第11話 「アテナイの民主制」
アルキビアデスの演説は続き、進むにつれて、どんどんと熱を帯びていった。
「それにさ。ぼくが開いてきた連日の宴会のことだって、無駄づかいだ、なんて文句を言う人たちがいるけど、失礼ながら、その人たちは、外交ってものをあまりよくご存じないみたいだ。
ぼくは、その宴会で、国内の親しい友人たちだけじゃなく、外国からの賓客たちを大勢もてなしてきたんだよ! もしも、その宴席が、みすぼらしいものであってみたまえ。彼らは故郷に帰って、粗末なもてなししかなかった、アテナイはすっかり落ち目だ、金がないんだ、と言いふらすに決まってる。
でも、逆に、贅を尽くした宴であればどうかな? 彼らはあっと驚き、アテナイの富と国力を実感して、それを故郷へ戻って吹聴してくれるってわけさ。これこそが外交、武力によらない外交なんだ。分かってくれるかな?
……どうやら、分かってもらえたみたいだね。それじゃあ、ここからは、もうひとつの外交の話をはじめようじゃないか。――武力による外交の話を!」
わあっと観衆が沸いた。
アルキビアデスは白い岩の上を歩き回りながら、なおも熱狂的に語り続けた。
消極策を取り続けることは、安全であるように見えて、実は国家そのものがじりじりと沈没してゆくことに他ならない。
危険を恐れず、大胆にうって出るからこそ、周辺国や同盟国はアテナイに一目置くようになる。我々の父祖は、そうやって今の立場を築いてきたのだ。
遠征先であるシケリアは、決して一枚岩ではなく、アテナイ側が有利とみればこちらに加勢するであろう勢力も多い。だからこそ、何をおいても最初の一戦で勝利をおさめることが肝心であり、そのためにじゅうぶんな戦力を差し向けることが必要だ――
アルキビアデスが腕を広げ、左右に顔を振り向けて聴衆に訴えかけるたびに、金色の巻き毛の先から汗のしずくが飛び、その両目はきらきらと光って、まるで輝かしいアテナイの未来を映しているかのようだった。
アルキビアデスはまた、今は亡き彼の後見人であり、偉大な指導者であったペリクレスの、みなの記憶に残る演説――『アテナイは支配することをやめれば、支配されてしまう』――を思い起こさせ、だからこそ、何もせずにいることなどできないのだと語りかけた。
「この遠征を、若者の向こう見ずな暴走だなんていう人たちもいる。でも、そういった、若者たちと老人たちとを分断しようとする試みに、諸君は、のせられてはいけない!
若者たちの力と、老人たちの知恵を合わせて、勝利をめざすんだ。誇り高きアテナイ人は、みな団結し、一丸となって戦わなくてはならない! ……ぼくたちアテナイ人が、大国ペルシアと戦い、退けた、あの大戦争のときのように!」
アルキビアデスが拳を振り上げて語り終えると、聴衆はいっせいに立ち上がり、熱狂的にアルキビアデスを讃えた。
「ただいまでーす」
「おう!?」
集まった人々の一番後ろで眉をひそめ、ぶつぶつ言いながらアルキビアデスの演説に耳を傾けていたソクラテスは、目の前の群衆のあいだからのっそり出てきたファルマキアにぎょっとして飛び上がった。
「君、ぼくの後ろにいるとばかり思っていたのに……いったい、どこからどう行って、そんなところから出てきたのかね? まさか、隙を見てアルキビアデスをアレしようと――」
「いやあ、それはさすがに! いくら何でも、人目が多すぎますよ。ここでアレしたんじゃ、関係ない目撃者の皆さんまで全員アレしなきゃならなくなるんで」
「理由が……まあ、それは、確かにそうだが。ううむ。それなら、人々のなかに入りこんで、いったい何をしていたのかね?」
「いやー、ちょっと興味あったんで、みんながアルキビアデスの演説に夢中になってるあいだに、民会の様子を偵察してきました!」
「そういうことか。気付かなかったな。それで、偵察の成果は?」
「あー」
ファルマキアは腕を振り、プニュクスの丘の斜面の真ん中あたりを示した。
「少なくとも、あのへんと……あのへん! アルキビアデスが雇った偽客たちがもぐり込んでる感じですねー。演説がいいところへ来るたびに『言われてみれば、そのとおりだ!』とか、『なかなか説得力がある!』とか、やたらでっかい声で言うから、ちょっとオモシロかったです」
「中央あたりに? ……なるほど」
「何が、なるほどです?」
「今回の遠征の賛成派は、だいたい、丘の斜面の、あちらがわに集まっている。そして、向こうがわが反対派。きみが今言った、中央のあたりには、どっちとも決めかねている、いわば『浮動派』が多く集まっているんだ」
「あー」
ファルマキアは大きくうなずいた。
「なるほど。サクラを使って場の『空気』を作って、浮動票を自分のほうへ集めようって作戦ですね。とにかく、この場の賛成多数さえ取ればいいわけだから、反対派を寝返らせるよりは、浮動票を取り込んだほうが、話が早いと」
「そういうことだ。だが、みずからの言論の内容のみで勝負をせず、サクラを使うなんて、卑怯な手だよ。彼がそんな手段をとるとは残念だ」
「まあ、政治がそういう仕組みで動いてる以上は、多数派をとるために、いろいろやるやつも出てくるでしょ。民主制ってのは、要するに『多いもん勝ち』ってことですからねー」
「君は――」
ソクラテスは思わずといった調子で声を高くしかけ、慌ててふたたび声をひそめた。
「君は、このアテナイの、民主制というあり方を否定するのかね?」
「あり方を否定するもしないも、その民主制に女子入ってないんですけど」
「……おおう」
「ていうか、そもそもこっちはアテナイ生まれじゃないから、男女関係なくアテナイの参政権ない説!
ま、それはともかく、アルキビアデスって、ほんとに演説がうまいんですね! つまり、仕込みも込みで、ほんとに見事に『空気』を作ってくる。ボーッとしてたら、一も二もなく『そのとおり!』って言いたくなっちゃいますね!
『ぼくたちアテナイ人が大国ペルシアと戦い、退けた、あの大戦争』だって! サラミスの海戦のときの思い出かな? 『そのときおまえまだ生まれてないからッ』て、ツッコミたくなっちゃいましたよ!」
笑っているファルマキアを、ソクラテスは複雑な表情で見つめた。
二人が話しているあいだにも、ニキアスの必死の反論むなしく、シケリア遠征の実行は熱狂のうちに決議され、それにともない三段櫂船を100隻、重装歩兵を5000人以上、加えて弓兵、投石兵、そのほか必要な戦力を動員することが決められていった。
「アテナイの皆が、君のように、批判的に聴く能力を身につけていれば……」
「わたしはよそものだから冷めた目で見てられるだけ、かもです。
だって、ここにいるアテナイ市民の皆さんの中には、今決まった動員で、重装歩兵になる人たちがたくさんいるんでしょ? ってことは、戦争が始まれば、お給料がもらえるってことですもんねー! そこへあんな景気のいい話をされたら、乗りたくなるのもわかる。
その『景気のいい話』が、ホントかウソかが問題ですけどねー。あと『景気の悪いほうの話』は伏せられてませんか? 大丈夫ですかー? っていう。
ま、いずれにせよ、自分らで選んだ道なら、後からどうなっても、自分らで何とかするしかないですけどね……」
「この場にいる全員が、遠征が正しいことだと考えているのではない。そうでない人だっているのだ。ただ、もはや、反対することが許されない空気が生まれてしまっている……」
「それが、アルキビアデスの力ってわけですね。……でも『多いもの勝ち』ですよ、ソクラテスさん。空気のせいだろうと、内心では文句があろうと、みんなでそう決めたからには、従うしかない。……それか……」
ねずみを見つめる猫のような目でアルキビアデスの姿を追いながらつぶやいたファルマキアの肩に、ソクラテスが大きな手を置いた。
「いや、こうなってしまった今も、あらゆる機会が失われたというわけではない。まだ、逆転の目はある。ぼくは、まだ、言論の力を信じていたいのだ」
「分かってます。ソクラテスさんが、アルキビアデスときっちり話をするまで、アレするかどうかの判断は控えますから。……あ、帰りはじめた。さあさあ、行きましょう、ソクラテスさん!」
「ああ」