三十七話
「どういうつもりだい」
人気のない薄暗い廊下を歩いて行くテオフィルの背にクラウスは不審そうに声を掛けた。
「安心して下さい。僕にそういった趣味はありませんので」
「それは良かった、僕もだよ」
テオフィルが向かった先はまさかの裏部屋と呼ばれる場所だった。
此処は男女が仲を深め交流する場ーー所謂”行為”をする部屋だ。夜会では必ず設けられている。
まあ自分は使った事はないが。
「此処なら誰にも邪魔をされず、話を聞かれる事もないと思いまして」
確かに幾ら人気がないと言っても廊下やロビー、中庭やテラスだろうと油断は出来ない。招待客だけでなく使用人もいる。何処で誰が聞いているか分かったものではない。
その点では裏部屋は最適だろう。流石に他人の行為を覗き見ようとする悪趣味な者はそうはいない筈だ。
但し一歩間違えば別の意味で悪い噂が立つかも知れない。男同士で裏部屋に入る所を誰かに見られでもしたら、そっちの毛があると思われるのは避けられない……。
「それで、君の目的はなんだ」
薄暗い部屋に入ると直ぐにベッドが目に付き仄かに甘い香りがした。
ソファーに向かい合い座るとクラウスは早々に口を開く。さっさとこんな不毛な時間を終わらせたい。
「そう急かさないで下さい」
「話がないなら僕は失礼するよ」
「ヴァノ侯爵殿」
ワザとかは分からないが、のんびりとしているテオフィルに苛ついてしまう。
クラウスが立ち上がる仕草を見せると呼び止められた。なので仕方なくソファーに座り直す。
「ルーフィナの事はどの様に思っていらっしゃるんですか?」
「彼女は僕の大切な妻だ」
「……好き、なんですか?」
「あぁ、好きだよ」
「……」
向こうから聞いてきた癖に、クラウスの返答が気に入らないのかテオフィルは顔を顰めた。
「先程も少しお話ししましたが、本当にカトリーヌさんの息子は貴方の子供ではないんですか?」
「違うと言っているだろう」
「侯爵殿の立場を考えたら否定されるのは当然の事です。でももし事実なら、暫く社交界では侯爵殿の噂で持ちきりになるくらい大事ですよね。きっと陛下の耳にも入る事でしょう。そうなれば貴方達夫婦の関係は破綻するかも知れない」
クラウスは唇をキツく結ぶ。
ルーフィナと結婚してから国王からは年に数度書簡が届く。ほぼ定型分ではあるが、ルーフィナを案ずる内容が必ず含まれていた。また年に一度城に呼ばれ、国王からは遠回しに釘を刺されている。クラウスがルーフィナに手を出していないか心配で仕方がないのだろう。
あの方は亡き妹を溺愛していたので、無論その娘であるルーフィナも可愛くて仕方がないと思われる。
だからこそこの八年、クラウスがルーフィナと別居し放置していても別段口出しもして来なかった。寧ろ安堵していたのかも知れない。
そんなに心配ならばそもそも自分の手元に置いておけば良かったのでは? そんな風に思うがそうもいかないらしい。何故なら王妃が良い顔をしないからだ。
昔からルーフィナの母セレスティーヌと王妃のジネットは不仲だった。まあどちらかと言えばジネットがセレスティーヌを一方的に嫌っていたそうだ。そうなればその娘であるルーフィナの事も気に入らないのは言うまでもない。そのような理由からルーフィナを城で引き取る事は出来なかったと、以前国王が小言を洩らしていたのを聞いた。
もしクラウスに隠し子がいるなどと噂が立てば、国王はどんな反応を見せるだろうか。
テオフィルが期待している様にルーフィナを蔑ろにしたと憤慨しクラウスに離縁する様に要求してくる可能性も大いに考えられる。
おかしなものだ。以前までは離縁を視野に入れていたのに、今はそんな未来を想像するだけで目の前が真っ暗になる。
テオフィルは勝ち誇った様子でこっちを見ていた。そんな彼を見て思う。もし離縁となれば必ず彼は我先にルーフィナの再婚相手に名乗りを上げるだろう。以前と状況が違う故モンタニエ公爵も息子の後押しをする可能性が出てくる。そうなればルーフィナは彼と結婚する……。
ルーフィナが他の男の妻になるーー。
(彼女を手放すなんて僕には考えられない……)
今更だと分かっている。自分勝手だと言われてもいい。絶対に離縁などしたくない。彼女を誰にも渡したくないーー。
「そうやって動揺させて僕から弱みを引き出そうとしても無駄だよ。断言する、カトリーヌの息子は僕の子供じゃない。そもそも証拠もなく、彼女が勝手に言っているだけだろう。そんな不確かな話を鵜呑みにして、言い掛かりも甚だしい」
「確かに証拠はありません。ですが侯爵殿とカトリーヌさんは愛人関係ですよね?」
「違う。彼女とはただの友人だ」
「事実は分かりませんが、少なくてもルーフィナはそう思っています。それに周囲の者達もきっと。これまでのお二人の様子からして致し方がない事だと思いますが」
図星をつかれるが、引く訳にはいかない。
ここで動揺を見せれば相手の思う壺だ。
「言いたければ好きに言っていればいい。但し事実無根であるにも関わらずこれ以上侮辱を続けるつもりなら、君の御父上に抗議させて貰うしかなくなるけど」
そう言い放つと、彼は俯き黙り込んだ。
「……申し訳ありませんでした」
暫くして口を開くと素直に謝罪をしたので少しだけ拍子抜けしてしまう。
「気が済んだなら、もういいかい」
「……もう一つだけ宜しいですか?」
「何かな」
「ヴァノ侯爵殿は、カトリーヌさんの旦那さんとはご友人だったんですよね」
意外な質問にクラウスは思わず眉根を寄せた。
「あぁ、そうだよ。それが何?」
「カトリーヌさんから聞いた話では、唯一無二の親友とも呼べる程の間柄だったとか……。ルーフィナの事、本当はどう思っているんですか」
「……君は一体何を言いたいんだい」
脈絡のない話に肩を竦めて見せると、彼は眉根を寄せた。
「ルーフィナは知っているんですか? 彼が彼女の両親の所為で死んだと」
テオフィルの物言いに無性に腹が立った。
「ーー知る筈がないし、知る必要もない。それにあれは事故だ。彼女の両親の所為じゃない」
「でもカトリーヌさんはそうは思っていないみたいですが」
「カトリーヌがそう言っていたのか」
「えぇ」
「……」
夫を亡くした当初カトリーヌは酷く悲しみに暮れていたが、これまで彼女から恨み言を聞いた事はない。意外だった。
「ヴァノ侯爵殿。今夜はお時間を頂きありがとうございました。では僕は先に戻らせて頂きます」
「待て、まだ話は……っ⁉︎」
勝手に話を切り上げ立ち上がるとさっさと扉へと向かうテオフィルに、クラウスも席を立つが蹌踉めいてしまいソファーに逆戻りした。
「これは……」
その瞬間、また甘い香りが鼻を掠めた。
「大丈夫です、身体に害はありません。ただの睡眠剤入りのお香です。もう少しすればカトリーヌさんがいらっしゃる筈ですから、それまで侯爵殿はこちらでお待ち下さい」
それだけ言い残しテオフィルは部屋から出て行ってしまった。
残されたクラウスはそのままソファーにもたれ掛かった。




