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くたびれA級冒険者は逃亡エルフを捕まえる  作者: 伊織ライ
くたびれ冒険者は故郷に帰る
22/29

第六話

「おや、どちら様で……いやっ、これはジェイス様ではないですか。一体何故このような……!」


 見覚えのない家令が出て来て誰何される。年齢的には俺がここにいた時も務めていたのかもしれないが、如何せん使用人に傅かれる暮らしをしていなかったので誰の記憶も残っていない。

 担架の上で眠る兄の姿を確認し、邸の中は大慌てになった。婿に出てからもそれなりの交流はあったのかもしれない。まあ政略も絡むのだからそういうものだろう。

 ()()は届け終わったのだからもう帰ってもいいだろうかと周囲を見渡せば、騒ぎに気付いたひとりの男が奥から現れた。


「……騒がしいな。トマス、一体何があった」

「旦那様! ジェイス様が怪我をされて竜討伐から戻られたようで──」


 その男はちらりとジェイス兄さんを見てから、すっと俺の方に視線を向けた。


「──っ! ……アイザック……。良く、帰ってきてくれた」

「カーティス兄さん」


 カーティス・バルダーソン。俺の一番上の兄だ。旦那様と呼ばれていた様子から、家督は既に継いでいるのだろう。母に似たバターブロンドの髪には、目立たないけれどよく見れば白髪が増えている。昔と変わらぬ細面に、銀縁の眼鏡は品が良い。目は鋭く切れ長で、だがあの頃はその視界に俺が入ることはほとんどなかった。


 兄のその言葉に、トマスと呼ばれた家令をはじめとした使用人たちは驚き、騒めいている。怪我をしたジェイスを運んできた平民の冒険者だと思っていたら、この家の息子だったというのだからまあ驚くだろうが。俺も覚えていなかったけれど、この家の使用人たちも俺を覚えてはいなかったらしい。それほど見た目が変わったつもりはないのだが。当時から興味を持たれていなかったせいもあるだろう。


「一杯くらい茶を飲む時間はあるんだろう?」

「あー、うーん」


 本音を言えばさっさと帰りたかったが、俺の背中をサンビタリアがついっと押した。


「まあ、一杯くらいなら」

「用意させよう。そちらのお嬢さんも一緒に」


 すたすたと足早に歩いていく姿は相変わらずだ。カーティス兄さんはいつも忙しそうだったから。こんなことは覚えているんだなと少しばかり面白い。

 応接室に入ると、若いメイドが茶を入れてくれる。久しぶりに嗅いだ紅茶の匂いに、少し背中が落ち着かなくなった。サンビタリアも興味深そうに眺めては、この国の茶菓子に目を輝かせている。貴族向けの華やかな甘味は女性の好むものだろう。

 使用人たちを皆下がらせると、一口茶を飲んだカーティス兄さんは口を開いた。


「元気にしていたのか?」

「ああ、まあおかげさまでね。冒険者やってるよ」

「A級になってからの活躍は聞いている。よく……生きて帰ってくれた」 


 その言葉に少しだけ驚く。俺の居場所を知っているとは思わなかったからだ。特に今まで連絡も干渉もなかったし、興味もないのだと思っていた。


「兄さん……」

「お前がA級になるまでは、一切足取りが掴めなかった。だがその活躍が噂されるようになり、やっと居場所が掴めたのだ」

「調べてたんですか」

「本格的に動けたのは、家を継いでからだがな。両親がいるうちはなかなか大きく手を広げることが出来ず、その間に動向を見失ってしまった。……なんの手助けもしてやれず、すまなかったな」


 兄は本当に悔しそうに、申し訳なさそうに頭を下げた。その姿に動揺してしまう。


「いや、その、兄さんは俺に興味がなかったでしょう」


 俺が殴られようが、無視されようが、特に何のリアクションもされなかったのだ。家を出る時も止められた記憶はない。

 隣に腰掛けたサンビタリアが、テーブルの下でそっと俺の手を握ってくれた。


「興味……か。おそらく、誰よりもお前に興味があったのだろうな。そして──嫉妬していたのだと思う」

「嫉妬、なんて」


 八歳年上のカーティス兄さんは、頭が良くて両親の自慢の息子だったはずだ。貴方なら出来る、私たちの素晴らしい息子だ、と常に期待を受けていた。沢山の高名な家庭教師が宛がわれ、彼らもたいそう兄を褒めていた。俺も時折「カーティスを見習いなさい」「カーティスは貴方の年のころには出来ていた」「兄君はもっと努力している」と比べられた記憶がある。嫉妬される要素などないではないか。


「私はあの頃からずっと、お前が一番当主向きだと思っていたよ」

「はぁ?」

「お前は私たち二人の兄に追いつこうと、両親に認められたいと、いつも努力していたな。そもそも年齢が離れているのだから追いつけるはずもないのに。だが、周囲をよく観察して動くお前は器用で、要領が良い。あの両親のもとでも精一杯やれることをやっていたと思うよ。認められなかったのは決してお前のせいではない。あの両親や、私たちが愚かだっただけだ」


 いつも不機嫌そうな顔で俺から目を逸らしていたカーティス兄さんが、まっすぐにこちらを見ている。その瞳は深い緑で、俺とよく似た色だった。


「そもそもお前は五つも年が違うのに、あのジェイスの攻撃をきちんと避けていただろう。まだ幼くあんなに小さな身体でさえも、致命的な怪我は絶対にしなかった。その時点で私はお前に才能があると見ていたがね。ジェイスは気付きもしなかったようだが」

「いや、めちゃめちゃ殴られてたけど……」

「そうだな。気付いていたにも(かかわ)らず、助けなくて悪かった」


 カーティス兄さんは助けてはくれなかったが、ジェイス兄さんと違って俺を殴ったり暴言を吐いたりしてきたことは一度もない。ただ視界に入れなかっただけだ。だからそんなにも俺の様子を見ていたなんて、全く知らなかった。

 

「言い訳になるが、あの頃は私も必死でな。あの両親の愚かさはお前も薄々気付いていただろう? お前を黒髪だというだけで排したり、私が長子であるというだけで遇したり。私に付けられていた家庭教師たちは皆厳しく、日々与えられる課題で精一杯だった。私はお前ほど要領が良くないのでな。あの親たちであれば、私が期待外れで理想通りに出来ないとなればすぐに切り捨てていただろう。お前の次は私だと、ずっと思っていたんだ。だから、助けなかった。お前が傷付けられて、傷付いているのを見て安心していたんだ。まだ自分の番ではないと。両親が思う理想の息子であり続けなければと必死だったのだ。笑えることに……いざ引き継いでみれば、あれだけ理想を押し付けて来たくせに父の領地運営は杜撰でな、立て直しには随分苦労させられた。おかげで数年はお前の捜索にも取り掛かることが出来なかったんだよ」


 俯く兄さんの姿が随分と小さく見える。あのころ廊下を早足で進む兄さんが大きく見えた。はきはきと質問に答える姿、周囲に褒められても驕ることなく研鑽を積む様子に尊敬を覚えた。

 そんな兄が、こんな思いを抱えていたとは。


「許すよ」

「……アイザック」

「俺は、助けてくれなかった兄さんを許す。だから、兄さんももう自分を許してやってくれ」

「ああ……なんて──アイザック。……ありがとう」


 眼鏡を外した兄さんが、綺麗にアイロンをかけられた真っ白いハンカチで目元を拭う。そんなところからも、相変わらずの几帳面さが伺い知れた。


「それにもし、もう一度やり直せるとしても俺は同じように家を出ると思う。あの頃の俺がいたからこそ、今の俺があるんだ。俺は案外、この生き方が気に入っているんだよ」

「お前が望むのならこの家に戻って来たっていいんだぞ? 籍は残してあるし、あの両親も領地に隠居させてあるから」

「はは! いいよ、今更貴族の暮らしなんて俺にはもう無理だ。魔物を狩って、外で焼いて食って、そんなんが気楽でいいんだ」

「そうか……幸せなのだな。アイザック、お前が幸せに生きていてくれて、本当に良かった」


 もう一度目元を拭った兄さんは、晴れやかな顔で笑顔をみせた。


「ところで隣のお嬢さんは……もしかして、アイザックの良い人なのかな」


 急に話を振られたサンビタリアは、菓子を口の中でもごもごとさせながら俺と兄さんの顔を忙しなく見た。他人事だと思って油断してやがったな。そのうち俺も菓子作りを始めてみようか。やはり肉の方が好きなのだろうか。


「ほら落ち着いて飲み物飲めよ、詰まらすぞ。──うん、今一緒に冒険者としてパーティを組んでるサンビタリアだ。エルフだから精霊魔法が使えるし、こんな見た目だけどめちゃめちゃ強いぜ。植物の見分けも正確だし、何より美味い肉を見付けるのが得意だ。今回の竜討伐もサンビタリアが一緒に来てくれたから助かったしな」


 正確に言うと竜は討伐していないから、主に通訳の面でだけれど。その後の残党退治では紛れもなく第一線の冒険者として活躍していたし間違いではないだろう。


「そんで、今はリベルタに買った俺の家で一緒に暮らしてるんだ。彼女は──俺の大事な人だよ」

「──兄上殿、お初にお目にかかる。我が名はハルニレの子サンビタリア。遠くエルフの里から出て来て困っているところをアイザックに救われ、今もこうして世話になっておる。世慣れぬ我を甲斐甲斐しく世話してくれての、アイザックに会わなんだら今頃我はどうなっていたか。願わくはこの先も、命続く限り共に時間を過ごしたいと思っておるのよ」


 花が咲くようににっこりと笑ったサンビタリアの顔を見て、俺の胸の深いところがぎゅうとなる。繋いだままの手を強く握った。

 カーティス兄さんは少しだけ驚いたようだったが、それでも納得した顔でひとつ頷いた。


「そうなのだね。互いに信頼し合っている様子が良く分かった。……きっと様々な苦労があるのだろうが。それでも二人には思いやりを忘れず、共に力を合わせて生きていって欲しい」


 それは、家長としての言葉なのだと思った。二十年以上も音信不通だった俺を籍に残し、状況を調べては安否を確かめて見守っていてくれたのだ。これが愛でなくてなんだというのか。


「できればこれからは、手紙でもいいから連絡をよこしなさい。こちらに来ることがあれば勿論顔をみせにもおいで。困ったことがあれば助けになろう。お前は今までもこれからもずっと、私の家族なのだから」

「はい、兄さん。心に刻みます」

「兄上殿も困り事があれば我らに言うが良いぞ。アイザックの兄上なら我の家族も同じ。いつでも助けになるのでな。美味い肉でも土産にして馳せ参じよう」


 サンビタリアの言葉に俺たちは声を上げて笑った。


 

 カーティス兄さんと固く握手を交わし、俺とサンビタリアは表の門を出た。最後に後ろを振り返り、その立派で硬質な邸の佇まいを眺めてみる。

 きっと次にここへ来た時は今日のことを思い出すのだろう。幼い日の思い出などひとつもないけれど、この邸での記憶は全て塗り替えられたのだ。


「ありがとうな、サンビタリア。ここについて来てくれて」

「なんのことはない。良かったな、アイザック。よい兄君を持ったの」

「うん、そうだったみたいだ」


 過去はもう終わった話で、これから先伯爵家に戻るわけでもない。心に決めた未来は何も変わっていないけれど。知れて良かった。帰ってきて良かった。俺がかつて棄てたこの家に、故郷に帰ってきて良かったと思う。


「さあ、帰ろうぜ」

「うむ、そうしよう」


 俺たちが今を暮らす、あの家に帰ろう。


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