プランB
「参れ――」
殿下が再び指を鳴らすと、新たな人物がこの場へ進み出てきた。
「ダリア……!?」
私は驚愕と共にその名を呟く。そんな、どうしてあなたがここに。
「貴様、妹のみならず、このどこぞの男爵家の娘――貴様の後輩まで身代わりに立てようとしていたのだろう。いや、それどころかこの娘を俺にけしかけようとしていたな?」
ぎくぎくり。まさかそっちもバレていたとは。私は背中にだらだらと嫌な汗をかきつつ、目を泳がせまくる。
確かに、それもまた私の暗躍の一つであった。
この国の貴族が通う学園、そこで私はこのダリアを見出した。
男好きのするあどけなく愛らしい容姿。ふんわりとした、どこか癒される雰囲気をまとった美少女。
そんなダリアが一つ下の後輩として入学してきたのを見かけた時、私はこの計画を思いついたのであった。
婚約破棄計画のプランB、『真実の愛を見つけさせよう』。
つまり、この子に殿下を誘惑させ、誑し込ませようとした。
さすれば、他に愛する女性が出来た殿下は私との婚約破棄を申し出てくるだろう。まさに自明の理。
そのために、私は誰にもバレないよう秘密裏にダリアと接触を図った。
そして、彼女を手ずから殿下に相応しい女性となれるように指導し、鍛え上げた。
上流階級の作法に精通し、気品に溢れた、どこに出しても恥ずかしくない一流の淑女へと。
だが、ダリアを選んだ理由はその端麗な容姿ばかりではない。
彼女は学園には入学できたものの、所詮は木っ端貴族の一人娘。己の地位の低さに劣等感を抱き燻っていた。
しかし、その心の内には人一倍熱い想いを秘めていた。
その愛らしい容姿にそぐわぬ、ぎらついた野心を。
己の才覚をフル活用して成り上がろうとする気骨を。
私はそこにもまた光るものを見出していた。
愛くるしい容貌と、秘めたる野心。
その両方を併せ持ったダリアは、まさしく殿下へけしかけるのに理想的な人材であった。
〝絶対に今の立場から這い上がってみせる〟――彼女はその強い決意と根性で、私からの厳しい特訓を耐え抜いてくれた。
そして、見事一人前の淑女へと成長を遂げた。
殿下のハートを射止め、自らの伴侶とせよ。そうして、この国の頂点へと登り詰めるのだ。
私からのその指令も、二つ返事で承諾してくれた。己の野心のために。
そんな彼女はまさしく完璧な刺客。
上手くいけば今頃殿下を籠絡し、メロメロにさせているはず。
……しかし、どうもそんな様子ではまったくなさそうだ。
「ダリア、どうして……」
私は思わずダリアへ問いかけてしまう。驚きのあまり呆然となりながら。
どうしてここにいるのか。殿下を〝真実の愛〟に目覚めさせる任務はどうしたのか。
いや、殿下がそれを見抜いており、彼女をここに呼び寄せた。その時点で作戦が失敗したことは明白だ。
だとしたら、どうして失敗したというのか。
そんな諸々を込めた短い問いかけを、ダリアは正確に読み取ってくれたらしい。
「テレジアさま……」
そう言いながら、潤んだ瞳で私を見つめてくる。
相変わらずなんという可愛さだろうか。あまりの愛らしさに私の胸がきゅんとなりかける。
これほどの正統派ヒロイン力を備えた逸材は他にいない。この娘に言い寄られて心揺さぶられぬ男などいないだろう。
私は自分の目に狂いがなかったことを再度確信する。むしろ、私が男であればたとえ殿下を押し退けてでもお付き合いしたいくらいだ。
だというのに、そんな完璧な愛されヒロインであるあなたが何故しくじったのかしら。ええい、もしや殿下はまさかの男色趣味か?
しかし、失敗の原因はどうやらそうではないらしい。
「ごめんなさい、テレジアさま……私、気づいてしまったんです。あなたの指導を受けて鍛えられる日々の中で、思ってしまったんです……」
私は、あなたみたいになりたいんだって。
ダリアは今にも泣きだしそうな表情ながらも、力強く言葉を続けてくる。
「誰かに取り入って、媚を売って、可愛がられて、引き立ててもらう。そうやって、こんな最低辺の貴族から成り上がってやる……。最初はそう思っていました」
ダリアは「でも」と続けて、
「あなたから一流の淑女の気構えを学んで、悟ったんです。そんな意地汚い真似をして掴んだ成功に誇れるものはないのだと。だから、私は正々堂々とこの国で登り詰めていきたい。あなたに鍛えてもらったこの身体と精神で、一歩ずつでもいい、ゆっくりと。誰に恥じることもない道を自分の足で歩いて、私の憧れ――テレジアさまに並びたいんです」
だから、私には無理でした。ごめんなさい。
ダリアはぽろぽろと大粒の涙を流しながらそう謝ってきた。
ええい、そういうことか。私はぎりっと歯噛みする。
つまり、ダリアは途中で怖じ気づいたらしい。いや、正気に戻ったというべきなのか。
猛る野心の炎に身を任せて突っ走ればいいものを、とんだ見込み違いである。
どうやら私は彼女のことを少々真っ直ぐに育て過ぎたらしい。
その方がよりダリアの魅力を引き出せるかと思ったのだが、失敗した。
もう少し腹黒さの方を伸ばしてやるべきであったわ。
そうなると、これに関してはやはり私の落ち度ということか。
ダリアを責めるのはお門違いだろう。だからこそ、ここまで可愛らしく魅力的な娘になれたのだ。その愛くるしさを捨て去るのは惜しい。
結局、いつの間にか私まで彼女に惑わされてしまった。その時点で計画は破綻するしかなかったのだろう。
私は小さく溜息を吐いた。
それに、ダリアは何やら大きな勘違いもしているらしい。
私のように正々堂々とした、誇れる淑女になりたいですって?
そんなわけあるか! 私はただの怠惰なものぐさ女。
目的のためには手段を選ばず暗躍する、冷酷非道な悪の華よ。〝清く正しく〟だなんて、ヘソで茶が沸くわ。
だから、あなたにはこの場でその真実を教えてあげるわ。可愛いダリア。
こんな事態に備えて、私は自分をそう演じてきたのだもの。
「――あらあら、殿下もお人が悪いですわね。そこまで調べが付いておられるのでしたら、当然学園における私と彼女との関係もご存知のはずでしょう?」
私は出来るだけ冷酷そうな笑顔を作ると、言い放つ。
「私は学園生活において公然と彼女に冷たく当たり、蔑み、非道な振る舞いを働いていたのですよ。ええ、率直に言えば、彼女のことを虐めておりました。だって、気に食わなかったのですもの。彼女のように下賎な下級貴族如きが周囲に愛され、ちやほやと持ち上げられていることが」
ずっと目障りだったのよ、あなたが。
私はダリアを真っ直ぐ睨みながらそう告げる。
「その子に何を吹き込まれたのかは知りませんが、私が彼女を疎ましく思い、虐めていたのは紛れもない事実。そうであるならば、彼女の証言などこの私に脅されて仕方なく吐いた虚偽だと疑えるのでは? 虐めの加害者と虐めの被害者、果たしてどちらの言い分が真実に近いのかは考えるまでもないことでしょう」
私は口の端に冷ややかな笑みを浮かべながら言い切った。
そう、これぞプランBが露見した時のための〝保険〟である。
私はダリアと示し合わせ、これまでの学園生活においてことあるごとに彼女を虐めてきた。さらに、その光景を周囲に目撃させていた。
無論、全ては狂言である。
殿下へ言い寄るにあたり、この事実を存分に活用せよ。ダリアへはそう言い含めて行っていた。殿下の婚約者である私を追い落とす材料として。
そして、万一どちらかがしくじり、事が明るみになった場合。
その時も、この事実を盾にすれば私だけが悪役となれる。
ダリアが何を言おうが全て私がそう無理矢理脅して従わせたことに出来る。
そうして、そんな非道で卑劣な私を殿下は軽蔑し、婚約は無事破談となるであろう。
まさに隙を生じぬ二段構え。どこから突き崩しようもない、完璧な策だ。
だというのに――。
「……ほう。テレジア、貴様は学園においてこのダリアなる後輩を虐めていたと、そう申すのだな?」
「ええ、まさしく。何の申し開きようもない事実でございます。学園のあらゆる生徒がその証人となってくれることでしょう」
「そうか。しかし、それではどうにも辻褄が合わんな」
レーヴェ殿下はますますその嗜虐的な微笑を濃くしながら、こう告げてくる。
「何故ならば、学園の生徒は誰一人として貴様が後輩を虐めていたなどとは認識していないのだから」
「……はぁ?」
思わず間抜けな声で問い返してしまった。冷酷非道な悪女の仮面もぽろっと取れる。
「テレジア、貴様はあまりにも育ちが良すぎるようだな。両親から愛され、兄妹仲も良く、使用人達からも敬われ、何の悪意にさらされることもなく真っ直ぐに育った。羨ましくなるほどの幸せ者だな、貴様は」
それが仇になるというのも皮肉な話だが。
殿下はそう言って、言葉を続ける。
「それ故に、貴様の虐めにはまったくもって〝陰湿さ〟というものが欠けていた。悪意がまるで足りておらぬのだ。貴様の後輩に対する振る舞いには、常にどこか一本芯が通っていた。そこに何かしらの正しさが存在していた。それでは虐めとして成立しようがないではないか」
むしろ、後輩への厳しくも愛のある指導として周囲には受け止められていたようだぞ。
殿下はくっくと愉快そうに笑いながらそう告げてきた。驚愕の真相を。
思わず私はあんぐりと大口を開けて固まってしまう。
そのままぎこちない動きでダリアの方を向く。
すると、彼女は心底申し訳なさそうな顔で私に手を合わせてきた。小さく頭まで下げながら。
「すみません、テレジアさま……! 実は私の方でも薄々そのことには気づいておりました……。でも、どうしても言い出せなくて……」
だって、テレジアさまにそう構ってもらえるのが嬉しくて。
ダリアははにかみながらそんなことまで言ってきた。
一体何を言っているのだこの子は。私はさらに唖然とするしかない。
私に冷たく振る舞われることが嬉しいだなんて、とんだ変態じゃないの。
ええい、しかし、結局それも全て私の落ち度か。
私は悔しさのあまり地団駄を踏みたくなるのを必死でこらえる。
まさかのプランBも完全に破綻。婚約になんの影響も及ぼせなかったとは。
見通しが甘かったか。いや、それでもまだ私には最後の仕込みが――。