三十話
屋敷に帰ると直ぐに自室へと向かい、部屋に入りるなり手にしていた上着をベッドに放り投げた。
『諦めなさい』
『ですが、お見合いは多数申し込まれていると耳にしております』
『それは礼儀知らずな不届者達がしている事だ。確かに以前から白い結婚だなんだと言われてはいるが、彼女が結婚している事実に違いない。そんな女性にお見合いを申し込む様な恥知らずな事は出来る筈がないだろう』
少し前、父にルーフィナとのお見合いを申し出た。だが父は諦めろの一点張りでまともに取り合って貰えない。父の言っている事は正論で、それが正しい事などテオフィルだってよく分かっている。だがそれでも僅かに可能性があるならばそれに縋りたい。もしかしたら釣書を見た彼女が応えてくれるかも知れないなどと淡い期待を抱いてしまった。
『それで、君は何が言いたいんだい? ルーフィナを幸せに出来るんだろう? それで? 彼女は僕と結婚しているんだ。君はどうやって彼女を幸せにするつもり?』
答えられなかった。結局御託を並べた所で今の自分ではどうする事も出来ない。不甲斐ない自分に嫌気がさす。
お見合いが無理ならば、いっそのこと彼女に直接想いを打ち明けようか……。ダメだ、そんな不誠実な事は出来ない。彼女は結婚しているんだ。お見合いだって変わらないかも知れないが、意味合いが違う。それではただ不貞行為をしたいだけだと彼女に思われてしまう。
「どうして今更……」
八年もの間見向きもしなかった癖にーー。
彼女を好きだと自覚したのは何時の頃だっただろう……。
出会った時から好感は持っていた。始めはただただ彼女の言動が愛らしいと感じていた、それだけだったと思う。それが何時の間にか何処か危なっかしくて目が離せなくなって、気付けば護ってあげたいと思う様になっていた。でも彼女は既婚者でどんなに想っても手に入れる事は出来ないのだと分かっていた。だがその一方で淡い期待を抱いていたのも本音だ。その理由は、ルーフィナとクラウスは白い結婚だと周知の事実で、その内離縁するのではとさえ噂されていたからだ。その為、既婚者であるにも関わらず以前から彼女には見合い話がきていた。ただ彼女自身は余り関心がない様子ではあった。だからかだろうか……テオフィル自身自惚れていた事は否めない。ルーフィナに一番近しい異性は自分であるのだと勝手思っていた。彼女を護る騎士にでもなったつもりだったのかも知れない。事実、彼女に言い寄って来る男達を何度も追い払ってきた。だが流石に夫は無理だ。寧ろ立場的に追い払われるべきは自分だ。滑稽過ぎる。でも諦められない。
「本当に君が、好きなんだ……」
先程ルーフィナから受け取った小さな包みを開けると中からは愛らしい花の形のクッキーが出てきた。一枚摘み上げそれを一口齧るとバニラの香りが口の中に広がった。彼女のお手製のお菓子だ。きっとあの後彼にも渡したのだろう。いや寧ろ彼の為に作ったのかも知れない。自分はオマケなのだろう。彼女は優しいから……。
だからずっと自分の事を放置してきた夫ですら寛大にも受け入れ仲良くしている。本来あるべき姿に段々と近付いてきているのを日々感じていた。このままだとルーフィナは彼に絆され手の届かない存在になってしまう。だが自分にはどうする事も……。
いや、そんな事はない。以前クラウスには愛人がいるのだとルーフィナが話していた。あの時はただただ腹が立って感情に任せて彼女に離縁を進めたが、彼女はいまいちピンときていない様子だった。それなら向こうに働きかける方が効果があるかも知れない。
テオフィルは早速クラウスの愛人を調べる事にした。




