第四話
「よう、なんか眠りを邪魔しちまったみたいで悪いことしたな」
ついうっかり、日ごろサンビタリアの周りにいるらしい精霊へ向けて声をかける調子で話しかけてしまった。俺には見えないし聞こえないけれど、サンビタリア曰く彼らも喜んでくれているらしい。無邪気でいたずら好きで好奇心旺盛な、子供のような友人だ。
サンビタリアを見ていた竜は、ぐりんと目を回して今度は俺の方を見た。縦に割れた瞳孔は爬虫類そのもの。魔物で似たようなのは散々倒してきたけれど、やはりこの目は全てを理解しているように思える。知性が感じられるのだ。
「あの騎士たちはあんたが怖かったみたいだ。ビビッて攻撃したんだな。俺たちにはどうにもあんたが悪いものには思えないんだが」
『…………』
じっとこちらを見る金の瞳が何かを訴えかけてくる。
「数日前から周囲で煩くするので、いい加減苛立って吹き飛ばしたそうだ。撒かれる肉も臭くてたまらなかったと」
「おっ、やっぱりサンビタリアには言葉が分かるのか?」
「いや、周囲の精霊が通訳をしてくれている」
「そりゃいいな。俺たちの言葉はそのまま分かってるみたいだし」
「そのようだ」
話し合いで解決できるなら、それほど穏便な結末はないだろう。実に文化的で良いではないか。
「っと、その前にひとつだけ。俺、昔黒い竜と戦って殺したことがあるんだ。お前の仲間だったのなら、悪いことをした。あいつも落ち着いて話せばお前みたいに聞いてくれたのかな」
『…………』
「──黒い竜はかつての同胞。しかし既に闇に落ちた者。もはや会話は成り立たず、ただの獣と化していただろう。むしろそなたのおかげでそやつも神の御許に帰れたはずだ、と言っている」
「そうだったのか……問題ないならとりあえず良かったよ。んじゃここからは、お前の事情を知りたいんだが、聞いてもいいか?」
そうして聞いたのは、竜という存在についての話だ。俺たちが感じた通り、やはり彼らは魔物ではなかった。神から……と言っていいのかは分からないが、生まれた時より世界を見守る者としての役目を与えられているのだとか。だからといって何をするわけではない。基本的には手出しせず、自然や生き物の栄枯を見守っているらしい。記録か、記憶か。分からないけれど、とにかく今回はその途中で休んでいたところだったとのこと。こんなところで休むなよ、とは思うが、まあ俺たちと感覚も異なるのだろう。この巨体を横たえられる場所は確かに少ないだろうし。
このあたりの確認は済んだそうなので、もう飛び立っても問題はないらしいのだが。
「流石に問題がでかくなっちまってるからなぁ」
もう竜はいなくなりました、といきなり俺たちが言っても信じてはもらえないだろう。飛び去ったなら次に向かう先を探さねば周辺国はパニックになるだろうし、見付かるまで永遠に探せとか言われたら最悪だ。いずれ真実を知らせるとしても、伝える人や順番を考える必要がある。
「竜も魔法は使えるんだろう? もしくはその周りにいるらしい精霊でもいいが。幻影とか蜃気楼とか何でもいいけど、なんとかやられたー! って感じに見せたりはできないかな?」
「アイザック、流石にそれは──」
『…………』
「──面白そうだ、と」
そんなのプライドが許さない、とか言われるかなと思っていたのだが。案外ノリの良い竜である。とんでもないことを言うなと呆れた顔をしていたサンビタリアも、その答えを聞いて苦笑している。俺だってダメ元だったのだ。
「お前の器がでかくて助かったぜ。ここで別れたらもう会うことはないだろうけど、俺たちの住む世界をこれからも見守っててくれよ」
『…………』
「黒竜が出たらまた神の御許へ送って欲しいと言っておるぞ」
「いや変なフラグ立てないで貰えるか?! 俺はもう竜は腹一杯なんだよ」
『…………』
「これは訳してもらわなくてもわかる。本当に食ったわけじゃねえから。言葉の綾だって分かってんだろ」
艶やかに輝く眉間の鱗をひたひたと撫でる。ひんやりとしていて滑らかな手触りだ。その大きな口で今噛みつかれればひとたまりもないけれど。それはそれで仕方がないと思えるほど、目の前の存在は力強く膨大なエネルギーの塊だ。こんな機会はきっともう二度とない。
「サンビタリアも撫でてみろよ。すっげえ気持ちいい」
「お主、知ってはおったが本当に豪傑よな……。はは、確かにこのような機会は我らエルフと言えど巡って来ぬだろう。良いかな、御仁」
しっかりと許可を得たサンビタリアも俺の横に並び、優しくその青い鱗を撫でた。硬いのに、柔らかい。冷たいのに、暖かい。何とも不思議で癖になる手触りのそこを、俺たちはしばらくの間楽しんだ。
竜は美しい金の目を閉じて、どこか気持ちよさそうに微睡んでいた。
俺とサンビタリア、竜と精霊たちとで作戦を練る。これはもはや討伐どうこうというよりも、舞台の演出だ。
ローリタニアの騎士たちと機敏に避難していた冒険者、観客が揃い次第開幕である。
「さあ、始めようか」
にやりと口端を上げて顔を見合わせた俺たちは、同じように悪い顔をしていた。
「──お、お前たちっ! そこの冒険者よ、竜に余計な刺激を与えるのではないぞ!」
ようやく戻ってきた指揮官閣下は、どこかから持ち出してきたらしい大楯の陰に隠れつつ俺たちに向けて声を上げた。それでも身体の半分ははみ出ているけれど。しかも敵とみなした相手の前でまた不用意に大声を出すあたり、全く反省していないようだ。
そもそも最初に余計な刺激を与えたのは他でもなく兄自身だし、戻っては来たものの満身創痍の騎士たちに周囲を守らせてへっぴり腰で立つ姿は情けないことこの上ない。
かつてはナントカの勇士だとか呼ばれていたらしいし、確かに俺の記憶の中でも次兄は強く大きな存在だった。実際にどのあたりのポジションに位置しているのかは知らないが、これだけの部下を従えて竜討伐の指揮官を任されるのだから結構偉いのだろう。噂を聞いてもそれなりに尊敬を集めているようだったのだから、カリスマ性でここまで来たのかもしれない。
が。名誉で魔物は切れないし、過去の栄光で大事なものは救えない。
「では、閣下! 次の作戦は如何する!」
竜に背を向け、戻ってきた彼らと向かい合うように立った俺とサンビタリアは、負けずにでかい声を出して問いかけた。普通の魔物相手だったらこれ、とっくに食われてるけどな。
「なっ、それは、えー……そう、貴様ら冒険者はよほど魔物の相手に慣れていると聞く。まずはそちらで弱らせたまえ。強大な敵を前に怯む心もあるだろうが、安心せよ! 後のことは我ら騎士たちに任せなさい、総攻撃で止めを刺すこととする!」
ふはっ。ついうっかり吹き出しかけた。碌な作戦も立てられず、馬鹿にしていた冒険者に丸投げしたかと思えば最後の手柄は横取りときた。ご立派なもんだ。
様子を伺っていた他の冒険者たちもその言いようにムカついたらしい。そもそも自らの腕を確かめるため世界各国からわざわざ出張ってきた腕利きの冒険者なのだ。動きを見てもこの国の騎士たちよりずっと強いことは分かる。彼らはきっと、自分たちが現状この竜に敵わないことを理解しているが故に今のところ手出ししていないだけなのだから。
分かっていないのはこの国の奴らだけ。そもそもこの指揮官閣下は、今対面している冒険者が己の弟だということにさえも気付いていないのだ。覚えていないのか、観察力が足りないのか。
「──こんなのの影に怯えてたなんてなぁ」
どうにもやりきれない思いでぼそりと呟けば、隣に立つサンビタリアが俺の手をぎゅっと握った。
そうか。そうだな。俺はもう、居場所を求めて縋る幼子ではない。
顔を見合わせて頷き、俺は笑った。
大きく息を吸い、俺は腰の鞘から剣を抜く。
「そうか分かった! では竜殺しの名誉、先駆けて俺たちが有難くいただこう!」
いい感じで目立つよう、空に向けて大きく剣を掲げる。若干恥ずかしいが目を瞑ろう。この剣は俺が黒い竜を倒した際、素材として剥ぎ取った鱗で出来ている。普段は使わず空き部屋の肥やしになっていたものだが、竜討伐ということで一応持ってきていたのである。普通に丈夫だし金属のように手入れが要らないから便利なのだが、いかんせんブレードが黒く宝石のようにやたらめったら輝くもんだから目立つのだ。今回ばかりは舞台装置として活躍してもらおう。
真面目な顔を作ったサンビタリアが手を祈りの形に組み、俺に向かって詠唱を紡ぐ。
「《光よ》願わくはかの者の剣に清き一閃の加護を与えん!」
ふわりと風が巻き起こり、サンビタリアのローブのフードが外れた。
美しい銀髪は舞い、白い肌は光を反射して眩しいほど。空のように青い瞳はどこか竜の鱗とも似て、慈愛の色に満ちている。通常よりも神々しさがマシマシだ。
キラキラと輝く精霊たちが俺の剣へと纏わりついて、その剣自体が眩い光を放った。大変に派手である。いいぞもっとやれ。
「おおっ」と周囲からどよめきが起こり、皆が俺たちの姿に視線を釘付けにされている。
さながら物語の勇者と聖女。その手に持つのは聖剣か。若干勇者が年を食っており、聖女は顔を逸らしてくすくす笑っているけれど。
「いくぞっ!」
竜の元へ、光る剣を振り上げ斬り付ける。もちろん随分と手前の位置でだ。
光はその瞬間にぶわりと拡散し、一帯を白く染めた。俺たちは事前に分かっていたのでしっかり目を瞑っているけれど、そうでなかった周囲のやつらは多分しばらく目が眩んで視界が戻らないだろう。万が一反射的に目を閉じていたとしても問題ない。なんなら何人かは目撃者も欲しいところだし。
グギャァァァァッ!!!!
なかなか迫真の演技で竜が雄叫びを上げ、幻影を使って爆散する様子が目前に映し出された。現実ではないと分かっていても、ちょっと震えが走るリアリティである。青い鱗が舞い散って、空気中でキラキラとした光に溶けて消えた。
眩しい光が収まった後、その場には何ひとつとして残されていない。唯一名残があるとしたら、竜が寝ていたあたりの地面が僅かに凹んでいるくらいか。
ようやく目を開き、状況を把握した周囲の者たちが騒ぎ出す。
「奇跡だ……!」
「勝ったぞ……!」
「勇者が……」
「聖女様か? お美しい」
「竜は、竜の素材は残ってないのか?」
ざわめく喧騒の中、サンビタリアが近付いてきて耳元で囁いた。
「アイザック、あの御仁が最後に言い残していったぞ。自分がここから去れば怯えて隠れていた魔物たちが一斉に出てくるだろうから、頑張って片付けるように、と」
「……はぁ? そういうの先に教えてくれよ……!」
確かにこの場所に来てから、魔物に遭遇したことは一度もなかった。あのエネルギーの塊がいたのだから言われてみれば納得だ。まあ、ベサニーにも約束したことだし、竜とはいかなくとも土産を狩って帰るとしよう。




