第三話
今回の討伐作戦は、基本的にローリタニアの騎士たちが中心となって行われる。隣国マジケイドからは攻撃用の高価な魔道具が多数支援物資として届けられており、リベルタの騎士団はまだ到着していない。小隊とはいえ俺たちよりは人数が多い分時間がかかるのだろう。わざと到着を遅らせているのではないと祈りたいところだ。そして、冒険者はそれら騎士たちの指揮下にはないので遊撃となる。しかし攻撃の巻き添えを喰らったり邪魔になったりするのを防ぐために、各々待機場所は定められている。
「んじゃひとまず相手さんを拝みに行ってみますかね」
「うむ。そうしよう」
十分に準備を整えた俺たちは、竜が寝ているという現場へと足を向けた。
それはほぼ山の頂上と言っても良い場所にあった。この山脈は国境線に横たわるように長く伸びているが、高さはさほどのものでもない。雪や氷がなかったのは不幸中の幸いだろう。岩陰から覗くようにして顔を出せば、そこにはごつごつとした岩肌の上、程よくえぐれた窪みに収まるようにでんと横たわる青い竜の姿があった。
俺がかつて戦ったのは、黒い竜だった。色によってなにか習性などが違うのだろうか。竜はめったに人の世に現れない為、詳しい生態などあまり解明されていない。大きさは同じくらいか、若干小さくも見える。光を受けて輝く鱗はやはり宝石のように美しく、魔物というよりは神獣だとか神の遣いだとか言われた方がしっくりくるくらいだ。
「なんというか、あれって……」
「精霊たちが周囲で踊っておるなぁ」
多分、悪いものではない気がしてきた。人間ごときが討伐していいものではないのではないか? というか、あれに敵う気が全然しない。
竜の周囲には、まるで貢物のように罠やら毒餌やらが据えられている。あれが作戦のひとつということなのだろうが、中心に鎮座する竜は全くそれらに目もくれていない。もはや怪しげな儀式めいているというか、逆に異世界から召喚したのではという雰囲気でさえある。あんなもので本当にどうにかなると思っているのだろうか。だとしたら、中将閣下は正気じゃねえ。
どう動くべきかと俺たちが考えていると、その間にローリタニアの騎士たちは続々と定位置につき、手に持った魔道具を構え始めた。罠作戦は失敗とみて、いよいよ次に進む気らしい。頭お花畑な閣下は一体どんな顔をしているのかと、重役出勤よろしくのたのたと現れたその人に目をやれば──。
「ありゃ、ジェイス兄さんか……?」
父に似たオレンジブラウンの髪に、主張の強い太い眉。俺の記憶にあるのは二十歳そこそこの頃までだが、そのころは逞しく筋肉がついていてがっちりとした精悍なタイプだったはずだ。
髪の色と眉の雰囲気は記憶の通り。顔つきは、どうだろう。すっかり丸くなってしまって自信はないが、父に似ている……気がする。騎士服がパツパツになるほど腹が出ており、歩く姿も重そうだ。昔はプレートアーマーを着てどっしりと攻撃を受け止める重騎士だったと思うが、今や何も装備しなくてもどっしりしている。しすぎている。
「なに、あれがアイザックの兄君だと?」
「うーん……多分な。クレバリーということは、どこかに婿入りしたのかもしれない。次男だしな。確か騎士団の偉い人がそんな名前だった気もするが……昔のことだから忘れちまった。そもそもあんなに丸くなかったんだよなぁ」
「お主には、あまり似ておらぬな」
「……俺は先祖返りで爺さんに似てたらしいから」
家族の誰にも似ていないからと、除け者にされていた日々を思い出す。五歳年上で、幼い頃から身体が大きく力を持て余していた次兄は、事あるごとに俺を殴った。生意気だからと。うるさいからと。目障りだからと。
騎士として訓練を始めてからは、木剣で殴られることもあった。俺も慌てて剣を習ったが、なにぶん身体はまだ小さいし力も弱い。致命的な怪我をしないよう防ぐので精一杯だった。今でこそ周囲と比べてもガタイが良く育った俺だが、成長が遅かったのだ。よくもまあ、あんなひょろっこい子供をぶちのめせたもんだと思う。嫌われていたのだろう。理由はついぞ分からなかったが。
「アイザックのこの黒い髪、我は好きだぞ」
俯く俺の短い髪を、サンビタリアがさらりと撫でた。そうか。そうだな。サンビタリアが気に入ってくれているなら、それでいい。
「俺もサンビタリアの銀の髪が好きだ」
黒と銀。対の様で、いいではないか。
図らずも甘い雰囲気に、サンビタリアの腰を引き寄せ目と目を合わせ、その柔らかな唇を──「いざ、出陣!!」
唇を、奪おうとしたら良いところで邪魔が入った。殴られた時より腹が立ったかもしれない。
周辺に兄のダミ声がわんわんと響き渡る。というか、出陣ってなんだ。もう現場にいるのに。そもそも標的を前にしてでけぇ声で叫ぶのもどうなんだ。奇襲にもならなければ、怯ませるというほどでもない。絶妙に余計な仕事であった。
俺たちと同様、待機していた冒険者たちもどうやらめちゃめちゃ引いている。常日頃から危機的な状況と対峙しており、魔物との戦いに慣れている冒険者は勘が鋭いのだ。自然と立ち位置は安全地帯へと下がっていく。即行でこりゃ駄目だと切り捨てられていると知ったら、この騎士たちはどう思うのだろうか。自分で気付けない時点でわりとお察しではあるのだが。
閉じていた瞼を薄く開き、煩そうにその金の目で周囲を見渡した青い竜。ほらみろ、刺激しただけじゃねぇか。
騎士たちは上官の指示に従い魔道具を起動させ、炎やら水の槍やらの攻撃を繰り出した。バシュッ、バシュッと鋭い風切り音が響く。俺は基本的に、攻撃用の魔道具は使わない。野営や移動に便利なため補助的には使うが、結局剣で攻撃した方が早いから。魔道具は高いし、他の冒険者でも使っている奴は見たことがなく、初めて相見えたそれは確かに有用そうであった。──相手が竜でなかったのなら。
ぶうん、と青い尾が一振りされると、周囲に散らばっていた毒餌やら罠やら、ついでに岩や騎士の装備やら、色々なものが風に巻き取られて吹き飛んでいく。さすがに騎士そのものまでは飛ばず踏みとどまったようであるが、それにしても寝ころんだまま尾を振っただけでこれなのだ。
ぶべしゃっ! と湿った音がしたかと思えば、吹き飛ばされた毒餌の生肉が兄の顔に張り付いていた。元々黄黒かった顔色が更に青くなっている。どんな毒を仕込んでいたのやら。
どう考えても分が悪いこの戦いで、頼りの魔道具は歯が立たず次の作戦もない。再びぺたりと顎を下ろして横になった竜の姿に、「今のうちに撤退すべきでは」との声がそこここから上がった。
「中将!」
「どうかご指示を!」
「クレバリー閣下!」
「「閣下!! ご指示を!!」」
部下たちから縋るような目を向けられて、兄は何を思ったのだろう。徐に腰の剣を引き抜くと、のしのし駆け出して竜の顔の前まで近付いたのだ。
「わ、私に任せたまえ……!」
その動きはとんでもなく遅い。けれど、標的である竜はずっと地面に寝転がったままなのだ。もしその剣が刺さったのなら、兄もまた英雄と呼ばれたのかもしれない。
けれどやっぱり、そんな奇跡は起きないのだ。
グギャァァァァアアアアアアッ!!!!
かっと目を見開いて、竜はその口を大きく開いた。鋭く尖った歯がぞろりと並び、舌は赤く喉の奥は深い闇。俺はあんな中に身体を突っ込んで剣を突き刺したんだったか、と一瞬の間に思い出しつつ、そこまで確認した俺はサンビタリアに覆いかぶさるようにして姿勢を低くした。
ぶわっ! と先ほどとは比べ物にならないほどの突風が吹き荒れ、今度こそローリタニアの騎士たちは身体ごと吹き飛ばされた。勢いからして、せいぜい先ほどまで待機していた待機場所くらいまでだろう。上手に落ちてくれればいいと思う。
すっかり静かになった竜の巣で、俺とサンビタリアは顔を見合わせながら身体を起こした。
「──行ってみるか?」
「うむ、そうしてみよう」
不思議なことに、たいした恐怖心は湧かなかった。自然と二人手を繋ぎ、青い竜の前へと進む。不機嫌そうにちらりとこちらを見た竜は、その金の目を一度ぱちりと瞬かせてからサンビタリアをじっと見ていた。




