31.名付け
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「名前っつーのはさ、存在を縛るわけよ」
亨が向いたりんごを食べながら、御門は説明をした。
「名をつけることで存在を認める。言い返すと名前ってのは存在そのものとも言える。だから名を知ると呪う事ができる。――昔の人間が名を明かさなかったのはそういうこった」
御門が語った篠川夫妻から聞き出した話は亨の想像を超えていた。
暁が産まれて1年が過ぎた頃、夫婦はある占い師に出会った。
占い師は娘の身を案じる夫婦に、もう1人子供を作り、その子供に戸籍の名とは違う名前をつけるよう言った。そうする事で産まれた子の生命力が姉の弱い魂を補うだろうと。そして、その名は家族以外が知る事の無いよう、誰にも言ってはいけないとも。
そうして、それから2年後に夫婦は再び子を授かり、まゆみと名付け、占い師の言った事を思い出し真名を宵と名付けた。
「あいつらがつけたのは暁と反対の意味を持つ宵だ。占い師に言われたんだと。近い名をつける事で魂の結び付きはより強固になるってな。とんでもねえ話だわ。生命力を分けるどころか、妹に姉の身代りをさせる呪いだったわけよ」
だが、篠川夫妻は占い師の言葉を覚え違えていたのか、勘違いしたのか、反対の名をつけた。
それにより、呪いの形が歪み、生きたいという執念が強かった暁の魂がまゆみの魂を貪り始めたのだ。
「あいつの生きる執念は凄まじかったからな。その執念と、親が知らずにかけた呪いが混じりあったんだろうな。まゆみは暁に食われたんだ」
「そんな――それじゃあまゆみさんは」
亨の言葉に御門は軽く肩をすくめた。
「子供の頃から喰われてた。まゆみが好きな事をやらせてもらえたってのは暁がやりたかった事だろうよ。そうやって少しずつ浸食されて暁が死んだっつー5年前には完全に喰われてたはずだ。あれはまゆみ――いや、宵という名を奪った暁だ」
亨は目の前が暗くなるような気分だった。
姉との思い出や両親に蔑ろにされていた悲しい過去を話していたのは暁だったというのか。
「気にすんな。奴らは嘘をつくもんさ。特に奴の狙いはとーるちゃんだったからな。取り入るためにはなんでもするさ」
御門の言葉に亨は下を向き、「なんで僕なんですか」と吐き出すような声で尋ねた。
「とーるちゃんの霊力は特殊だからねぇ。魂を定着させるためにも欲しかったんだろ」
暁の魂は生への執念から人形を媒介にして付喪神となり、まゆみの体と魂を奪ったが、生まれ持った体ではない為魂が定着せず、霊力を必要としていた。
「付喪神と悪霊の違いってのは、霊力を奪うかどうかだ。悪霊はただ憑くだけだが、付喪神は人の霊力を奪う。――その上暁の魂はまゆみの体まで乗っ取ってるんだからな。親父の生徒やクラブでひっかけた男達からちまちま霊力を奪ったところで追いつかねぇ。そこにとーるちゃんみたいな化け物じみた霊力を持った奴を見つけたんだ。そりゃ襲うだろ」
「れ――霊力だけで言えば御門さんの方が高いじゃないですか」
「無理無理。あいつごときが俺の霊力を奪うとか無理」
御門が笑い飛ばすと、亨は憮然としている。
真神の依り代である御門に手出しなどできるはずがない。だが、真神の事を知らない亨にはわからない事だ。御門が含み笑いを浮かべて亨を眺めていると、ノックもなしに病室の戸が開いて東雲が入ってきた。
「御門君――様子はどうだい」
「おっさん――ノックくらいしろよな」
今度は御門が憮然とした顔になる。亨は上司の訪問に急いで立ち上がると敬礼の代わりに頭を下げた。
「あはは。気にしない気にしない」
そう言うと、東雲は亨が用意した椅子に座り、手にしていたケーキの箱を御門に渡すと「棚橋君、すまないが地下の売店で飲み物を買ってきてくれないか」と言って財布を取り出した。
亨は素直に「承知しました」と言うと、東雲から金を受け取り部屋を出て行った。
「篠川まゆみだが――」
亨の気配が消えた事を確認すると、東雲は口を開いた。
「元の魂がねーんだ。わかってる。もってあと数日だろう」
「――棚橋君には言わない方がいいかな」
東雲の言葉に御門は答えなかった。どれだけ操られようが、亨の性格上依頼人の関係者に手出しをする事は考えられない。それでも関係を結んだというのは亨がまゆみに本気で惹かれていたという事だ。
御門も東雲もそれを理解していたからこそ、この残酷な結末は亨には伝えたくなかった。
「とーるちゃんも女運がないねえ」
御門の言葉に、東雲は苦笑いをして、サイドテーブルに置かれたリンゴに手を伸ばした。
「御門君こそ――チャンスだったのにいいのかい」
「喰おうと思えばいつでも喰えるさ――それに一口くらいは戴いたしな」
亨の神力にも近い霊力を喰えば、真神が必要としている霊力を補う事ができる。
そうすれば、真神は御門の元を離れ、日本武尊の元で神力を回復させる眠りにつくことができ、御門もこの息苦しい生活から解放される。しかし、御門は亨に霊力を戻す事を躊躇わなかった。
「随分お気に入りになったみたいだね」
「どうだろうね――それに、せっかく童貞卒業できたのに可哀想でしょ」
御門は唇の端を上げてニヤリと笑うと、東雲も吹き出した。
「――まさか真っ最中だったとは私も思わなかったよ。部下の濡れ場を目撃するのは――」
東雲は生真面目な亨のあられもない姿を思い出して肩を震わせて笑っている。御門もつられてその場を思い出して吹き出した。
「いやいや。中々立派なモノだったしな。7年も使ってねーとかもったいなすぎだろ」
「あの状況でそこまで見てる君がすごいよ」
「だって俺真正面にいたんだぜ。嫌でも見えるっちゅーの」
御門の言葉に東雲も耐え切れず声を上げて笑うと、御門も笑いながらあの時に見たモノについて更に続けたものだから、二人は腹を抱えるほど笑っていた。急いで戻ってきた亨に気が付かないほどに。
これで人形編は終わりです。
お付き合い頂きありがとうございます。