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くたびれA級冒険者は逃亡エルフを捕まえる  作者: 伊織ライ
くたびれ冒険者はエルフを拾う
2/29

第二話

「んじゃこれが、薬草採取(くさむしり)手伝って貰った分け前な」

 

 ひと月は悠に暮らせるだけの金貨を袋に入れて差し出すと、サンビタリアの細く小さな指がぴくりと動き、そしてぎゅっと握りしめられた。

 

「……これが、金というものか……」

「はぁ?」

「噂に聞いてはおったのだ。人間達は、金というもので物をやり取りするのだと。やったことはないが──先ほども見ておったからの。出来ると、思う。うん。我はやるぞ」

 

 世間知らずなのだろうとは思ったが。まさか金も触ったことがないとは思わなかった。

 

「……宿の取り方は分かるのか」

「うん? 宿で、この袋を渡せば良いのであろう? まさかこれでは足りぬのか? 森か、せめて僅かでも木々があれば寝られぬこともないと思うが……」

「はぁ……。門を出なきゃ森なんてねぇよ。その金がありゃひと月は暮らせるはずだ。お前は綺麗だから、安宿だとあっという間にとっ捕まって食い物にされる。そこそこ格式高いとこじゃなきゃダメだ」

 

 この街はそれなりに大きいから、冒険者が雑魚寝する犬小屋みたいな安宿もあれば、貴族が泊まるような高級宿までよりどりみどりだ。

 サンビタリアが泊まるなら、店主は年配の夫婦で料理が美味く、それを目当てに女も集まるような所が良い。高くても良いから部屋が綺麗で鍵が丈夫で、男女は階が分かれていないと危険だろう。共同の風呂がある所もあるが、部屋への行き帰りが危険だな。髪が濡れたままの姿など見せた日には、飢えた男どもがわらわらと寄ってくるに違いない。部屋に風呂があるのは高級宿だが、それはそれで色ぼけた貴族に目を付けられても面倒だ。裏通りに近いのも治安的にダメだし、しかしギルドに近すぎると粗野な冒険者達の目についてしまうかもしれない。

 そうなると、あの地区は論外だし、あちらは少し通りから離れているから夜道が暗いし──

 

「では一度やってみよう。あの寝台の印の看板が宿屋であろう? 見ていてくれ、アイザック。我は、やれば出来るタイプだと言われたこともある」

 

 考え込む俺を尻目に、いつの間にやら自らの足で勇ましく歩み出したサンビタリアが向かうのは。脂滴る肉料理の山盛り加減と、それに合わせたキツい酒がやたらと素早く出てくることで人気の、()()()()()な宿だ。

 

「だぁぁあ! もう! わーったよ!」

 

 後ろから捕まえた肩は細く薄く、そして少しだけ震えていた。

 

「うちに来いよ。部屋なら余ってんだ。ここでの暮らしに慣れるまで、俺んとこにいればいいだろ」

「アイザックの……?」

「ああ、俺の家だ。たまに掃除を頼むくらいで、基本的には俺しかいねぇ。あー……、それは、逆にどうなんだ? ダメか? でもまあ俺が頑張ればいいってことだろ? いや頑張らなければ……?」

 

 この小さく細い身体を包んで守るのは、不安げに揺れる瞳の奥の心を守るのは、出来れば自分でありたいと思う。

 たとえそれが俺自身からであっても、彼女を決して傷付けたくはない。出会ってまだ一日も経っていないのに、なぜ自分はこんなにも彼女に心惹かれているのだろうか。

 健気に強がるその姿が、必死で虚勢を張って生きてきた自分とどこか重なったからなのかもしれない。

 

「お主の献身に感謝する!」

「相変わらず大袈裟だな……大したことじゃねぇよ」

 

 さして距離のない帰り道。二人で並び歩く時間が、もう少し長くなってもいいと思った。

 

 ◇

 

「着いたぞ。良い宿みてぇにはいかないが……ヒトの暮らしに慣れるためと思って多少我慢してくれよ」

「おお……ここがアイザックの家なのだな! 立派ではないか? あっ、庭には木も生えているではないか! 何の木だ? 随分背が高いな」

「知らん。前の持ち主が植えたやつだろうよ。放っておいたら背だけ伸びちまって……なんか赤い実がなるみたいだけど、鳥に喰われて終わりだからよく分からん」

「ふむ……ジューンベリーだろうか。近くで見せてくれ! よし、早速入らせてもらう!」

 

 にこにこと笑い、ぐいぐいと俺の手を引くサンビタリア。家より何より庭木に興味を示すのは、やはりエルフだからなのだろうか。

 

「庭は後でゆっくり見てまわれば良いさ。まずは中に入って、なんか食おうぜ。俺は腹減ってるし」

「ああ、そう言われたら我も空腹のような気がしてきたな。ベリーは時期でないようだし……持ってきた果実ももう食べ切ってしまったのだよ」

 

 一応麻の袋のようなものを持っている彼女ではあるが、この大きさでは着替えと多少の日用品くらいしか持っていないであろう。何日蜘蛛の巣にかかっていたのかは聞いていないが、里を出てすぐだったということもあるまい。大体あのあたりにエルフの里があるなど、聞いたこともないのだから。

 

「お前……いや、エルフは、果物かなんかしか食わないのか?」

「ふむ。里では常に果実が手に入るのでな。皆それを食っておった。畑もあったが、そこで育てるのは薬草がほとんどであったな」

「ああ……じゃあ肉は食えんのか」

 

 普段俺はほとんど食べないから、果物など家に常備してはいない。携行食として多少のドライフルーツはあったかもしれないが。

 

「肉……! 頼む、アイザック! 我は肉を食いたい! 噂には聞いていたのだ、人間たちが食らう大層美味な肉の話を!」

「お前はどこでそんな噂を仕入れてるんだよ……?」

 

 先ほどから繋がれたままの手を、サンビタリアがぎゅっと握る。彼女が全力を込めても痛くも痒くもない、細く白い指だ。

 

「体質的に肉が食えないとか、宗教的に駄目だとか、そう言う話じゃねぇんだな?」

「問題ない──はずだ。なにぶん里には肉の(もと)がいなかったのだ。結界があるのでな、入って来られないのだろう。しかし行商とやりとりをしていた一族など、あれは確実にこっそり食っていたはずなんだ。いくら周りがつついても白状しなかったが……エルフの癖に肥えていたからな……」

 

 楽しげだった雰囲気をガラリと変えて暗く笑うサンビタリア。どこの世界でも食い物の恨みは怖いということか。

 

「なるほどな。まぁ干し肉なら置いてるのがある。初めて食うならスープかなんかにすりゃ、まぁ大丈夫だろう。料理は──出来るわけないか。果物もいで食ってたんだもんな」

「うむ、当然だな。見たこともやったこともない」

「……そうだな。待ってる間に部屋でも見てくるか? 二階の角の部屋は日当たりもいいし、庭がよく見えるぞ」

「おお、それは良い。では行ってくる!」

 

 足音軽く駆けていくサンビタリアの背中を見送る。ずっと抱えていた腕の軽さがどうにも落ち着かない。

 小鳥のように自由に飛び回る彼女は、無理に籠に閉じ込めてもきっと良くないのだろう。花が咲くような笑顔も、歌うような声も、奪いたくはない。

 だからこの焦燥感は心のうちにしまい込み、俺は彼女が疲れた時に羽を休める枝であろう。

 ──例え他の枝へ移ろうとしたならば、その時はどうしてしまうか自分でも分からないけれど。

 

 自身の過ぎた感情に苦笑を漏らしつつ、キッチンへ足を運ぶ。ここへ腰を落ち着けてからというもの、普段は自分一人で料理などほとんどしなかった。店で食べるか、出来合いの物を買って来た方が早いし楽だからだ。

 まだ若い頃はあちこちをふらふら周り、土地の食事が合わないこともあった。金がなくて店に入れない時も多かった。なんなら店も何もあったものではない、人っ子一人いない山の中で数ヶ月過ごしたことだってある。だから野営料理は必要に迫られて覚えたし、どうせ食うなら美味い方が良いに決まっている。幸いにも幼い頃の経験で舌が肥えていたせいか、料理の腕は悪くない……と思う。他人に振る舞ったことなどないから自己評価でしかないが。

 気ままだがなんの保障もない男の一人暮らしだ。何かあった時しばらくは暮らせる程度の買い置きは常にしてあるし、討伐に出る際に持ち出せるような保存食も備えてある。それらを工夫すれば、スープくらいはすぐに作れるだろう。新鮮な野菜や足りない物は明日にでも買い足してくればいい。彼女が気にいるようなものを用意出来れば良いのだが。

 

「──こんなに頭と気を使うスープ作りは初めてだな」

 

 腹が膨れればいい自分ひとりの栄養補給とは違う。

 ニンニクを細かく刻み、オイルをしいた鍋でじっくり火を通す。ぱちんぱちんと跳ねる小気味良い音と共に、空腹を刺激する香りが立った。焦がさぬよう様子を見つつ傍らで芋をよく洗い、玉ねぎの皮を剥く。いつもの一口大に切ってからふと手を止めて、更にその半分の大きさに切り直した。鍋にそれらを放り込み軽く炒めてから水を張る。瓶詰めのドライトマトを取り出すと程よい大きさに刻んで、こちらも鍋に投げ入れた。魔道コンロの火をつけると、携行食の干し肉を取り出して、数秒考える。


「これも……一応切っておくか」


 あの小さな口では少々食べにくいだろうから。

 

 肉が柔らかく解けるまでことことと煮込み、待つ間に保存用の堅いパンを薄くスライスする。温め直してカリッと焼けば、スープに浸しても美味いだろう。サラダでも付けられれば格好も付くが、生憎と新鮮な野菜は買い置きがない。質素だが、まあ初めての料理なら十分だろう。そもそもあの細い身体にどれほどの食事が入るのか疑わしいものだ。花の蜜でも吸って生きていると言われた方がまだ納得できる気がするし。

 スープに少しだけ塩を足し味を見る。


「まあ、うまい……はず」


 他人に料理を振る舞うということが、こんなに緊張感のあるものだったとは。それなりに長く生きて来たつもりでいたが、まだまだ知らないことは多そうだ。

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