第五話
「アイザック! ご飯が出来たよ!」
「ああ、今行くよ」
一階に移した自室からダイニングへと向かう。現状特に健康上の問題があるわけではなかったが、いよいよ身体にガタが来てからだと移動も大変になってしまう。サンビタリアに迷惑をかけないためにも、早めの判断が必要だ。
「お、今日は鶏団子のスープか」
「美味しく出来たよ」
「サンビタリアは昔からこれが好きだったもんな」
今でも料理は基本的に俺の担当だが、週に何度かはサンビタリアも用意してくれている。一緒に作って、味付けのコツを教えたりするのも楽しいものだ。俺がいなくなった後、肉ばかり食べて栄養が偏らないかだけが心配だ。
もうすぐ俺は八十歳になる。流石に冒険者は数年前に引退した。まだできるだろう、指導だけでもと散々引き留められたが、そうなるとまかり間違って指名が来た時にいずれ迷惑をかけてしまうだろうと思ったのだ。辞めた後、がくりと体力も落ちた。タイミングの問題なのか、もしくは気が抜けたせいなのかは分からない。日常生活には今のところ支障はないけれど、昔のように魔物と戦えるかと言われたら答えは否だ。
「今日は市場に買い物に行ってこようと思って」
「そうか。ならば俺も一緒に行こう」
「もう流石に迷わないし、ひとりでも行けるよ?」
「俺が嫌なんだ、お前をひとりで歩かせて男たちの視線を集めるのが」
サンビタリアは相変わらず、二十代半ばほどの年齢に見える。昔より落ち着きは増したが、それに伴って色気のようなものも滲み出ているのだから全くもって油断は出来ない。
いくら俺が人より若く見えると言っても、流石に二人並んで夫婦には見られないだろう。こんな年寄りの護衛だっていない。それでも一緒に過ごせる一秒一秒を大切にしたかった。
「アイザックはやっぱり可愛いね」
「……うるせぇ」
市場まではさして距離があるわけでもない。並んで手を繋ぎ、ゆっくりと歩く。すれ違う街の人の顔ぶれも随分と変わった。A級冒険者のエルフであるサンビタリアは相変わらずの有名人だけれど、俺もA級であったことに関しては知らない奴らも増えてきている。
「お前見ろよ! あれが噂のサンビタリアさんだぜ!」
「うっわ~、やっぱ超美人。普段着も可愛いなぁ」
「てか横のじじい誰? 父親か?」
「いやあれエルフじゃなくて人間だろ? 介護の依頼かなんかかな?」
「羨ましい~。俺もサンビタリアさんにお世話されてぇ」
昔の俺なら、サンビタリアを片腕に抱き上げて周囲の男たちを丸ごとけん制出来たのに。今やそんなことも出来やしない。情けなさに苦笑を浮かべていると、いたずらっぽく口端を上げたサンビタリアが不意に立ち止まった。
「どうした? 忘れ物でもしたか?」
「ああ、そう。そうだ。大事なものを忘れた!」
いやにわざとらしく大声でそう言うと、俺の首に手を回してぐいっと引き寄せた彼女はぶっちゅーっと音が聞こえそうなほど熱烈なキスをかまし、ついでに舌まで突っ込んできた。驚きはしたが、まあ役得なのでしっかり味わっておく。
これでもかというほどに貪り合った後、ようやく顔を離したサンビタリアは満面の笑みで両頬にも軽くキスを落とした。
「家出るときには行ってきますのチューが約束だったでしょ」
行ってきますもなにも、一緒に出掛けているのだが。
「ふはっ。そうだったな、大事なもんを忘れてたよ」
俺もサンビタリアの両頬にキスを落とす。
そんな俺たちの様子を唖然としたまま見つめる若い男たちは、サンビタリアの発した威圧に気付くと慌てたように去っていった。
「失礼なやつらだ」
「んー、まあ仕方ないだろ。俺がじじいなのは事実だし」
「仕方なくはない! が、まあ腹が立ったらこうして見せつけてやればいいか」
剛毅な恋人に思わず笑みが浮かんだ。
「そうだな。こうしてキスして貰えるならいくらでも」
「私の可愛いアイザックを貶めるものは何人たりとも許しはしないさ」
かなり前に両親は死んだと聞いた。家を出たあの日から、ついぞ顔を合わせることはなかった。次いでジェイス兄さんが酒の飲みすぎで病気になり、結構苦しんで亡くなったようだ。こちらも竜討伐で会ったのが最期になった。
そしてつい最近、カーティス兄さんも亡くなった。こちらは老衰で、子供や孫たちに囲まれ穏やかに逝ったらしい。死に目には間に合わなかったが、兄が寝つくようになってから数度は家に顔を出し、思い出話も別れの言葉も交わすことが出来た。
葬儀で初めて顔を合わせた兄さんの息子は黒髪で、ちょっと俺に似ていた気がする。息子と言っても彼だって既に六十を過ぎており、なんなら俺と兄弟にみられたくらいだ。生前色々と話を聞かされていたらしく、若い頃は彼も冒険者に憧れたりもしたらしい。剣の稽古を熱心に受けたおかげで、学校の剣術の授業では成績優秀で人気者になれたと笑っていた。
今は孫が伯爵家の当主を務めているらしく、壮年の彼とも滞在中は酒を酌み交わした。共に参列していたサンビタリアのことに興味津々で、最初はちょっと警戒してしまったくらいだ。だがよくよく聞いてみれば彼は魔法について研究しているらしく、既にいくつかの開発した魔道具によって特許収入なども得ているらしい。
俺が身に着けている青竜の鱗の耳飾りにも目敏く気付き、どうか見せて欲しいと縋りつくほどに懇願された。男に抱き着かれたのは何気に初めての経験だったと思う。その場では一応断ったが、いずれ俺が死んだ後は彼に鱗を遺産として残してやってもいいかもしれない。なんの貢献もしなかった俺の名をカーティス兄さんはずっと家に残しておいてくれたのだ。その分の感謝の気持ちになるなら安いものだろう。大々的に流通させたり表に出すのは難しいだろうが、魔道具を作るのなら素材として内部に使うとかなんとかできるだろう、きっと。
相変わらず腐ったままのあの国で、これからも貴族として生きていくのだ。青竜の鱗の清廉な輝きは、きっと彼らを守ってくれると思う。
若旦那の商家に顔を出し、サンビタリアの装備品をいくつか揃える。あの頃から結構稼いでいたし堅実な商売で有名な店ではあったけれど、今やすっかりこの街の顔と言ってもいいほどの大店に成長している。それもあの若旦那の手腕によるものが大きいのだろう。いや、今更若旦那と呼ぶのもおかしいが、あだ名のようなものなのだ。今はもう引退しているが、俺たちが顔を出すと変わらず彼が出て来て対応してくれる。相変わらず丸っこくて、人の好さそうな笑顔だ。
「やあ、アイザックさん。しばらくぶりですなぁ。流石の貴方も少しは老いましたかね。私ほどではないようですが」
杖を突く足元は少しばかり覚束ない。
「わざわざ出てこなくても良かったんだぜ。でも、顔を見られて良かったよ。この年になっちゃ、いつ最期になるか分からねぇし」
「はっは、確かにその通り。その日その日を悔いのないよう過ごしていくのみですな」
彼の言葉には随分助けられてきたと思う。だから悔いのないように、言えるうちにちゃんとお礼は言っておきたかった。
「旦那、あの日俺に言ってくれたことを覚えてるかい」
「あの日というと、依頼の時の……。ええ、ええ、もちろん。私たちが勝手に理想を押し付けていたA級冒険者が、ただの恋する男だったと判明した」
ちらりと旦那の視線が動き、俺たちの繋がれた手を見てにやりと口端を上げた。
「アイザックさんはA級冒険者として、長年この街を守ってきて下さった。私も私なりの方法で尽力してきたつもりです。幸いなことに我々の後継もなかなか良く育ってくれている。嬉しいことですね、自分たちの生きざまが継承されていくということは」
「そうだな。俺も結構長くここに住んでいるが、でもあの日旦那に会ってなかったら、今ほどこの街に愛着が湧かなかったと思うんだ。サンビタリアと暮らすようになって、ようやくこの土地に根が生えたんだろうな……。おかげさんで、サンビタリアを守る盾を増やすことが出来たよ。ありがとう、旦那。大事なことに気付く前にこの街を出ていかなくて良かったと思うよ」
ただ己の力を磨いたとしても、老いていけば自然と手に入れたものも零れ落ちてしまう。あの日自分が普通の人間なのだと気付かされて、周囲の人の温かさや力を貸してもらえる心強さに気付けたのだ。ヒトはひとりでは生きていけない。ましてや、俺がいなくなった後もサンビタリアはこの地で生きていくのだから。
「これから先も、ひいきにさせてもらうわ。サンビタリアのこと、頼むな」
「ええ、しっかりと申し伝えていきましょう」
「私からも、頼む。主人は精霊にも好かれているから、きっと来世も期待できるよ」
「おや、それは嬉しいことを聞きました。ではその時もまた、しっかり稼がせていただきましょう」
ハンドサインで金を示した旦那は、ゲスな笑顔でにやりと笑った。どこまでも金儲けが好きな男なのだ。その稼いだ金を街の為に使うのだから、皆に愛され信頼を勝ち得ている。良い生き方だな、と尊敬できる年の取り方だ。
しっかりと握手を交わし店を出た。多分彼と話をするのはこれが最期になるのだろうなと、なんとなく思った。




