第二話
二日ほどで準備を整え、俺たちは街の門を出た。依頼で何度も通ったというのに、今日は少し違う景色に見える。
「はい、確認できました。お気をつけて──アイザックさん、サンビタリアさん。どうか、ご武運を」
「おう、ありがとな」
いつもは淡々と確認を済ませる門兵までも、俺たちの行く先について知っているらしい。そりゃそうか、こいつらは役所務めにあたるのだから。
かつて旅をしていたころは、あてもなくふらふらしていたので基本的には徒歩で移動していた。商隊の護衛についたり、乗合馬車に乗ったりももちろんしたけれど。天気のいい方、風の吹く方、魚が食いたい時は海の方へと思うままに行き先を決めるのは案外楽しいものだ。
しかし今回は先を急ぐ。国の側が馬を融通してくれたのでありがたくいただいた。立派な体躯の軍馬で、凛々しい顔をしている。乗るのは久々だが、昔覚えたことは案外忘れないらしい。乗馬の腕も次兄には敵わず必死で練習したものだ。何かの折、その次兄に乗馬鞭でしばかれてからはあっさり辞めてしまったが。
「辛くなったらすぐ言えよ、馬もずっとは走らせられねぇし」
「あいわかった。世話をかけるな」
サンビタリアは前に乗せ、後ろから抱えるようにして手綱を取る。最初は少々慣れない様子であったが、相性は悪くない。運動神経もいい彼女はあっという間に乗りこなしている。馬の方も、休憩のたびに撫でて水をくれるサンビタリアに懐いているようだ。牡馬だから少しモヤつくが。
最短経路上に宿があれば泊まるが、そうでなければ基本的には野営となる。そんじょそこらの女では体力的にも精神的にもきつい道のりだろう。しかしサンビタリアは一言も文句を口にしないし弱音もはかない。少しくらい吐き出してくれたほうがこちらとしては安心なのだが、なんなら楽しそうでさえある。多分、自然の中を走るのは気持ちが良いのだろう。彼女曰く街中よりも精霊が多いし、なんとなく行程が順調なのもなにがしか助けてくれているようだ。天気が崩れないのも、風が心地よく背中を押してくれるのも、野営地でちょうどよく美味い肉にありつけるのも──その点に関しては、サンビタリアの野生の勘かもしれないが。
今日の野営地でかまどを組みながら、草木を揺らす風に「ありがとうな」と小さく声をかける。当然、俺には何も見えないし聞こえもしない。けれどなんとなく、その柔らかな風は気まぐれな精霊たちが遊んでいるように感じられた。
「見ろ! 今日は良いものが獲れたぞ!」
がさがさと藪をかき分けご機嫌で帰ってきたサンビタリアの手には、立派な雉がぶら下がっている。魔法で落としたのだろうか、随分と腕が上がったと思う。植物に関する魔法と、水魔法が少しといった具合だった当初から比べると、風魔法も使いこなすし焚火も着火できるようになった。やはり色々なものを見て、想像する力が大事なのだろう。
「珍しいな。魔物に襲われずそんなに丸々と太るなんて」
「幸運な雉だったのだろうな。残念ながらこうして今から我らに食われるわけだが」
魔物肉は基本的にでかくて食いでがある。しかし獣の肉も、小さいが味が詰まっていて美味いものだ。血抜きは済んでいたので、手早く羽を毟り皮を剥ぐ。筋を切ってぶつ切りにしたら、骨ごと鍋にぶち込んだ。こうすればきっと良い出汁も取れるだろう。じっくりと煮込んだらサンビタリアが採ってきた葉野菜やきのこ等も入れ、生姜と塩で味を調えたら白濁したスープが出来上がった。
「アイザックと森の恵みに感謝を」
「サンビタリアと森の恵みに感謝を」
アツアツのスープに息を吹きかけごくりと飲み込めば、上品な脂が喉を通り抜ける。こってりしているようで、後味はすっと引いていくのでしつこくない。肉はというと、火が通ってぎゅっと締まった身は鶏よりも硬く、しかし噛むとこりこりしていて歯ごたえが良い。
「うっま」
「うむ、これは美味……!」
これから俺たちに何が待ち構えているのかは分からないが。それでも日々二人で食べる飯は美味い。顔を見合わせて笑い合い、我先にとお代わりをよそう。ひとりで来ていたらきっとこんな気持ちではいられなかっただろう。
「明日の朝は残りの肉を照り焼きにして、パンに挟んで食おうぜ」
「間違いない。賛成だ」
あと数日もすれば、現場に到着するところまで来ていた。
ローリタニア、俺の母国。そして俺を棄てた国。──いいや、この俺がかつて棄てた国、だ。
◇
「リベルタ国から依頼を受けて来た。冒険者のアイザックと、こっちはサンビタリア」
現場周辺は既にかなり準備が整っているように見える。山脈の中腹というアウェイな立地だが、偶然なのかわざわざ切り開いたのか騎士たちの待機場所は平坦で、ご丁寧に立派な天幕まで用意されていた。山に入る前に俺たちの馬は預けて来たが、ローリタニアの騎士たちは馬を酷使しつつここまで騎乗して来たようだ。どうみても足を痛めている馬が可哀そうになる。俺たちは仕事を終えたらさっさと帰りたいし、だからこそ貰った馬は大事にしたい。そもそもこの程度の山道なら普段の討伐でも登る範囲だ。体力を温存したいのかもしれないが、これほどしっかりした待機場所があるなら休息も十分に取れると思うのだが。やっていることがどうにもちぐはぐで不安が高まった。
受付というには簡易だが、応援に訪れる他国の者や冒険者を管理しているらしいテントで騎士に名乗れば、明らかに見下した表情でそいつは言った。
「チッ、また冒険者か。どうせ無謀な夢を見て出張ってきたのだろう。それともあれか? 女にいい顔をしたくてやってきた口か。まあ確かに良い女だが──しかし恥をかくのはお前だぞ。親切心から忠告しておくが、やめておいた方が身の為だぞ。なにせクレバリー中将閣下でも苦戦する強敵なのだから」
こちらは国からの指名依頼で来ていると伝えたのに、その意味をきちんと理解していないようだ。まあ別に依頼は「竜を倒せ」というものではない。ローリタニアの竜退治に加勢しろ、みたいな感じだ。そっちが引っ込んでいろと言うのならば、別にこちらも無理して割り込むつもりはない。出来る限りさっさと終わらせて欲しいと願うのみだ。
依頼書に判を貰い、用事は完了である。あとは指示された準備地点で情報を集めつつ、様子を見ようと思う。
「──閣下の指示はどうなっている?」
「まずは罠と毒餌で弱らせると仰せだ。しかし竜が一向に動かず膠着状態らしい」
「閣下はかつて”最前線の壁”とも呼ばれた歴戦の勇士だろう。かの方が先頭に立って下されば、もっと事態は好転しそうなものだが……」
「拠点の設営を始めてからもう何日が経った。いつになったら帰れることか」
先ほどからあちこちで話に上がる閣下というのが、おそらくローリタニアの指揮官であるクレバリー中将なのだろう。竜に対して罠と毒とは、随分と悠長な作戦だ。当の本人はというと、どうやらあの豪奢な天幕にいるらしい。最前線にいなくていいのかよ。
俺は集団戦での魔物討伐など経験したことがないし、ここの騎士たちの実力も未知数だ。なんとなく、ぱっと見でも「大丈夫か?」と思わないでもないが。……まあ、数は力だ。きっと竜の近くにいっぱい待機させているんだろう。多分。
「なあ、サンビタリア。俺は嫌な予感がビシビシするんだが、お前はどうだ?」
「む? そうだなぁ。最初からきっと我々が前線に出るのだろうと思ってはいたが。故に今のところは、計画通りといったところか」
サンビタリアは俺よりもずっと男前だった。もうすっかり覚悟を決めて、体調を整えている。具体的にはもしゃもしゃと干し肉を噛んでいる。
俺もふうっとひとつため息をついてから、ブーツの紐を引き締めた。




