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くたびれA級冒険者は逃亡エルフを捕まえる  作者: 伊織ライ
逃亡エルフは家で待つ
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第三話

 ばきん、と音を立て作りかけのナイフが割れた。まだこのサイズならひと回り小さくしてもう一度くらい試せるだろう。鱗は山ほど貰ったから、手つかずの新しいものだって沢山残っているのだが。素材が素材故に無駄にするのが憚られて、ついつい節約精神が出て来てしまう。こんなところももうすっかり平民根性が染みついているなと思う。砕けたものはアクセサリーにするか、粉にしてサンビタリアが調薬に使ったりもしているらしい。竜の鱗の薬なんて、エルフの美容液どころの騒ぎではないような気もするが。


「うーん、やっぱり方向性があんのかな」


 武器屋に作って貰った黒竜の剣を参考に並べて見比べつつ、青い鱗をまじまじと観察する。割れるときはいつも綺麗な直線で分かれるから、多分なんらかの規則性があるはずなのだ。

 俺は今、青竜に貰った鱗をサンビタリア用のナイフに加工しようと試行錯誤している。他所の武器屋に頼むわけにはいかない代物なので、趣味も兼ねて自分で試しているというわけだ。普通の剣の手入れは自分でやっているし、手先は器用だからそれなりの形になるかとは思っていたが。


「流石にそう簡単にはいかないか……」


 そもそもが大変に硬い素材なのだ。良いサイズに切り出せたとして、刃を出すにはそこから鋭く研いでいかねばならない。竜の鱗を削れる砥石など一般的ではないだろうし、やはり何かうまい言い訳を考えて本職にアドバイスを聞くべきなのだろうか。


 このナイフが、出来上がったら。

 俺の手持ちの物より一回りは小さく、柄の部分には綺麗な植物の装飾で飾り彫りを入れたものを既に用意してある。こちらは木製で一般的な素材なので、数度練習をすればあっという間にそれなりの物が出来上がった。自分で言うのもなんだが悪くないと思う。

 あとは刃の部分をどうにか仕上げたいところだけれど。


「ま、じっくりやるか」


 別に期限があるわけでもない。きっとどんなに時間がかかったとしても、彼女は待っていてくれるだろう。

 多分待てなくなるとしたら、俺の心の問題なのだから。


 竜から『(つがい)』と呼ばれたことを、あの日からずっと考え続けている。

 番とは一体何なのだろうか。意味としては、分かる。動物の雄と雌のペアということだろう。またこの大陸にはほとんどいないが、獣人にはもっと苛烈な番の概念があると聞く。魂の半身とも呼ぶその相手に出会うと、自然と惹かれあい互いの唯一となるそうだ。その相手は匂いやなんかでも判断できるらしい。物理的に番以外とは生殖行為も不可能になるという話もある。

 それが番なのだとしたら、俺たちは多分そんな激情に駆られて過ごしているわけではない。日々過ぎていく何気ない一瞬一瞬を、サンビタリアと共に過ごしたい。ただそう願っているだけなのだ。

 竜が竜の思考においてその言葉を選んだだけなのかもしれないけれど。俺と彼女が番ならば、嬉しいと思う。でも同じくらい、そうであって欲しくないとも思うのだ。

 だって俺は人間で、彼女はエルフだ。出会ってまだ三年だが、変わらず美しい姿を保ち続ける彼女の傍らで俺は確実に老いていく。ジェイス兄さんは、かつて逞しかった身体がゆるみきってだらしないものになっていた。カーティス兄さんは白髪が増え、目が悪くなったり年相応の皴も増えていた。あの頃、遠くて怖くて恋しかった両親達も、今や老齢となっている。そう遠くない未来にその命を終えるのだろう。

 俺だけが老いていく。俺が彼女を置いて逝く。そうなったら、残された彼女はどうなるのか。

 金は残せる。家だってあげられる。だけど、そこにはもう俺はいないのだ。悲しませたくはないし、幸せに生きていって欲しいと思う。けれど、ではその時横にいるのが俺以外の誰かだったらと想像するだけで腸が煮えくり返る。手放せないのだから、手に入れるべきではなかったのではないか。今でもまだ間に合うのか。彼女の幸せを願うから、その代償として諦められるのか。


「あああああっ! もう、なんなんだ! どうしろっていうんだよ!」


 机に肘をつき己の頭を抱えると、そのまま髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き毟った。はらりと抜け落ちて来た数本の毛を目にし、貴重な資源を無駄にした事実に歯ぎしりをした。


「俺は手放せるのか……? 今更? この腕の中からあいつがいなくなるってのか? てばな……てば……いや無理だろ…………」

「なに、アイザックは私を手放す気なの?」


 不意に背後から声がして、後ろから抱き抱えるように細い腕が回された。


「サンビタリア……」

「最近ずっと浮かない顔をしてるとは思っていたけど。何なの、もういい加減鬱陶しいからちゃんと話してよ」


 顔に出しているつもりはなかったのだが、しっかりばれていたらしい。案外彼女はヒトの感情の機微に聡いのだ。


「いや、そんな大したことでは……」

「いいからこのお姉さんに話してみなさい。この胸を貸しましょうか?」


 いたずらっぽく笑い、サンビタリアは両腕を広げてみせた。抱きしめられるのも悪くはないが、今は俺が彼女を捕まえていたい。あんなに肉を食っても相変わらず軽い身体をひょいと抱き上げると、俺の膝の上にぽんと乗せた。横向きなので直接視線は合わない。こてんと頭を俺の胸に預けて来た彼女の体温がじわじわと染みる。


「俺は人間で、お前はエルフだろう」

「うん」

「俺は先にどんどん年食って、サンビタリアにとっちゃそう遠くないうちに死ぬだろう」

「……うん」

「結婚すれば少しは安心できるのかとか、考えたんだ。目に見える契約があれば何かが変わるのか、と。だけど、多分そういうことでもないんだ」

「そうだな」

「青竜には番だと言われて。嬉しかったが……でも、迷う心もあって」

「どのように?」

「お前にはずっと幸せでいて欲しい。でも、俺のいなくなった後の世界で幸せになって欲しくない、とも思うんだ」

「ふふっ。うん」

「……でもエルフの生は長いだろう。そこまで縛り付けるのも、駄目だろうと思って」


 俺が真剣に話しているというのに、ついにクスクスと笑いだしたサンビタリアはがばりと俺の身体に抱き着いた。


「お主は相変わらず可愛いの」

「はぁ? どこが……」

「私が好きか?」

「……ああ」

「私も、好きだよ」


 何と返していいやら分からなくて、ただ俺もサンビタリアをぎゅっと抱きしめた。


「いいのだよ、そんなことは気にしなくて」

「でも」

「もう、私が駄目なのだ。アイザックでないと、駄目なのだ。もう他の者では嫌なのだ。お主でないと意味がないのだよ」


 心臓の鼓動が高く鳴る。


「この逞しい腕も、この香りも、案外触り心地の良い黒髪も森の緑の瞳も。私を愛おしそうに見る視線の熱を分かっている? 力強い剣は誰よりも格好いいよ。手先は器用なのに、人付き合いは不器用なところも。料理が上手で味の趣味も合うからすっかり胃袋を掴まれているしね。ぶっきらぼうなのに、案外お人よしで情に厚いでしょう。どんなに慣れた仕事でも油断せず、しっかりこなすところは尊敬しているし。食べ方が綺麗で、細かい所作は案外洗練されているんだよね。やっぱりそういうところは貴族の生まれだからなのかな? センスは良いし気遣いもできる。独占欲が強いところも可愛いし──」

「いや、もういい、わかっ……分かったから、ありがとう」


 頬に集まった熱をごまかす為、目の前の銀の髪の中に鼻を埋める。良い匂いだ。


「私はね、アイザック。あの日私を見付けてくれたのがアイザックで本当に良かったと思っているんだ。命の恩人だからというだけではなく。アイザックに会えたことが、私の生きる意味になったのだと思う。里を出て来て、しがらみから逃げて。エルフとしては失格の私が、アイザックの側では息がしやすかった。世界を広げてくれて、私を好きになってくれて、ありがとうアイザック。これまで生きていてくれて、ありがとう」

 

 あの日、もう死んでもいいと思って家を出た。冒険者として無謀な戦いにも挑んだし、竜も殺した。それなりに結果を残した自負はあれど、結局その二十年はひたすらに孤独だった。そしてこれからもそれは変わらないのだとどこかで思っていた。

 でも、あの日森の奥でサンビタリアと出会い、俺はひとりではなくなった。俺の料理を美味いと笑い、一緒に仕事をして一緒に眠る。その温かさは俺の凍り付いた心までも解かしてくれたのだ。

 家族にも認められなかった俺を、こうして何よりも大事に思ってくれる相手がいる。

 サンビタリアが勇気をくれたから兄とも再会することが出来たし、街の依頼を受けて話をする人も増えた。若い冒険者もまるで子犬のようにまとわりついて来て鬱陶しいくらいだ。

 彼女が閉じられたエルフの里から出て来たように、俺も彼女と出会ったおかげで世界が広がったのだと思う。


「もう、離さなくてもいいのか……?」

「とっくに離れられなくなっているのはこちらの方だよ」

「ありがとう、サンビタリア……愛している。俺の命続く限り、共に生きていって欲しい」

「もちろんだ。私の命ある限り、お主を愛し続けよう」


 俺たちは隙間なくぴったりとくっついたまま、長い長い口付けを交わした。


「──ああ、そういえば」


 頬を赤らめ、瞳を僅かに濡らしたサンビタリアがこちらを見上げてくる。とんでもなく色っぽくて可愛くて腰に来るからやめて欲しい。


「こうやって私と口付けをしていれば、結構元気になるはずだぞ」

「いやそりゃ元気にはなるけどよ」

「あっ、その()()ではなくだな。エルフの体液にも、多少は若返りの効果があるだろうと。そういう意味だ」


 元気いっぱいの()()を軽く押し付けると、慌てたように身体を離されてしまった。流石にこの場で流されてはくれなかったか。

 それにしてもさらっととんでもない話を聞いてしまった。エルフの体液にそんな効果があると知られたら、ますます世の強欲な者たちは彼らを狙うことだろう。やはり里の結界の中で危険なものから距離を取り、暮らしていくのが一番安全なのだと思う。


「サンビタリアの体液は全部俺が守るからな……」

「いや本体も守ってくれよ?」

「任せておけ」


 ちなみに、唾液以外の体液はどうなんだと色々試させて頂いたことは、一応ここに記しておく。結果は後々分かるだろうけれど、今言えることはひとつだけ。大変、とっても、美味しかったです。

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