逃亡エルフは家で待つ
「うわ、白髪……」
朝起きて洗面所で髭を剃っていると、その中に白いものが混ざっていることに気が付いた。カーティス兄さんはバターブロンドだからかあまり目立たなかったが、俺は黒髪だからやたらと目立っている気がする。
幸い頭髪の方はまだ豊富だし──兄二人もふさふさだったから、そういう面では多少安心材料になる──、見付けた白い毛も今のところはこの顎の髭くらいだ。
仕事柄身体はしっかり鍛えているから若い頃と遜色ないスタイルと筋肉を保てていると思うし、顔つきもどちらかと言えば童顔だからか常に年齢よりは若く見られている。男で若く見られるのは威厳がないとか実力がないとか、軽く見られる場合もあるから昔は多少気にしていたりもしたけれど。今は少しでも加齢に抗おうと、こっそり肌にいい化粧水やら加齢臭を消す石鹸やら何かと見付けてきては試しているところだ。本当はサンビタリアに薬草の調合を頼みたいのだが、何と言って作って貰えばいいのか分からずにまだ言い出せないでいる。エルフの美容液なんて言ったら、凄く効きそうではないか。貴族女性向けに売り出すだけでひと財産稼げそうだ。いややらないけれども。
あの森でサンビタリアと出会ってから、三年の時が経った。俺は今年で四十歳になり、サンビタリアはおそらく七十一歳、とのことだ。エルフは人間のようには実年齢を気にしないらしく、基本的にはざっくりとした理解しかしていない。長すぎる生がそうさせるのだろうか。三年の間で彼女の見た目はほとんど変わっておらず、人間で言うところの十八歳くらいだろうか。ほんの少しだけ少女から、大人の女性らしく成長しているようにも思う。より魅力度が増し、こちらとしては毎日眩しくて仕方がない。しかし視線が引き寄せられて目が離せないのだから、これが惚れた弱みというやつなのだろう。
「アイザックー!」
「おー、どうした」
「今日は天気がいいから洗濯するよ! 悪いけどシーツも剥がして持ってきてくれない?」
「分かった、今持っていく」
庭先からサンビタリアの明るい声が響く。窓から覗くと、髪を軽くまとめてシャツの袖を捲った彼女が楽しそうに魔法で水を出していた。跳ねた水滴に光が反射し、小さな虹が掛かっている。
階段を上り、俺たちの部屋のベッドからシーツを剥がす。かつてここにあった高い衝立はいつの間にか外された。元からあったベッドは運び出して客間へ戻し、その代わりに特注で作った大きなベッドに入れ替えた。意外に寝相が悪かったサンビタリアがごろごろと転がっても落ちない安心の設計だ。昔はハンモックで寝ていたからと目線を逸らしつつ、恥ずかしそうに言い訳していた彼女はなかなか可愛らしかった。
「これで全部だ。手伝わなくていいか?」
「ありがとう。こっちは任せて、アイザックは朝食をお願い」
「分かったよ。なんか食いたいもんあるか?」
「肉だな」
予想通りの答えに笑う。この数年、この街で冒険者として活動していくうちにサンビタリアは自然な言葉遣いを覚えた。彼女の厳めしい言葉遣いは、エルフの里で唯一普通に接してくれたという長老の話し方が移ったものだった。俺はあれも可愛いと思っていたのだが、尊大にみられるのは本意でないということで徐々に練習し変えていったのだ。それでも時折以前の癖は出るものの、気になるというほどでもない。確かに言葉遣いから受ける印象は大きく変わったが、彼女の中身はあの頃と変わらぬままだ。朗らかで、前向きで、包容力があり、何より肉が好き。美味い肉の為なら少々突っ走りがちなところはあるが、冒険者としての経験もしっかり積んで今や彼女もA級だ。早すぎるという声もあるにはあったらしいが、俺という前例があったために竜を倒した(ということになっている)彼女も昇級が認められたのだ。おそらくサンビタリアがエルフであり、精霊魔法が使えるからというのが大きいだろう。これもまた特例だ。彼女以外のエルフが人間の国で冒険者になることなど今後もうないだろうから。
手を洗い、買ってきたばかりのまだ柔らかなパンを薄く切る。新鮮なキャベツを千切りにし、リクエストの肉には小麦粉と卵、パン粉の衣をつけて油でカラッと揚げる。これは先日狩ってきて熟成させておいたボア肉だ。パンにはマスタードをたっぷりと塗って山盛りのキャベツを乗せ、揚げたてのカツは一度ソースに潜らせてからキャベツの上に乗せる。もう一度キャベツを積んだらパンで挟んで、馴染ませるように軽く押したらカツサンドの完成だ。
食べやすいように紙で包んでから半分に切り分け、断面を見るとなんともいい感じに揚がった肉から湯気と肉汁がじゅわっと溢れ出た。熱で少ししんなりとしたキャベツがそれを吸い、漂うソースの香りが空腹を刺激する。
付け合わせにはオニオンスープを作った。サンビタリアは鳥系の魔物肉で作った団子を入れたスープが一番好きなのだが、今朝はカツサンドだし肉はそれだけで十分だろう。
「飯出来たぞー」
「今行く!」
ぱたぱたと軽い足音を立てて戻ってきたサンビタリアは、洗濯籠を片付けると満面の笑みでダイニングへとやって来た。今日は依頼は休みにすると決めていたから、普段着のワンピースを着ている。白いレースが良く似合っていてとんでもなく可愛かった。
「カツサンドだ!」
「揚げたてだぜ。熱いうちに食おう」
「アイザックの恵みに感謝を!」
相変わらずのふざけた祈りの言葉に笑ってしまう。いい加減サンビタリアも簡単なスープくらいなら作れると思うのだが、彼女は俺の料理を気に入っているので特別な理由がない限り調理の担当は俺だ。
「おお……! このサクサク感、衣に染み込んだソースの加減、ちょっと多めのキャベツが口の中をさっぱりさせて無限にいける! 相変わらずアイザックの料理の腕は天才的だ!」
「ふはっ。カツサンドなんて誰が作ってもたいして変わんねぇって。また食いすぎて腹痛くなんないようにしろよ?」
「むぐ……分かってる!」
俺が作ったものを美味しそうに頬張り、幸せそうに笑う彼女が愛おしくてたまらない。
リスのように膨らんだ桃色の頬の横にくっついたキャベツの端切れをひょいと摘まんでぱくりと食べた。
「ん……ついてた?」
「ああ、今日の弁当だったか?」
「ふふっ。弁当にはアイザックがもっと美味しいものを用意してくれるだろうから、心配ない」
どうやら甘え方も随分と上手になったようである。
ご期待に応えるべく、多めに作ったカツサンドの残りに、トマトとベーコンのサンドイッチと玉子サンドを追加する。小さめに切ってバスケットに詰めたら、デザート用に果物も入れておく。スープは冷えても美味しいじゃがいものポタージュを作って水筒に詰めた。
俺も綿のシャツにズボンの普段着だが、腰には剣を下げておく。今日は森には入らないけれど、門の外に出るからだ。サンビタリアも履きなれた革のブーツに履き替え、鍵を掛けたら俺たちは手を繋ぎ、二人並んで家を出た。




