決意
幼いある日、私は唐突に自分が勝ち組であることを悟った。
だって、そうではないだろうか?
とある大国の大貴族、公爵家の娘として生を受けた私。
それはもう赤ん坊の頃から何一つ不自由のない生活を送ってきた。
両親から親戚から使用人に至るまで、自分を取り囲むあらゆる人間から蝶よ花よと愛されて育った。
誰も私を害しはしない。傷つけない。叱らない。咎めない。
私が望めば大抵のものは無条件に与えられ、叶えられない願いはなかった。
そんな暮らしをしていれば、そりゃ誰だって気づくだろう。
自分がとんでもなく恵まれた人間であるということに。
なので、それを悟った私は、次に自然と自身の将来に輝かしい〝夢〟を見た。
とある希望を抱いた。
もしかしたならば、私は――。
上手くすれば、このまま一生ぐうたらと遊んで生活できるのでは?
齢が十を越える前から、私は自分の性質を自分自身で正しく把握していた。
つまり、自分がとんでもない〝ものぐさ〟であるということを。
とにかく、私は幼い頃からだらしのない生活を好んでいた。この上なく愛していた。
ごろごろと寝そべっているのが好きだった。
そのままだらだらと、日がな一日書物を読み耽るのが好きだった。
気が向いたら昼寝をするのも好きだった。
しかも、そんな風にだらけたままでも、上げ膳据え膳で使用人達にあらゆる世話をしてもらえる。
自分はあくせく働くこともなく、ただひたすらにぐうたらとしていられる。
これ以上の幸福がこの世にあるだろうか。いや、〝ない〟と私は言い切れる。
それこそがまさに私の理想の生活だった。
それ以上の贅沢などは必要ない。ただひたすらに怠惰であり続けられるならば。
だから、私は幼心に夢を抱いたのだ。
このぐうたらな生活を一生続けていきたいという、壮大な夢を。
そして、幸運にもそれはかなりの実現可能性を持った目標であった。自分の生まれついた境遇をもってすれば。
まず、お金に不自由はない。むしろ、望む生活を送るには多すぎるくらいにある。それが私の実家だ。
となると、次に問題となるのは家族関係。
だが、両親は私を溺愛していた。それこそ目に入れても痛くない程に。
なので、私が将来どんな道を選ぼうと快く受け入れてくれることは間違いない。文句一つ言わずに一生可愛がり、面倒を見てくれることだろう。
たとえ、愛娘の選んだ道が有り体に言って〝穀潰し〟と称されるものであっても。
まったく持つべきものは偉大なる両親様々である。
それに、家のことも心配なかった。
何故ならば、私の上には優秀な兄が一人いて、さらに下にも優秀な妹が一人いる。
つまり、跡継ぎや没落を憂う必要はない。真ん中の娘が一人だけ出来損ないでもまったく問題がないのだ。
幼いある日、その結論に行き着いた私は小躍りして喜んだものだ。
いける。このままであれば自分は己が理想の将来へと順風満帆に辿り着ける。
まさしく人生勝ち組以外のなにものでもない。そう思い上がるのも無理はなかろう。
しかし、そう悟ったすぐ後のことであった。
私のそんな人生設計に最大の壁が立ちはだかってきたのは。
***
その日、私は初めて自分の〝婚約者〟と引き合わされた。
自分に婚約者がいる。それは別にいい。
自分の恵まれた立場に課された最低限の責任だと納得はできる。
しかし、その相手がまさかこの国の『皇太子殿下』であるとは。
予想外だった。誤算だった。
そこら辺は皮肉なことに実家の地位が高すぎるのが仇となった。
権力の中枢に近すぎたのだ。娘を輿入れさせても身分や血筋的に釣り合いが取れてしまうくらいに。
まさか、自分に怠惰な生活を担保してくれていた〝裕福さ〟――それがまわりまわって己の首を絞めることになろうとは。
両親もこの婚約にはノリノリだった。
娘を帝室へ輿入れさせることによって自分の権力がより拡大されるから……などではもちろんない。
純粋にこの婚約が娘に幸福をもたらすと思い込んでいるのだろう。
確かに、常識的に考えればそうなのかもしれない。
皇太子妃だなんて、なりたくてなれるものではない。
さらに(私にとってはなんとも不運なことに)相手は第一皇子、皇位継承の筆頭継嗣だ。
つまり、上手くすれば将来的には〝皇后様〟である。
女性として登り詰めることのできる権力の頂点。それを幸福に思わない方が少数派なのだろう。
おまけに、そのお相手の皇太子殿下がまたとんでもない美形とくれば尚更であった。
男性的で彫りの深い整った美貌。初めてお会いした時はまだ互いに同い年の子供、あどけなさの残る美少年であった。
しかし、ゆくゆくは世の女性をことごとく虜にするだろう――そんな色香が早くも漂っていた。
まあ、個人的には終始冷め切った無表情の冷血漢という印象だったが。
なので、要するにこの婚約は『超美形の皇子様と夫婦になり、将来的に国の最高権力者の地位が確約されるもの』となる。
客観的に見れば、これを幸福と思わない方がどうかしているだろう。両親の浮かれぶりも頷ける話である。
だが、私個人としてはまったくそんなことはない。
むしろ最大の不運であった。この順風満帆のはずだったぐうたら人生においての。
何故ならば、皇太子妃となってしまえば一気に国の要人である。
日々公務に追われ、ごろごろと怠惰に過ごす暇などない。そんなことが許される立場ではなくなってしまう。
しかも、下手すればそれが皇后となってさらに悪化するのだ。
有力貴族としての裕福さをフル活用し、出来損ないの怠惰な〝どら娘〟として日々ぐうたら生きる。
それを将来の夢と掲げる私にとっては到底、看過できるものではなかった。
どうあっても甘受できるものでなかった。断固として忌避するべきものであった。
それに、いくら美男子とはいえあの冷血皇子にもまったく心惹かれはしない。
愛など芽生えそうにはない。
恋と夢を天秤にかけるなら、私は間違いなく自分の夢を選び取る。
この私に理想のぐうたら生活を諦めさせる――あの皇子の美貌にそれほどの価値も魅力もない。全く以て問題外である。
しかし、現実問題、私だけがいくら嫌がったところでこの婚約を拒否できるはずもない。
相手が適当な貴族であるならまだしも、天下の皇太子殿下である。
下手に断ろうとすれば家が傾く、最悪首が飛ぶ。それはまったく本意ではない。命と裕福な実家あってのぐうたら生活である。
ならば、このまま見果てぬ夢を諦め、黙って運命を受け入れるしかないのか。
……それも出来ない。諦められない。
私は私の夢を諦めたくはない。たとえどれほど他人から後ろ指をさされ、呆れられそうなみっともない夢であっても。
私にとっては何よりの幸福が怠惰なのだ。
人には自分の幸福を追求する権利がある。本能がある。それに逆らうことはできない。
では、どうするか?
散々悩み抜いた末に、私は閃いた。まるで神からの啓示を受けたかのように。
だらだらごろごろと書物を読み耽る毎日。そんな生活の中で読み漁った物語の一つ――その内容から着想を得るに至った。
それは王子様が意地悪な婚約者との結婚をとりやめ、心の美しいお姫様と真実の愛を見つける物語。
これを空想ではなく現実のものにしてしまえばいいのではないか。
つまり、相手から婚約を破棄させてしまえばいい。
私に愛想を尽かさせ、私以外の誰かを愛させる。
他の誰でもない、私自身が裏からそう仕向けることで――。
これだ。これしかない。
その日から、私の暗躍は始まった。
***
そんな決意をしてから幾星霜。
そうして迎えた、レーヴェ皇太子殿下の成人を記念した祝賀パーティー。
今日この日こそが、私の大願が成就する時でもある。
この会場で、レーヴェ殿下と私の婚約が大々的に発表される。
パーティーに参列した御歴々からの祝福を受ける。
今までは内々の約束でしかなかったものが正式に結ばれ、広く市井にも知れ渡る。
そういう手筈となっていた。そうなってしまえばもう後戻りは出来ない。
しかし、私の方にはまったくそのつもりはなかった。
むしろ、並々ならぬ自信があった。
婚約発表の代わりに、殿下から直々に〝婚約破棄〟を突きつけられる自信が。
そのために、私はこの日までに長い時間をかけて暗躍してきたのだ。
そうなるように裏で様々な策謀を巡らせ、工作活動を行ってきた。抜かりはない。
故に、私は優雅に、堂々とその時を待つ。己が夢を掴み取るその瞬間を――。
「――……それでは最後に、この場に参列いただいた方々へ、私の口から発表したいことがある」
キタ! 宴もたけなわ、レーヴェ殿下による締めの挨拶。
本来ならこの時に婚約が発表されるのだが――。
「その前に、もう一人この場に呼び寄せたい者がいる。……テレジア!」
呼びかけに応え、私は静かに一礼を返した。
そのまま殿下の傍へしずしずと近寄っていく。ここまでは通常の進行どおり。
「……さて、皆も知ってのとおり、彼女はテレジア。公爵家の長女であり、私の婚約者だ。本来であれば、今からこの場でその婚約を正式に発表する予定だったのだが……その前に、私には一つだけ、為すべきことがある」
そして、ここからは私の予定どおり。
進行を外れた状況にざわつく会場。それを尻目に、レーヴェ殿下は私を真っ直ぐに見下ろしてくる。
「それは――テレジア、貴様の行いを全て白日の下に晒すことだ」
冷然と、殿下はそう告げてきた。
神妙な顔でそれを受け止めつつも、私は内心でほくそ笑む。
全てはまさしく計画通り。
次はこの場で殿下によって糾弾されるはずだ。私が緻密に積み上げてきた悪行を。
あるいはそれは誰かに吹き込まれた事実無根の罪であるかもしれない。
だが、それもそれで別に構わない。全てを素直に認めて受け入れよう。
その後で、念願の婚約破棄を言い渡されるのみ。
まさか、ここまで目論見どおりに事が運ぶとは。思わずこの場で高笑いしたくなってくる。
これまでの暗躍、その全てが報われようとしているのだから無理もない。
だが、こらえろ。笑うな、まだ。私は痙攣しかける口の端を必死で抑えつける。
「そして、その上で――」
だが――。
そう内心で勝ち誇る私に告げられた次の言葉は、完全に想定外のものであった。
「貴様に心底から理解させてやる。お前がこれまで行ってきたことが、徹頭徹尾まったくの無駄であったことをな。テレジア、我が婚約者よ」
そう言いながら、凶暴かつ嗜虐的な微笑を浮かべるレーヴェ。
その言葉を皮切りに、微塵も予期していなかった私――テレジアへの公開処刑が開始された。