23.佐川良太
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「おい佐川、最近元気ないけど大丈夫か?」
同級生に声をかけられて佐川良太は、ぼんやりしていた事に気が付いた。
昼休みの食堂は学生で込み合っている。早めに来ていたはずなのに、いつの間にか正面に同級生が座っている。ぼんやりしている間に時間が経っていたのだろう。
「……山科か。なんだよ」
「なんだよってなんだよ。さっきも教授に集中してないって怒られてただろ」
山科がそう言うと、佐川は目元を押さえて、「最近眠れないんだ」と呟くように言った。
ここ数日繰り返し同じ夢を見るようになり、その夢を見た日は凄く疲れて一日中ぼんやりしてしまうのだと、佐川が言うと、山科は驚いた顔を見せた。
「お前――それってもしかして、人形の夢か?」
「なんで山科が俺の夢を知ってるんだよ」
怪訝そうな顔で佐川が山科を見ると、山科はテーブル越しに顔を近付けると、声を落とした。
「篠川教授の生徒は呪われるって有名な話だぞ。知らねえのか」
山科の真剣な表情に、佐川は一瞬息を吞んだが、すぐに表情を崩して噴出した。
「呪いだなんてバカバカしい。お前、今は21世紀だぞ」
佐川の言葉に山科も体を戻すと、「ですよねー」と笑って返した。
「この前教授の家でトイレを借りた時にさ。仏壇が置いてある部屋のドアが少し開いてて、見ちまったんだよ。人形を――それで多分その噂を思い出して夢に見てんだろな」
「試験も近いしな」
そう言って二人は苦笑いを浮かべると、午後の講義の為食堂を後にした。
次に山科が佐川に会ったのは、その2週間後の事だった。
佐川が大学に来なくなったと、同級生から聞いた山科は、初めは風邪か何かだろうと気にしていなかったが、一週間を過ぎた頃には、心配になってきた。
メッセージを送っても返事がない事に業を煮やして、佐川が独り暮らしをしている学生マンションを訪れたのが、食堂で会話を交わしてから二週間が経った頃だった。
インターホンを鳴らしてしばらくして姿を現した佐川は、二週間前とは別人のようにやつれ、顔色は土気色になり、目は落ち窪んでいたが、やたらとギラギラしていた。
部屋に通された山科は、見舞いのスポーツドリンクや、レトルトの食事を佐川に差し出すと、言葉に迷った。
そんな馬鹿なと思いながら、篠川教授の呪いの話が頭から離れない。
――いや、そんな馬鹿な話はない。きっと、スランプで精神的に追い込まれてるんだろう。
山科は必死でそう思おうとしたが、佐川の一言で自分の不安は的中したのだと痛感させられる。
「人形が――来るんだ」
初めは夢の中だった。
気が付くと暗い闇の中にいて、辺りを見回すといつの間にか人形が足元に転がっていた。
何の変哲もなく、30センチもない程度で、子供が抱くのにちょうどいい大きさのその人形は、布と毛糸で作られ、目には赤いボタンが付いている一目で手作りとわかる人形だ。
――これは篠川教授の家にあった……
ぼんやりと佐川はその人間を見つめていた。
それだけの夢だった。
しかし、何度かその人形の夢を見るうちに、段々と人形が怖いと思うようになった。
――なんで俺はこの人形の夢を見るんだ?なんでいつもあいつは俺の夢にいるんだ?
次第に眠るのが怖くなり、睡眠不足が続くようになっていた。酒を飲んで眠れば夢も見ないと、酒の量も増えた。
すると、夢の中に現れなくなった人形が、起きている時にも現れるようになった。
初めは楽譜を買いに街に出た時だった。
地下鉄の暗い窓に一瞬人形が映った気がした。――疲れてるのか。最近よく眠れていないし。
佐川は地下鉄の中で周囲に人がいる事に安心していた。
楽器店で目的の楽譜を買い、ついでに買い物をして帰ろうと、繫華街をうろうろしていた。
日曜の街は人が沢山いて、何となく安心できた。
郊外にある音大と隣接する学生マンションは、周辺に住宅が少なく、思う存分練習ができる恵まれた環境だが、買い物などはこうしてわざわざ街に出ないといけないのが少々不便だ。
佐川は人の多さを満喫しながら、ふとアンティークなレイアウトのショウウィンドウが目についた。
ドールハウスを扱っているのだろうか、手の込んだミニチュアハウスに、楽器を持った動物達がオーケストラを構成している。
掌に乗るほどの小さい動物の人形達はそれぞれ精巧な造りの楽器を手にしていて、佐川は感心しながらショウウィンドウを覗き込んでいた。
――あ、フルートもいる。
カエルがフルートを構えているのを見つけた時、佐川の目に例の人形の姿が飛び込んできた。
動物達はドールハウスの前で並んでいるので、ドールハウスまでは意識していなかったが、後列にいるフルートはドールハウスのすぐ目の前だ。カエルを見ると必然的にドールハウスの窓が視界に入る。
その窓の中から、篠川教授の自宅で見た、いつも夢に出てくるあの人形が佐川を覗き見ていたのだ。
佐川はショウウィンドウから飛び退くと、後ろを振り向くことなく駅へと走り出した。
見間違いなんかじゃない。あれは――あいつだ。
地下鉄に飛び乗り、壁際に立つと窓には一切視線を向けず、駅に着くまでずっと壁を見つめていた。目を閉じると人形の姿が浮かぶのだ。
電車を降りると、カバンから財布を取り出そうと、カバンに手を入れた。
カバンの中には財布とさっき買った楽譜しか入っていないはずだ。なのになぜ、佐川の手に布地の柔らかい感触があるのだろう。
そこからの記憶はなかった。
どうやって帰ったのかもわからないが、気が付くと家にいた。しかし、家から出ようとすると、人形がいるのだ。
玄関を開けると足元にいる。振り切ってもエレベーターで先回りしている。
まるで佐川を家に閉じ込めるように。
佐川の話を聞いて、山科は何も言えなかった。
そんな馬鹿な話があるわけがない。きっと佐川は試験のストレスでやられている時に、偶然街で似た人形を見つけてノイローゼになってしまったんだ。
「あまり思いつめるなよ」
当たり障りのない会話をして、帰り際に山科が言うと、佐川は頷いたのだろうか。覚えていなかった。
山科がマンションを出るのと同時に、5階にある佐川の部屋から佐川が目の前に落ちてきたからだ。




