に店構えも変わって。ギルド長は三人入れ替わり、受付嬢は数えきれないほど入っては辞めていった。
サンビタリアは時々出される指名依頼だけを受け、ほとんどの時間を俺と一緒に過ごしてくれている。俺の稼いだ分だけでもサンビタリアの一生が賄えるほどの金が残っているし、彼女だってやろうと思えばあっという間に大金を稼げるA級冒険者だ。そのあたりの心配はないだろう。
ゆったりとした時間が流れる中、手を繋ぎ庭を眺める俺たちの首から下げた竜の鱗が久々に彼の来訪を告げた。風も騒ぎ、光と一緒にはしゃいでいるのが見える。
「随分と久しぶりだなぁ」
「十年振りくらいになるか」
「あの場所だろう。アイザックは行けるか?」
「ゆっくり歩けば大丈夫だと思う。今日は特別調子がいいし」
久しぶりにきちんとした服を着て、念のために腰からは竜の鱗の剣を下げた。いくら腕が鈍ろうとも、これで撫でればバターのように切れるのだから割と無敵だ。背後はサンビタリアに任せるとしよう。
若い門番に驚かれつつ草原へ出る。心地の良い風を浴びながら、ゆったりと歩いた。
いつかの待ち合わせ場所、人目のない草原に美しく輝く青い竜が寝そべっていた。
『会いたかったぞ、愛し子たちよ』
「おう、久しぶりだな。もう俺が生きてる間にゃ来ないと思ってたぜ」
『人の子の命は短いからな。お前のように愉快な子がいなくなると随分寂しくなる』
「私はまだまだお話し相手になれますよ、御仁」
そう、きっと俺が去った後の世界でもサンビタリアと青竜はこうして待ち合わせ、草原に座りながら会話を交わすのだろう。できればそんな時、二人が俺のことを懐かしんでくれたらいいと思う。
『奇術のように魔法を使い、人の子らを騙して飛び去ったこと、つい先日のように思い出せるがなぁ』
愉快そうに竜が笑う。
「黒竜の剣をぴかっと光らせてな。とんだ勇者と聖女がいたもんだ」
俺も笑う。
「精霊たちもたいそうはしゃいでいたな」
サンビタリアも笑う。
「……いい人生だったな」
広い世界を歩き、沢山のものを見て、身体を鍛え技を磨いて。
愛する人ができ、気の置けない友もできた。
草原の上に座り、青竜の腹を背にもたれかかる。冷たいけれど温かく、硬いのに柔らかい。何度触っても不思議な感触で癖になる。日差しは温かく、風は優しい。道中久々に長い距離を歩いてきたせいだろうか、少々眠くなってきた。最強の友の懐の中、しばしのうたた寝も贅沢かもしれない。
「アイザック」
サンビタリアが俺を呼ぶ。
「エルフの里では、言い伝えがあるのだよ。死んだ者の魂は、天上の神の御許でいっとき休み、そしてまたこの地上へ生まれ変わるのだと」
見上げた空は透き通るように青く、それはまるで俺が愛した相手の瞳と同じ色だ。
「アイザック」
頬を撫でる風が一筋の涙を乾かしていく。
「私はこの世界で待っているから────行っておいで」
「うん、さすがに、少し──くたびれた」
閉じた瞼の上、柔らかな唇の感触がした。
◇
晴れ渡る空の下、鼻歌を歌いつつ洗濯物を干す。キッチンでことことと煮込まれている鍋の中には丁寧に取られた鶏の出汁。保冷庫には捕りたてのコカトリスで作った肉団子が出番を待ち、熟成庫ではこれまた頃合いのボア肉だって待機している。
市場のおばさんがオマケしてくれた魚は以前作ってもらったように、夜にでもソテーにしてみようか。それとも衣をつけて揚げてみようか。スープはそれなりになったと思うけれど、それ以外の料理はやはりアイザックには敵わない。彼の実家に仕えるシェフなら、何か秘伝の調理法など受け継いでいないだろうか──などと考えながら、以前の半分の時間で洗濯を終えた。買い替えた洗濯用の魔道具は随分と高性能になり、干す以外の作業はボタン一つ押すだけだ。魔道コンロも進化して、傍にいなくても火加減を調整してくれる機能がついている。おかげで出汁を取るのも他の家事の傍らに出来るのだから、これぞ主婦の味方だろう。量産品として大分手ごろな値段になったものが馴染みの商家から発売されているし、高給取りでなくても手の届きやすい魔道具として嫁入り道具にも人気らしい。
昨日までは少し長めの依頼で家を空けていたから、今日はこうして掃除と片付けを終わらせ、明日からしばらくゆっくり過ごしたい。買い物へ行こうか、それとも庭の鳥たちと遊ぼうか。楽しい予定に笑顔が浮かぶ。
さて洗濯籠を戻しに行こう、と振り返れば、緑色のスカートの裾がふわりと膨らみ、銀の髪が風になびいた。少し目にかかったそれを手で払い、日の光に細めた目を瞬くと。
「お待たせ、サンビタリア」
声変わりもしていない少年の高い声が庭に響いた。
了




