コインランドリー
「え、これ……どうやって、使うんだろ」
私は今、非常に、困っている。
自宅マンションで、上階に住む人が水道管を破裂させたらしい。破裂ってなんだ。何をしたら破裂するんだ。私の地元の北海道ならいざ知らずーーここ関東だぞ。しかもマンション。しかも春。なんでだ。
仕事を終えて帰宅したら、部屋が水浸しになっていた。神経質な上司のサポートに入って、やっとプロジェクトを終えた、月末の金曜日の夜に、だ。
諸々手続きを終えて、貴重品や無事だったわずかな着替えを詰めて、ホテルに避難する。
保険はおりるみたいだけど……パソコンの中身とか、録画してたドラマとか。ビーズクッションも処分だろう。どの程度補償されるのか、分からない。何日ホテルで暮らせば良いのかも。
普段は自炊だけど、この間は外食することになる。このお金は貰えるのか? 一応領収書貰っておこう。
着替えも沢山あるわけじゃないから、ホテルに程近いコインランドリーで洗濯することにする。
ーーで、だ。
使い方が分からない。
なにしろ、マイ洗濯機がない暮らしをしたことがないから、コインランドリーに用があったことも、ない。
自動販売機の知識で言うと、お金の投入が先か。いや、最近の電子マネー式のやつだと、ボタン押すのが先か。
洗剤は? 勝手にやってくれるのか? 難しすぎる。そもそも私は、機械の操作が苦手なのだ。取説を最初に熟読させてくれないと、困る。
ホテルの中にも洗濯コーナーはあった。私にも使えそうな縦型だ。
が、薄暗いそこはなんだか治安が悪かった。
この洗濯機に入れた洗濯物が本当に綺麗になったといえるのか、自信が持てなかった。
それに比べて、最近のコインランドリーは小綺麗だ。観葉植物が並べられ、木目調のインテリアに、カフェ的な空間も併設されている。
清潔感があるし、通りすがりに観察すると、女性客も普通にいた。ここならいける、と思った。
「んで、どうしたら……」
誰か、見本になるような、他のお客さんは来ないだろうか。とりあえずカフェ的空間に陣取り、待機してみることにする。
すると間もなく、北欧系インテリア雑貨店のランドリーバッグを抱えた、私と同年代の青年がやって来た。ちらりと目が合ったので、アルカイックスマイルを浮かべておく。身体にフィットしたタイトなデニムに、グレーのTシャツはドロップショルダー。派手目なハイカットスニーカーが良いポイントになっている、中々の好青年風だ。
視線が刺さりすぎない程度に観察していると、彼はモニターのついた機械のようなものの前で何やら操作を始めた。なるほど、まずはあそこで手続きするのね。
その後、洗濯槽の扉を開けて、ランドリーバッグの中身をひっくり返した。ほう、ワイルドだ。洗剤を入れている様子はない。自動でやってくれそうだ。
ぱたりと扉を閉め、振り返った青年とばっちりーー目があった。
「そんなに熱い視線で見られると、照れるよ」
「あ……ごめん」
「で、何? 逆ナン?」
「いや……コインランドリー初めてで、洗濯の仕方、分かんなくて。誰か来ないかなーって」
「ふは! それで見てたの? いいよ。教えてあげる」
爽やか好青年は、中身もなかなかに良い男のようだ。
観察によって大体分かってはいたが、改めて操作を教わり、無事洗い始めることが出来た。コインランドリーに来て、洗濯を始める前に、コーヒーを2杯も飲んでいた。
「で、なんでコインランドリーデビューしようと思ったの?」
「マンション水漏れで、今ホテルに避難してて。着替えがないから洗おうかなって」
「え……水漏れ……」
「あ、経験ある? あれって保険でどこまでおりるのかなぁ……今のホテル代とか、食事代も出ると思う? さすがにそれは無理だよねえ……パソコンも買い替えなきゃだし。ソファも気に入ってたけど、もう同じのないだろうなあ」
「……君の家、あそこの角のマンションだったり……する?」
「えっ、そう……だけど。なんで知ってるの……えっ、やだ、ストーカー?」
「いや! 違う! けど……」
はあ、と大きく息をつき、ごめん! と頭を下げる青年。戸惑う私に、続けた言葉は。
「水漏れ……俺のせいだ」
破裂は、経年劣化だったらしい。凍らなくても破裂するんだな。知らなかった。
それなら責任はないのでは? と思ったら、前々から取り替え工事の連絡が来ていたらしい。ただ、そのために水回りを片付けて、立ち会うのが面倒で無視していたとのこと。それは……君のせいだな。
曰く、仕事が忙しくて、掃除をしている暇がなかったと。聞いた勤め先は、超大手家電メーカーだった。やるな……。
「保険で賄えなかった分は、俺が直接払うから。ご飯代もーーそのかわり、一緒に食べよ?」
「忙しくて、家に帰る暇もない程なんじゃなかったの?」
「君と食事できるなら、全力で終わらせる」
「なにそれ……まあ、いいけど。なんでも良いなら私、今日は中華行きたい! そんで明日は、焼き鳥ね!」
「遠慮ないなーーそういうとこ、良い! よし、中華行こう!」
ちょうど終わった洗濯物を回収し、連絡先を交換して一旦解散しようーーと、思ったら。
「ホテルも一緒だったか……」
「まあ、うちから一番近いもんね」
荷物を置いたら、連れ立って食事へ向かう。彼が仕事面では非常に優秀なことも。反面、私生活ではとんでもなくだらしないことも判明した。
あのマンションには、私が越してくる1年前から住んでいたらしい。私は女の1人暮らしなので引っ越しの挨拶には行かなかったが、彼は私のことを知っていたらしい。
「スーツ姿じゃないから、わからなかった」
そういえば仕事の時は髪の毛もきっちり結ってしまうし、コンタクトレンズに替えている。
我に返ってみれば、今の私はなかなかの部屋着感ーーもとい、リラックスモードーーなのではないか。
大企業勤務の、好青年を前にして、何たる不覚……。
それからの10日間、私たちは毎日食事を共にした。ホテルでの朝食と、仕事後の夕食と。話せば話すほど彼とは気が合うなと感じたし、会話は弾み、なにより人の金で食う食事は美味しかった。
出会ったーー正式に認識したとも言うーー時から部屋着のようなものだったし、メイク前の朝食時から顔を見せているからか、妙な気張りもない。カトラリーがぶつかり合うかちゃ、かちゃ、という小さな音と、レストランに流れるゆったりとしたクラシック、ただそれだけでも気まずさを感じることはなかった。
「管理会社から連絡きたか? 明後日から部屋に戻れるって」
「ああ、きたきた。やっとだね。どんなことになってるんだろー」
「だな。まあ俺の部屋はそもそも酷い状態だったから、惨状はそう変わらないだろうけどさ」
「はは、ほんとに、そんなに酷いの? 逆に一回見てみたいんですけど」
「いいよいいよ、おいで。君が来てくれるなら、寝室だけは片付けておくから」
「やだぁー変態ーおそわれるぅー」
けらけらと笑いながら食べる食事は、美味しい。思い返してみると、家を出てひとり暮らしを始めてから、こうして他人と食事をする機会はそうなかった。会社の飲み会は気を遣ってぐったりするし、友人たちはそろそろ結婚、出産ラッシュだ。なかなか会える機会もない。そういえば面倒くさがって実家にもしばらく帰っていなかった。帰ったとて、そちらはそちらで仕事があるから、上げ膳据え膳で歓迎されるわけでもなかったし。
こうして人と食べることに慣れてしまって、また1人の食事に戻ったら。きっと、私はーー
「ーー寂しいかも」
「ん? どした?」
「ーー部屋に戻ったら、もうこうやって一緒にご飯食べることもなくなるのかなって」
「あー、なるほど」
「ーーいや、あなたには、余計な出費させちゃってるのは分かってるんだけど!」
「余計だなんて全く思ってないし……それに、別に会えるよね? 普通に」
「え、これからも一緒に食べてくれるの?」
「もちろん、君が良いなら」
「やった! 私、もう1人には戻れない身体になっちゃったかも!」
「……あざとくないか? これで自覚なし……怖いな。ーーうん、よし。家に帰ったら、全力で攻める」
自宅に帰って、片付けをする。テレビが壊れていたので、ありがたく買い替えさせて貰おう!! と、最新機種の機能やなんかを彼に相談してみることにした。
「あ、それなら俺の部屋にめちゃめちゃいいプロジェクターあるから、それまず試してみなよ」
そういえば以前から効きが悪かったなと、エアコンクリーニングの話をしてみればーー
「あ、だったら日中うちで過ごしててもいいよ? つけっぱなしの方が節電になるタイプだから、せっかくならそれ活用した方がエコでしょ」
どうせ部屋にあげてもらって待つなら……と、彼が仕事の間に部屋の掃除をする。本当に片付けは苦手なようだ。ゴミなんかはまとまっているし、不衛生ではなかったのが不幸中の幸いだ。
毎日外食していたので、少しあっさりした家庭料理が食べたい。もともと料理はわりと好きなのだ。当然のように、彼の部屋に調理器具はなかったので、自分の部屋から鍋やらなにやらを運んでくることにした。
「手羽元〜の〜あっさり煮〜〜! そして〜こまつな〜ルルルル〜」
ご機嫌で胡麻和えを作りながら、華麗にターンを決めたら、後ろに彼が立っていた。
「ぷ……く…………っは! ははははっ! ひーっ! はぁー最高! めっちゃ良い歌! 一生聴きたい!」
「やだぁ……もう……穴に入りたい……上から土で埋めて……」
「可愛かったよ、ほんと。あー、最高。幸せ。2人で幸せな人生終えた後に、同じ墓に入ったら、上から土で埋めて貰おうな」
「ーーえっ?」
「だから、もう、一緒に住もう? ていうかもう、一緒に住んでるよな? 君の部屋、ほとんど帰ってないだろ」
「あ……まあ……確かに、そうかも。ん…………じゃ、いっか!! そうしよ!!」
「ははは! 君のそういうとこ、ホントに良いな!」
「うーん……これ、どうやって使うんだろ」
新しい洗濯機の使い方が分からない。無駄にスッキリしたデザインで画面みたいなものがあるが、ボタンもない。スタートとストップ、くらいなら、私にもわかるのに……スマホ連携がどうとかこうとか言われたが、私はとにかく取説を熟読したいのだ。
「どうした?」
「あ、これ、全然わかんなくて」
「ふは、相変わらずだな。良いよ、君の苦手な機械の操作は、全部俺がやる。その代わりーーあっち、良い?」
指された後ろの部屋をちらりと見ると、そこは惨状。書類は机からこぼれて床まで散らばり、似たようなペンが何本も転がって。開けっぱなしのカバンから、パソコンのコードがにょろりとはみ出し、山積みにされた本は今にも崩れ落ちそうだ。
「ふふ、あなただって相変わらずじゃない。洗濯と、アレの片付けじゃ不公平だわ! 今日はーーイタリアンに連れて行って!!」
「はは! いいよ! 俺は本当に君のそういうところが、大好きだからな!」