第1話 「最終面接」
遠い昔、ギリシャのデルフォイという土地に、名高い神託所があった。
開戦、休戦、植民団の派遣……
政治的に重大な局面にたったとき、あらゆる都市国家はかならず神託所に使者をおくり、予言の神アポロンの神託をもとめた。
アポロンの神託は、決して外れることがないからだ。
そんな神託所の中枢、壮麗なるアポロン大神殿。
ではなく、聖域からすこし離れてひっそりと建つ、ひとけのない建物のなかで――
「君が、今度からうちで働きたいという人ですね?」
黒髪の男の問いに、金髪の少女は、にこにこしながら答えた。
「はーい! よろしくでーす。わあ、おにいさん、すっごい糸目」
「失礼だな。いきなり失礼だな君は」
そんな言葉が耳にはいった様子もなく、金髪の少女はオリーブの葉を思わせる濃い緑の目を見開いて、男の全身を上から下まで眺めまわした。
「うーん、肩からすっぽりはおった上衣も、肩を留めるピンも、ごくふつうの品物。黒い長髪、体型はやや大柄、顔立ちはふつうで特徴は糸目。わりとどこにでもいそうな、本当にふつうのおにいさんでーす」
「誰に言ってるんです? しかも、三度もふつうと」
「すいませーん。えっと、おにいさんは、えらい人ですか?」
「神官長のニカンドロスです」
「おおう。めちゃくちゃえらい人だった。そんな人に三回もふつうと言ってしまったこのわたし、ファルマキアちゃんの運命やいかに!?」
「なぜ今ここで名前を? よくもまあ、そんな調子で、今までの試験を通過できましたね」
「やる気ならだれにも負けません! やる気があれば、なんでもできるッ」
「心なしか聞いたことがあるような名言……というか、大丈夫なのかそれは」
両方のこぶしを固め、元気いっぱいのポーズで叫んだ少女に、男は頭痛でもするかのように肩に手を当てて、ゆっくりと首を回し――
「まあいいでしょう。それでは……最終面接を、始めます!」
その言葉と同時、ニカンドロスの上衣がバッと宙を舞い、一瞬にしてファルマキアの視界を奪った。
ボッ!!
光の速度で繰り出された男の拳がまっすぐに上衣を貫き、もがくファルマキアの顔面を――
「シッッッ!!!」
砕くことはなかった。
その一瞬でニカンドロスの頭よりも高く跳躍していたファルマキアが、すさまじい空中回し蹴りを繰り出し、
「フンッッッ!!!」
神殿を支える石柱さえも蹴り砕きそうなその一撃を、ニカンドロスが片腕で受け止める。
いまや肌着一枚の姿となり、戦神アレスの像のごとく盛りあがった筋肉をあらわにしていたニカンドロスは、
「ヌッ!?」
みしりと肉のきしむ音に、小さく顔をゆがませた。
「クッハハハァ! もう一発ッ、よろしくでーす!」
高笑いとともに再び跳躍したファルマキアの、突き刺すような飛び蹴りが彼の腹に決まり――
「ウッ!?」
岩そのものに蹴り込んだかのごとき衝撃に、今度はファルマキアの顔が大きくゆがむ。
「ふ……かゆい、かゆい」
ニカンドロスが含み笑い、英雄の盾のごとき腹筋をうごめかせる。
その手が、蹴り込んできたファルマキアの足首を、がっちりと捕えている。
「以上で、面接を終わりますッ! お疲れ様でしたァァァッ!!!」
大渦のごとく破壊的な回転力が少女の足首に加わり、その関節を粉々に――
「ありがとうございましたァァァッ!!!」
破壊することはなかった!
ニカンドロスがファルマキアの足首をひねり上げる、その速度、角度を完全に模倣!
少女の体は錐のごとく回転し、捕らえられた足の親指の爪――角を鋭く削り出し、固めてあった爪の先端を、ニカンドロスの腹筋にもぐり込ませる!
「ヌウウウッ!?」
「クハハハハーッ! これでほんとに面接終了となりまーす! ありがとうございましたー……って、あれ?」
「ふふ」
足先を血塗れにして、かくんと首をかしげたファルマキアに、腹を血塗れにしたニカンドロスが、にやりと笑う。
「なぜ倒れないのか、という顔をしていますね? 足の爪に、即効性のある毒薬を仕込んでおいたのに、と」
「わあ、ばれてた。ていうか、ほんとにどうして倒れないんです?」
「君と同じですよ。長い時間をかけ、少しずつ毒を取り入れることで、毒の効かない体を手に入れたんです」
「うわ。おにいさん、ガチ勢じゃないですか」
「おにいさんではない。神官長と呼びなさい。……おめでとう。合格です。君は今日から、我ら神託情報機関Εの一員だ」
「え? いや、わたし、アポロン神殿の掃除とかする係で、三食昼寝付きって聞いたから応募したんですけど。情報機関?」
「ふふ、冗談を。『掃除』といえば、神託所にとって都合が悪いものをアレすることに決まっているでしょう……」
「マジですか。……え。おにいさん、ガチのマジで言ってます?」
「いや、マジというか……神殿の掃除係の選考に、ここまで度重なる面接や罠の通路の突破試験、水中迷宮からの脱出、神官たちとの模擬戦闘、最終面接で神官長との直接対決があるわけないでしょう!? これまでの試験、いったいどういう気持ちで受けてきたんですか、君は?」
「いや、神殿の掃除係(※三食昼寝付き)って、すっごい人気のお仕事で競争率高いんだなーって……。神託情報機関Ε? これは大変なことになってきました。ファルマキアちゃんの運命やいかに」
「誰に言ってるんです? しかもちょっと棒読みだし。あと、三食昼寝付きは募集要項に入ってなかったですよね? 単なる君の願望ですよね?」
「マジかー……ま、いいや! とにかく、今日からファルマキアちゃんをよろしくでーす!」
「軽いな。どこまでも軽いな君は」