奥の手
「……そこまで全てを見抜かれていては、仕方ありませんね。ええ、確かに殿下の仰るとおり、全ては私の謀略に他なりません。私は殿下との婚約を回避するべく、これまでそのような愚行に手を染めて参りました。ここで潔く、何もかもを認めさせていただきます」
私はそう観念する様子を見せた後で、その場で淑やかに頭を垂れる。
「国家と殿下に対するこれほどの不敬と非礼――いえ、もはや反逆と捉えられても弁解の余地はございませんね。断じて赦されるものではないでしょう。ましてや、そんな不届き者が殿下と婚姻を結ぼうなどとは言語道断。とても、そんな資格を有せる立場ではございません」
私は「なので」と続け、
「こうなってはもはやこの婚約、白紙に戻す以外ないものと存じます。ええ、誠に残念なことではございますが致し方ありません。そして、私はこの身を以て今まで犯してきたその罪を贖わせていただきたく存じます。かくなる上は、そうするより他に道はないものと覚悟しております」
可能な限りしおらしく見えるよう装いつつ、私は自ら殿下へそう申し出た。
そうだ、全てが明るみになった今、八方丸く収めるにはこうするしかあるまい。
いや、実に残念だ。まさかどう転んでもこの婚約が成り立たないものであったとは。
だが、それでも――。
「ほう……その身を以て俺への不敬と非礼を償うと申すか。故に婚約は破談とならざるをえない、と。確かに、それもまた道理ではあるな。しかし、償うといっても具体的にはどうするつもりだ? 何を以て贖罪とする?」
「はい……慣例から言えば、このまま修道院にでも入り、神に祈りを捧げながら静かに一生を終えるべきでしょう。それを受け入れる決心も、とうに固まっております」
そう、この結末では目的の全てを達成できるわけではない。
修道院に入ってしまえば三食昼寝付きのぐうたら生活など夢のまた夢。神に仕えて勤労に励み、慎ましやかに生きなければならないだろう。
婚約は回避できたものの、夢は叶わなかった。つまり、双方痛み分けということになる。
しかし、最後にこの冷血皇子へ一矢は報えたものとして納得するしかあるまい。
「――嘘だな」
だというのに、何故この人はまだ追撃の手を緩めようとしないのか。
「貴様、よくもまあそこまで臆面もなく虚言を申せるものだ。凄まじい面の皮としか言いようがないな」
殿下はまさしく呆れ果てているような声で告げてくる。
「貴様がかなり以前から子飼いの商人を通じて個人的な資産を運用し、私腹を肥やしていることは調べがついている。おまけに、方々に築いた伝手を駆使して国外への逃亡ルートを確保していることもな。大人しく修道院に入ると見せかけて、実のところ貴様はそのままそこそこの資産と共にどこぞへ雲隠れするつもりだったのだろう?」
それを聞いた私は、愕然を通り越して何だかその場でやけっぱちの高笑いでもしたいような気分になってしまう。
オ~ッホッホッホッホ……嘘でしょ!? そこまでバレてんの!?
殿下、あなたエスパーかなんかですか!? 思わずそんな疑いまで飛び出てくるというものだ。
いかん、混乱のあまり思考が支離滅裂になってきている。落ち着け、落ち着くのだ私。
とはいえ、そう簡単に落ち着けるはずがない。
何故なら今まさに殿下が暴露してくださったそれこそは正真正銘、私の最後の奥の手であったからだ。
実家も、家族も、地位も名誉も、あらゆるしがらみの全てを捨てて逃げる。新天地でやり直す。まさしく最後の手段以外のなにものでもないだろう。
しかし、まさかそれすら看破されていたとは。
いや、最悪それを見抜かれていたところまではいい。
だが、あの口振りでは恐らく用意しておいた逃亡手段の全てを先回りで握り潰されている。そう判断すべきだろう。
そうとあっては完全に、もうどこにも逃げ場はない。
これ以上は流石の私もタネ切れだ。今度こそ本当に万策尽き果ててしまった。
いよいよ追い詰められた私は思わず膝を突きそうになる。万事休すか。
……いや、だが、諦めるな。諦めたらそこで試合終了だ。どこかで聞いた格言が私の脳裏に浮かび上がる。
このまま大人しく全てを受け入れて、皇太子妃になってしまっていいのか。
一生のんびりぐうたら過ごすという夢を手放していいのか。
……いいわけがないだろう。
何より、残忍で嗜虐的な笑みを浮かべながら勝ち誇ったようにふんぞり返っている目の前の男――そんないけ好かない相手にむざむざと屈服してなるものか。
最後まで足掻いてみせろ、黒幕として。私はそう己を奮い立たせると、殿下を真っ直ぐ睨みつける。
「……なるほど、まさかそこまで押さえられているとは。私の完敗でございます。お見逸れをいたしました」
素直にそう認めた後で、「しかし」と続け、
「それでもなお、私が殿下に不敬な行いを企てていたことは厳然たる事実。ましてや、そんな女が婚約者などとはとんだ恥曝し。体裁の面からも到底認められるものではないでしょうし、やはりこの婚約は取りやめが妥当となるのでは?」
そうだ。こうなればもはや死なば諸共。
夢は叶わずとも、婚約破棄という当初の目的だけでも果たしてみせる。
たとえ修道院に行く羽目になろうが、生きてさえいればいずれ再起の目も巡ってくるだろう。
しかし、そんな私の覚悟をあざ笑うかのように、殿下は白々しい態度で告げてくる。
「そうだな、それも一つの見方ではあるかもしれぬ。だがな、テレジア――」
いや、というか〝ように〟ではなく、その微笑は完全に嘲りのそれだ。
「客観的に見た場合、貴様の行いのどこにも俺への不敬などは認められないのではないか? 事実だけを抜き出すのであれば、貴様は単に『妹を可愛がり』、『後輩に指導をし』、『父親の仕事を手助けしていた』……単にそれだけでしかないぞ。果たして、それらのどこに非礼が含まれているというのだ?」
むしろ、称えられるべき立派な淑女ぶりではないか。
殿下のその指摘に、私は慌てて反論する。そんな馬鹿な。
「そ、それは詭弁です! 何より、殿下御自身が先ほどからその行動の裏に隠された私の意図を見抜いておられるではありませんか!」
「ああ、確かに俺はそれを見抜いたとも。だが、それが何だ? これらの行動はどれも貴様の不敬を客観的に証明するには証拠能力が不足している。それは覆しようのない事実だ」
策に溺れたな、テレジア。
殿下は冷然とそう告げてくる。
私も歯噛みしつつ、それを認めるしかない。
自覚もあった。ええい、いささか周到に策を練りすぎたか。
ギリギリのところで犯罪にならないように気を配っていたのがこんな形で裏目に出るとは。