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4 とうもろこし畑があった

 遮るもののない大地に、広大なとうもろこし畑があった。


 その地に足をつける。軽ワゴンに背中をあずけながら、どこまでも広がる青い空をみあげる。浮かんでいる白い雲が、めまぐるしい時間の流れを、ゆったりと感じさせる。少年も、圧倒的な存在(なにか)を感じているのだろう。風が吹いて、葉のゆれる音だけが聞こえている。


 トラックにのってあらわれた農家さんに誘われて、収穫の手伝いをする。役に立っている気はしないが、にぎやかで、そこそこにうるさい、笑い声が響いている。


 遠くから、サイレンの音が聞こえてくる。

 近づいてきた、数台の警察車両が、すぐそこに止まる。

 バタン、バタンと、いくつものドアが勢いよく閉まる音が聞こえる。

 鼓動が高まる。

 笑い声は消えている。

 緊張感をはらんだ、複数の気配が迫ってくる。


 厳しい顔をした捜査官たちに囲まれて、眼前に突きつけられる逮捕令状──否応もなく捕まり、収監されるのだろう。


「だれがこんな可愛くないガキを誘拐するかっ!」


 と、懸命に真実を訴えたところで届きはしない。落ち度はこちらにあり、裁判になったら敗訴する。示談になったところで、レッテルは剥がせない。

 この世の中、殺人犯に同情を寄せることはあっても、児童誘拐犯に容赦はない。世間は聞く耳などもたない。受けいれられることはない。個人だけではなく、無関係な周りも、心ない批判にさらされる。

 仲間やママともさよならだ。

 生きていけるとしても、音楽活動なんてできるわけがない。


 麻子は頭をふり、ひどい未来予想図を振り払った。


 そもそも北の大地における、とうもろこしの収穫時期なんて知らない。現在のとうもろこし畑がどうのような状況にあるのかも知りはしないが、つかまったなら、あきらめるしかないことはわかる。


 とうもろこし畑でつかまって、音楽活動をあきらめる。

 なんてひどい結末だろう。

 生きていたところで、死んでいないだけ。

 なにもかもが嫌になりそうだ。


「どうしたー、ねえちゃん、だいぶ長いことかんがえてるけどさー?」

「とうもろこし畑なんて、ぜんぶ燃えてなくなればいいのに」

「……ねえちゃん、かんがえて、かんがえて、かんがえぬいて出した答えは、だいたいろくなもんじゃないって、父ちゃんがいってたぞ?」

「安心しろ。おまえの父ちゃんは、たぶんはじめから負けている」

「ねえちゃん、さっきからひどくねー?」

「大丈夫だ。自覚はある」


 負け犬は、悩んで悩んで、また負ける。


「まあ、そういうことでもないかぎり、あきらめきれないんだろうな、わたしは」


 勝つしかない。

 ひとつでいいから、とにかく勝つ。

 負け犬のままでは、ろくなことしか考えないから。


「おー、いよいよ出発するのかー?」

「いや、おまえの家の前まで車を動かすだけだ。案内しろ」

「えー、なんでー?」

「もう一度、できるだけ詳しく事情を説明してこい。あとついでに、後ろの虫捕り網を片付けてこい」


 少年が親にきちんと説明できるのか、きちんと許可を得られるのか、非常識きわまる親だったらどうなるのか、なんてことはどうでもいい。

 少年が家に入ったら、逃げる。

 少年の荷物を外に放りだしてでも、車を発進させる。

 誠実さを欠いた卑怯な行為といえるが、不思議なことに、心はまったく痛まなかった。考えるだけで晴々とした気分になってくる。解放感がすごかった。もはや負け犬ではない。すでに勝っている。これが勝利の感覚かと麻子はおもった。


「おれの家はー、あそこを曲がってすぐだぞー」


 おまえは裏切られたと感じるだろう。

 心に傷を負うかもしれない。

 けれど私は信じている。

 おまえなら大丈夫だ。

 きっと、明日には忘れている。


 麻子が勝利の余韻にひたりながらサイドブレーキに手をかけたとき、着信音が鳴りひびいた。出鼻をくじかれる形となったが、麻子の心に乱れはない。ちらりと少年の反応を確認したあと、誰からの着信なのかを確認した。


「……110?」


 警察から?

 麻子は疑問を抱きながら電話に応対した。

 警察からだった。音楽を止めて用件をうかがった。元交際相手(アホ)に対する暴行の件で、警察署への呼び出し連絡だった。


 被害者本人は復縁を望んでいたため、被害届を出すつもりはなかったが、被害者の母親が殺人未遂事件として扱うように訴えはじめたことで話がややこしくなり、最悪の事態を避けようとした結果、傷害事件として届け出がなされていた。


 ていねいな説明があり、うなずくばかりの麻子がいて、とくに問題もなく通話が終わり、車内には沈黙が生まれた。


「……いや、殺人未遂って」

「ねえちゃん、殺人犯だったのかっ!」

「違うわっ!」

「何人やったの!?」

「聞けよ! 勝手にシリアルキラーを連想するな! なんでこれまでになく瞳をキラキラさせてんだよっ!? これ以上おまえに少女漫画の要素なんていらねぇんだよ! なにひとついらねぇんだよ! まつ毛ぜんぶ引っこ抜くぞ!」


 乱れた呼吸が整ったころ、麻子はぽつぽつと話しはじめた。


 昨夜、愛用のギターをフルスイングで元彼(アホ)の顔面に叩きつけたこと。口説かれていた女が逃げ出したこと。麻子もまた一方的に別れを告げて置き去りにしたこと。歯が何本かへし折れていたらしいこと。救急車で運ばれて、親が駆けつけてきたらしいこと。警察沙汰になったこと。


「で、傷害事件の被疑者として、いまから警察署に行くことになった」

「ロックだなー、ねえちゃんはー」


 少年は満足そうにうなずいていた。

 感動されても喜ばれても嬉しくはなかったが、たしかに、ロックかもしれないなと、麻子はおもった。

 まあ、それならいいかと、おもったりもした。

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