20.使役
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熊野の山中で、亨は陣を描き獲物を待った。
目の前には手のひらほどの大きさの、赤い漆で塗られた鞘に収まった小刀と、清酒が入った徳利と猪口が三つ並んでいる。
新月の山の中は闇よりも暗い。獣の息遣いや虫の羽音まで聞こえるようだ。
秋も深まり気温は冬に近い。薄い着物を一枚着ただけの亨は陣の真ん中で体温が奪われていくのを感じていた。
特殊捜査課に配属されて、すぐに連れてこられたこの場所で、亨は体術と陰陽の術を教え込まれた。
非現実的な事なのに、なぜか亨にはそれが現実的な事なのだと思えた。
亨が見たモノは付喪神だと東雲は言っていた。禍々しくおぞましい姿は亨にしか見えていなかった。しかし、奴は亨を見ていた。
無数の感情のない作り物のような目が、亨を見た途端まるで意思を持ったかのように、怪しく光った。
喰われる。
そう思ったのは致し方なかったのだろう。亨を見つめるその無数の目は、明らかに亨に対して殺意を抱いていた。
幾つもの目に睨まれた亨は、本能的に命の危険を察知し、腰の拳銃に手をかけた。
訓練以外で握ったことはなかったが、咄嗟に引き金を引くと、弾は正確に料理人の喉を貫いた。即死だったと聞いた。
亨は罪には問われなかった。
なぜか居合わせた同僚が「犯人は棚橋巡査に向かって刃物を振り上げて襲い掛かった」と証言したのだ。
生真面目な亨が鬱陶しいと、決して仲のいい同僚ではなかった。
むしろ、亨が異動になるか辞めるよう、いつも声に出して嫌がらせをしてきたような奴だ。そんな彼が亨を庇うような事を言うだろうか。
全てが非現実的に思えた。
しかし、全ては現実に起きていた。こうやって陣を敷いてる今も、目の前に現れた鬼神も、全て現実なのだ。
初めて見る鬼神は、天狗のようにも見えた。姿はぼやけて正確には掴めないが、強い霊圧は感じられた。
神というには神々しさは無く、かと言って付喪神のような禍々しさは感じない。
しかし、亨が気を抜くとすぐにでも命を奪われる殺気だけは全身で感じられる。毛穴という毛穴から汗が一度に噴出した。
落ち着け――亨は心の中で自分に言い聞かせると、着物の懐から人形の紙を取り出すと、目の前に置いた小刀を持ち上げ、赤い鞘を引き抜いた。そして手のひらに押し当てると、皮膚が割れて血が人形に滴り落ちた。
「天霊霊地霊霊――我が元に来越し給え」
亨は人形の紙を鬼神に掲げ、「ひふみよいむなや――」と祓詞を唱えた。
「布留部 由良由良止 布留部――」
祓詞を唱え終えると、鬼神は吸い込まれるように人形に姿を移した。
――成功した?
式神を使役する事が、この修行の最後の課題だった。
この山にいる自然霊――鬼神と呼ばれる霊を使役すれば修行は終わり、漸く自宅に戻って人間らしい生活を送る事ができるのだ。そして、今まさにその課題を完了する事が出来た。
――帰れる。
亨は人形を懐に仕舞うと、傍に置いていた懐中電灯を手に取り、暗い山道を宿所へと戻って行った。
「その時の人形が実は2枚重なってまして」
居酒屋でビールの入ったジョッキをあおりながら亨が言うのを、如月は唖然とした表情で聞いていた。
霊力のない如月は修行などしたことがないし、もう一人いた同僚は警察官になる前に既に修行を終えていた。
つまり、心霊班が出来てから熊野で修行をしたのは、如月が知る限りでは亨が初めてだった。
聞けば聞くほど修行というのは壮絶で、警察学校の訓練なんか子供の遊びなんじゃないかと思えるほどだった。
「そのもう一枚がミケさんだったって言うのかよ」
如月は酎ハイの入ったグラスを手にしながら溜息交じりに答えた。
「どうもあそこにいたってより、僕に憑いてたみたいでして。気が付いたら使役してたみたいです」
亨が事も無げに言うと、如月は頭を抱えた。
「憑いてたみたいですねって……式神になったとしても普通は実体化なんかしねーんだよ。なんで受け入れてんだよ」
「だって可愛いじゃないですか」
亨が答えると如月は頭を抱えたまま大きな溜息をついた。――こいつも無自覚ぶっ壊れ系かよ。
ぶっ壊れと言えば――如月は頭を上げて御門を探した。
亨と飲みたいからと連れ出そうとしたら「俺も行く」と言って無理矢理ついてきたくせに、さっきから姿が見えない。
「御門さんならさっき、美味しそうな女がいるって言って、向こうの個室に行ったきり帰ってきませんよ」
亨は空になったジョッキを置くと、タバコに火をつけた。
どうやら日本酒を注文したらしく、注文用のタブレットには熱燗2合と履歴が表示されている。
まったく、こいつはこんなにかわいい顔して酒豪だし、タバコは吸うし、ギャップ萌えでも狙ってんのか?
如月は360度平凡な自分の顔を恨みながら、亨の顔を見た。
心霊班に配属された当初は、学生かと思う程可愛らしい顔をしていたが、修行を終えて戻って来たら、どこか精悍さ漂う表情になった。
だがそれでも男から見ると可愛い顔だが、女が見ると十分に男前な顔なのだろう。
目が丸く大きいため、年より若く見えるが、すっきりとした頬のラインや、筋の通った鼻は形がよく、イケメンと言うよりはアイドル系と言ったところか。その証拠に周りの席の女たちがずっとチラチラと視線を送っている。
「俺もモテてぇ……」
再び頭を抱えて如月が呻くように言うと、店員が持ってきた熱燗を受け取った亨が「僕は如月先輩は男らしくてかっこいいと思いすよ」と、言って微笑んだ。
「そんなかわいい顔してキュンってする事言うなよ!俺は男じゃなくて女が好きなんだ。惑わせんな」
「でも女にも相手されてないじゃん」
唇に口紅を薄っすらとつけた御門が、亨の隣に座りに戻ってきた。
日本酒に目をつけると、2つあった猪口を一つ取り、手酌で酒を注いで一口で飲み干した。
「お前公務員なめんなよ。安定職だぞ。合コン行ったら引く手あまただわ――ただ続かないだけだ」
この仕事に就いてからは東雲のせいで全国を飛び回る為、恋人ができても不在やドタキャン続きで振られつづけた結果36歳独身男性、趣味は自宅で映画鑑賞という寂しい男ができてしまったと恨めし気に言う如月に、亨は「俺だって彼女とかいませんし」と、呟いた。
「とーるちゃんは俺のモノでしょ。酔って『僕』が『俺』になってるとーるちゃんも可愛いよ」
隣から腕が伸びて亨の体を引き寄せる。亨の猪口から日本酒がこぼれた。
「気持ち悪い事言うな!大体あんたさっきまで女といちゃついて来たんだろうが」
「うん。美味しかったよ。でもとーるちゃんの方が絶対美味しいって」
二人のやり取りを見ながら、如月は「なんかお前ら見てると男同士でもいいかなって気になってくるわ」と言うと、空になった酎ハイのグラスに日本酒を注いで、ちびちびと飲み始めた。
酔っ払い達は閉店まで飲み続け、翌朝の二日酔いと共に、如月はミケさんの実体化について詳細を聞き逃した事に気が付いたのだった。
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