第四話
「よし、今日はこれにしよう! ボア鍋だ!」
「うん、ゴールデンボアの討伐な。ちょっと深い場所だが……まあ俺たちなら大丈夫だろう。よし、受けるか」
サンビタリアは無事C級に昇級した。正直かなりのハイペースだと思う。もう少し若い頃だったら俺も多少は嫉妬したかもしれない。──いや、昇級したいと思って冒険者になったわけでもないから、しなかったような気もするが。
俺が付き添っていたこともあるが、それは効率の良い方法を伝授しただけであってほとんど実践に手出しはしていない。もちろん依頼をこなしている間に危険がないか等の警戒はしていたけれど、基本的には彼女自身の実力だ。
C級に上がる際の試験はたまたま採取系であったからそれも幸運ではあったのだろう。何しろサンビタリアは植物のエキスパートなのである。本来森の深くでしか自生しないとされる薬草だけれど、「これなら数日前にあのあたりで見た」と言った彼女がすたすたと歩き向かった割と近場の森の入り口であっさりと採取完了。強い魔物と戦うこともなく試験は合格となった。この時ばかりは俺も手出しのできない距離で見守るだけであったが、何の危なげもない数時間の出来事だった。
余談だが試験で戦闘がなかったとはいえ、別にサンビタリアは弱いわけではない。なにしろ魔法が使えるのだ。掃除で使うような水の魔法だって、より細く鋭く勢いよくさせれば立派な武器になる。そんなことをせずとも、魔物だって呼吸をしている。頭を水の球で覆えばそれだけで殺せてしまうのだ。そのようなことを分かっていたからギルドも文句なく昇級させたのだろうし、ランク差が縮まって正式にパーティを組んだ俺たちはこれから共に行動することになる。戦力不足ということは万が一にもないだろう。
「これを頼む」
「ゴールデンボアの討伐ですね。こちらにサインを──はい、ありがとうございます。期限は記載の通りとなります、ではこれで手続き完了ですね。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
依頼書を受け取って窓口を後にする。B級相当の依頼だが俺たちならさほど難しくないはずだ。
「ふふふ、今夜は鍋かの? ステーキか?」
サンビタリアは楽しそうに笑っているが。
「あのな、今回はちょっと距離が遠いからまずたどり着くまでに一日はかかるぞ。その間は野営になる。まずは準備が必要だ。んでこれが最も大事な部分だが……」
既になかなかショックを受けた顔をしているサンビタリアにこれを言うのは酷だけれど。
「ゴールデンボアは何日か熟成させないと臭くて硬くて食えない」
がーん、と音がしそうなほど眉を下げて悲しい顔になってしまった。確かにゴールデンボアは美味い肉だけれど、食うまでに多少手間と時間がかかるのだ。
「それでは、今夜は一体どうしたら……」
「普通に野営で食う飯になるだろうな」
「それは、肉か……?」
「まあ干し肉なら持っていくが」
「たどり着くまで一日。見付けて、討伐して、熟成させて……我はいつになったら新鮮なボア肉にありつけるのだ……?」
「どうだろうな。進捗にもよるから分かんねぇけど。上手くいって十日後ぐらいか? もうちっとかかるかな?」
そんな……! と膝をつくサンビタリア。そんなにショックだったのか。もう口がボアになっちまったんだな。口がボアってなんかちょっと嫌だわ。
「せめて、せめて他の肉でも……」
「まあそれなら何かしら食えるだろうよ。なんならもう一件簡単な依頼を受けておくか? 鳥とか兎ならすぐに食えるし」
途端にシャキっとした彼女は掲示板に目を走らせると、依頼書を一枚むしり取って颯爽と窓口へ向かった。ああいうときのサンビタリアの勘は侮れない。きっと生息地から難易度、肉質まで完璧な対象を選び取っていることだろう。
知らず、口元に笑みが浮かぶ。彼女はすっかり肉の虜になってしまった。エルフの里では決して食べられなかったものだ。広い世界へ出て、知らなかったものを知って、好きなものが増えていく。依頼もああして自分でも受けられるし、受付嬢と和やかに会話を交わす姿はもう立派な冒険者だ。
再び窓口へ戻った俺もサンビタリアの横に並び、依頼書の隅へとサインを入れた。
「これで肉の心配もなくなったな!!」
「ふは、心配ははなからねぇけどよ。良かったな、美味い肉捕りに行こうぜ」
「よし、頼んだぞ相棒よ!」
「おうよ、任せとけ」
「肉を捕りに……一応魔物の討伐依頼なのですけれど……」
受付嬢は静かに苦笑を浮かべていた。
◇
「早く来い、ほらアイザック、もっと急ぐのだ」
「そんな急いだって疲れるだけだろ。落ち着けよ、分かったから──ちょ、ちょっと待てって!」
焦れて腕を引いてくるサンビタリアを慌てて諫める。これでも急いでここまで来たのだ。今日はもう日が暮れるし、森に入る手前で野営して明日から活動するべきだろう。
「そうなのか……? 一刻も早く熟成に入りたいのだが……」
「まだ出会ってもいない魔物を肉として見るのやめろな? あれでも結構ランク高い相手なんだぞ?」
「む、強敵であればあるほど期待値も上がるというものであろうが。ちなみにアイザックは食したこともあるのだろうな?」
「はぁ……まああるけどよ。ボア系は基本味が濃くて旨味が強い。解体が下手だと臭くて食えたもんじゃなくなっちまうけどな。脂が甘くて美味い肉だよ」
「ああ……! 我は待ち切れるだろうか。楽しみで胸が高まるぞ!」
恍惚とした表情で頬を赤らめ、目をキラキラと輝かせる美しい少女──外見は、だ。話している内容は全然可愛くないが、この際そこは気にしないことにしよう。
手際よく野営の準備をしつつ会話を交わす。泊りの仕事はほとんどしたことがないが、そのための練習や準備はしっかりと重ねてきているから特に問題はなさそうだ。そもそも森の中で生活していたエルフである。なんなら街中より生き生きしているのではないだろうか。
ひとまずは今晩の食事としてスープを作ろう。薪を集め、組んでいく。一応野営用の魔道具もあるのだが、使わずに済むならそれに越したことはない。何より火はそれだけで獣除けにもなるし、暖かいからだ。随分と肌寒い季節になってきた。ここは街より高地に当たるから余計にだ。
俺が支度を整えている間にどこからともなく集めてきたらしい、食える野草やなんかの植物を差し出されたのでありがたく受け取る。今日はまだ初日だから、メイン具材は家から持参してきた肉を使う。さして重いわけでもないし、干し肉より喜ぶのだから仕方がない。
薄切りにした肉と火の通りにくい根菜類を一口大に切って炒める。市場で売っているのを買ったことがあるが、こんなところに自生している類のものだったのか。サンビタリアでなければ見付けられない気もするが。
「ここに水入れてくれるか」
「あいわかった」
サンビタリアとパーティを組んで一番助かっているのはやはり水かもしれない。特に長期の仕事になると、水のあるなしで生存率が段違いだ。持って歩くと嵩張るしそれなりに重い。これまでは魔道具を使っていたが、魔石代がかからないだけで最近やけに金が貯まる気がする。食い扶持が増えたのにも関わらずだ。まあ言ってもサンビタリアが食う量など大したものではないが。一番のメインとなる肉を自給自足しているせいもあるか。
軽く灰汁を取り、ハーブと塩で味を調える。葉物は最後に入れて、食感が残る程度で火から降ろした。
「よし、食おうぜ」
「アイザックと森の恵みに感謝を」
祈りの言葉にふっと笑い、焚火を挟んで二人、器を傾けた。
家で食うより随分シンプルな味のスープは、身体を芯から温めてくれる。言葉もなく静かに流れる時間の中、風が木々を揺らす音だけが心地よく響いた。




