33.ロケ
「お願いです。助けてください」
見覚えのあるお笑い芸人と、胡散臭そうな風体の中年の男、憮然とした表情を浮かべながらも恐々しているのを隠し切れない中年の男が、御門と亨の姿を見るなり立ち上がって頭を下げた。
「しらねーよ。お前らがやった事だろうが」
御門は面倒くさそうに返すと、東雲が勧める前に椅子に腰かけた。
今回は人数が多いせいで、庁内の応接室ではなく会議室で依頼者と対面する事になったのだが、依頼者たちは先週テレビで見たお笑い芸人と霊能者を含む面々だった。
「やっぱり障りが出たんですか」
御門の無礼は慣れている亨が、御門の隣に腰掛けながら立ったままの依頼者たちを見て尋ねた。
「やっぱりって……」
お笑い芸人が驚いて亨を見た。
「あのテレビ番組で行った神社からだろ。障りが出てるのは。――一人足りねえな」
亨が答える前に御門が口を開いて、お笑い芸人が一人しかいない事に気が付いた。
名前は知らないが太った男と痩せた男のコンビだったはずだ。コンビ名は確か――ランチメニューだったか。
「相方――片桐は……その」
痩せた方の男――片桐ではない方が言いにくそうに視線を下に向けた。
「羽柴さん、大丈夫ですよ。順を追って話そう」
東雲警部が相変わらず柔和な――御門曰く胡散臭そうな――笑顔で言うと、ランチメニューの羽柴はほっと息をついて落ち着いたように椅子に腰かけた。
それを合図に、依頼者たちからはさっきまでの悲壮感が消え、めいめいの椅子に身を預けるように腰を下ろした。
「私はあの番組――『実録!洒落にならない怖いスポット』のディレクターをしている野木と言います。こちらはあの神社の取材に同行してくださった霊能者の織田道元先生で、その隣がお笑いコンビ『ランチパック』の羽柴です」
誰がともなく話し始めたのは、胡散臭そうな風体の男――ディレクターの野木だった。
コンビ名はランチメニューじゃなかったのか。
御門は口に出さないでよかったと思った。要らぬ恥をかくところだった。
「実はあのロケの後おかしなことがおきまして」
野木は続けた。
「カットです。お疲れさまでした」
祭壇に手を合わせた3人に向かってADが声をかける。
「本当に大丈夫なんですか」
カメラが止まったのを確認して、出演者の片桐が不安そうな顔を野木に向けた。
「大丈夫だよ。ちゃんと下調べして何もないって確認済みだから」
得意気に言う野木に、片桐は100kgを超える巨体を縮めるように両手で自分の体を抱きしめている。
――でかい図体して何ビビってんだよ。
収録中も、何度も怖がって社から出て行きたがる片桐を押し戻し、なだめすかして、予定よりも2時間オーバーしてしまった。
田舎の夜の店は終わるのが早い。今から町に戻っても飲食店も飲み屋も空いてないだろう。もちろんコンビニなんてものもあるはずがない。
設定では深夜だったが、そんな面倒なことはしない。撮影は17時から開始して今は22時だ。
3時間程度で済むはずだったのにこいつのせいで。
これがスタジオなら片付けはスタッフに任せてさっさと帰るのだが、ロケではそうはいかない。
スタッフも出演者も同じバンに乗ってきたから、帰りも当然同じバンでなければならないのだ。
「でも、さっきから視線を感じるんですよ」
片桐は自分の体を抱きしめたまま体を丸めて、野木の耳元に口を寄せた。
「野木さんも――聞こえるでしょ」
「聞こえるって、何がだよ」
耳元で囁くように言った片桐の声に、野木は背筋が寒くなるのを感じた。
なんなんだ。こんなキャラじゃないだろ、こいつは。
野木が飛び退いて言うと、片桐はさっきと同じように両手で自分の巨体を抱きしめて縮こまっている。
「どうしました」
離れた所にいた織田道元が野木たちが騒いている事に気が付いて寄ってきた。その後ろには羽柴もいる。
「ああ、織田先生。いや、片桐君が怖いもんだからって俺の事を怖がらそうとしてきたんですよ」
「でも……ずっとさっきから誰かに見られてるような気がするんですよ」
野木の言葉に片桐は続ける。
「なんだお前、そんなでかい図体してまだそんな事言ってんのかよ」
羽柴がいつもネタでやるように片桐の頭を平手で叩いた。
小気味のいい乾いた音が夜の闇に響き渡る気がした。
だが、周囲には数人のスタッフが、証明や定点カメラの撤去に忙しく走り回っているので、その音は思ったよりも人の耳には入らなかった。
なのに何故織田の耳には響いたのだろうか。
まるで周囲のざわめきから隔離されたような感覚だったが、一瞬の事だったので気のせいだろうと思い直した。
「人が集まっているから、眠っていた霊たちが敏感になってしまったんでしょう」
そう言うと織田は片桐の前で手を合わせると、片桐の聞いたことの内容な言葉――ただのお経なのだが――を口にしながら片桐の周りを歩き始めた。
そして、早足で三周を終えると背後に回り「喝―っ!!」と大声を発しながら片桐の背中を強くたたいた。
「片桐さんの守護霊にお願いしましたからもう大丈夫ですよ」
道元の言葉に片桐はホッと息をつき、羽柴はそれを胡散臭そうな顔で見つめていた。
設営には1時間ほどかかったのに、撤収は30分もかからなかった。
年末の漫才コンテストで優勝こそは逃したものの、斬新なお笑いだったとSNSの話題をさらっていったランチパックは、年明けから仕事が絶える事はなかった。
バラエティのロケやスタジオの仕事が増え、知名度も一年前とは比べ物にならない程上がった。
おかげで漫才のネタを書く時間もないのは皮肉なのだが。
それでもこうして心霊番組の仕事ももらえるようになったのは有難い事だった。
ろうそくが消えたり、不思議な影が見えたり、窓を叩く音が聞こえたりするのを、オーバーすぎるほどのリアクションで怖がってやればいいのだ。
羽柴はスタッフが荷物を車に積む間、さっきまで自分達がいた社を見上げていた。
社と言っても、プレハブの住居と倉庫が合体したような比較的近代的な建物だ。
戦後に建て直したが、高度経済成長期に村人が都会に出ていくようになって過疎化が進み、30年前に廃村となったまま、この神社も朽ちたのだと台本には書いてあった。
「ケーブルありました!」
羽柴が見上げていると、突然2階の窓が開き、カメラスタッフの若い女の子が顔を出した。
そう言えばスタッフがケーブルが一本足りないと言っていた気がする。
スタッフも全員撤収した中、あの子一人であんな真っ暗な中でケーブルを探していたのか――と、感心したその時、羽柴は気が付いた。
あの部屋はさっき自分が撮影していた、儀式用の祭壇がある部屋だ。
そして、彼女が開いた窓は正に窓の外からガラスを叩かれた窓じゃないか。
「なんってこった……」
その窓の外には足場になりそうなものなどなかったのだ。
町に戻るバンの中で、羽柴はずっと無言だった。
いつもならスタッフやディレクターに気を遣って盛り上げようと馬鹿話をするのだが、シートに身を埋めて考え込むように足元を見つめている。
ADが運転するロケ用のバンはギリギリ舗装された山道を慎重に下っていて、車内は何故か静まりかえっていた。
「羽柴さん、さっきのリアクションよかったっすよ」
前に座っていた男が振り返って羽柴に話しかけた。――カメラマンの男だ。名前は憶えていない。
「ありがとうございます」
スタッフに親切にすること、礼儀正しくすることは大事だ。
羽柴は、一度だけテレビで共演した大御所芸人からそう言われたことをずっと守っている。
だが、この時だけは違った。
しかし、カメラマンの男は羽柴が疲れているのだろうと思い、「旅館までしばらくかかりますし、ゆっくり休んでください」とだけ言って、また前を向いた。
「あ、そうだ!旅館には電話して夕食の用意を遅らせてもらってますから!飯あります!」
運転席から振り返らずにADが元気な声で言うと、それぞれの口から「よかったぁ」と安堵の溜息が漏れた。
「俺、痩せたらどうしようって思いましたよ」
片桐の言葉に車内の空気が一気に明るくなったが、羽柴だけは乾いた笑いを浮かべるだけだった。




